One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ フリーダム・トレイル(その13:ソローの生誕地)2017/02/13

2004年8月に私たちは旅行でボストンとコンコードを訪れ、帰国後旅の記録として冊子を作成しました。その文章及び写真を掲載します。

**************************************************************
フリーダム・トレイル:自由への軌跡
**************************************************************

ソローの生誕地

ソロー生誕の地近くのオーガニック農園

ソローの生誕地跡には、現在家が建っておらず、ソローの生家に関係があるのか無いのか分からなかったが、その跡地にはささやかな石垣と、薪山が残されていた。そして近くに展開されたオーガニック農園では、ソバの花が「日ごとに遠く、広く」、その同朋を拡大していた。

遠い昔、母親の子宮から飛び出すように、出アフリカに成功した現世人類の先達が、未踏未開の地を求めてグレート・ジャーニーを敢行し、あたかも五体投地を行うように自然の摂理に従いながらゆっくりと、しかし着実に極地や山岳地帯を幾つも越え、最果ての不毛パタゴニアまで辿り着いた。宇宙的数にも及ぶ過酷な試練は、人類に堅い黄色の皮膚を授け、わずかな水、痩せた土地、極寒にも根を上げないような不屈のモンゴロイドに人間を鍛え上げた。さらにモンゴロイドはそこでも安穏とせずに、温暖化し急速に拡大した大海原へ羅針盤さえも持たず切り込んでいき、無数の楽園島を築いていった。

かつて西欧人は日本のことを最果ての東の海に浮かぶ黄金の島ジパングと呼んだ。中心から辺境へ、本丸から最前線へ、集中から拡散へ、安住から開拓へ、その紛れもないモンゴロイドの末裔たる僕は今、迎合し思考を中断させ責任を放棄すること断固拒否せよという、己の守護神の一喝を受けたような気がした。確かに今の自分の体たらくはどうだ。中央集権に向けて線路を引いてくれ。首都へ向けて広くて高速な道を作ってくれ、新たな航空路を開いてくれと懇願陳情するばかりじゃないか。何故大幕営から踵を返し、辺境へ馬の鼻先を向けないのか。何故自分の筋肉に訴えて自ら開拓しないのか。

だが一方で、レジスタンスには、平和的にそして心にユーモアを持って、そのプロセスを大いに楽しむことを忘れてはいけない。まさにこのソバの白く愛らしい花のように。プロセスを楽しむということは、高速新幹線では停まらない名も無き停車場に立つことだ。

ソバの花も実を結ぶためにやがて枯れる。そして新たに生まれ変わる。僕が死んだら、渋い死に花を手向けて欲しい。生物にはどうして死があるのかの問いに対し、1つの個体のみに、進化という大きな使命を背負わせるのは、余りにも酷すぎるから、とある学者が言っていた。自分は手を汚さず、他者に、大革命のダイナマイトを一身に背負わせる原理主義者が現実に存在する。ブラック・ユーモアにすら成り得ず、救いようがない。原理主義者とは別にイスラム原理主義者のみを指しているのではない。「・・しなければならない」「・・せねば未来はない」と絶叫し、人々を不安にさせ煽動する輩を全て指している。人々に希望を与えるのではなく、凝り固まった断崖から見下ろすような不安や恐怖感で強迫する、全世界にはびこった小人たちである。

思い込みを一切排し、また「せずにはいられない」という心の奥底から湧き出てくる意思感情と明確に区別した上で、世の中で本当にどうしてもしなければならないことを5つ挙げよと問われた時、果たして5つ挙げることができるだろうか。赤丸急上昇でチャート・インするトップ5は、果して埋まることがあるだろうか。5つもそんなにいっぱいあったら、僕のたった一回かぎりの身が持たない。空気を読むのは大切だが、空気に流されないようにしたい。

ソロー生誕地跡の隣の家には、黄色い一羽のモンゴリアン・バードが、餌をついばみに飛来していた。この黄色い鳥とは、いつの時点からか進化の袂を分かち、空を自由に飛べないのが浮き世の人間だが、冷静になって空気の流れ、風の方向、潮の香りを判断する術を身に付けようではないか。辺境を愛し、前線へ飛翔していく鉄兜のフロンティアンたちよ。

ソローの生誕地を記したプレート
ソローの生誕地を記したプレート

コメント

トラックバック