One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 「私見」何故、Vintage Bikeなのか?(その1:何故、競技用自転車にヴィンテージ?)2017/02/25

今は廃刊となっている『月刊ニューサイクリング』誌の2013年3月号に掲載された作品です。

New Cycling2013/03/No.594

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Vintageとは、英和辞典によれば、ある年の生産品のこと、あるいは、古くて値打ちのある、古典的な、時代遅れの、といった形容詞として使われるとのこと。
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□何故、競走用自転車にヴィンテージ?

ランドナーならいざ知らず、戦う機材としてのロードバイクにおいて、
何故、今時、このご時世に、便利なSTIや電動の変速レバーではなくて、Wレバーの変速シフトにこだわるのか。

何故、機能的なクリップレスペダルではなく、トゥクリップ・ストラップペダルなのか。

何故、重量のある革サドルなのか。

「趣味でロードバイクに乗っているのだから、難しいことは言わないで。」とか「好みの問題です」と答えれば、それで済むことなんだけど。しかし度々「何故・・・」と周囲の人から質問され、(草レースの個人TTのスターターにさえ尋ねられたことがある)「僕、このロードバイクしか持ってないからねえ。」と、適当に答えているうちに、自分でも「何故・・」と真剣に自問してしまうようになった。それに何よりも、適当にお茶を濁した返答をすること自体、尋ねてくれた人にも失礼である。

ところが、真剣に考えれば考えるほど、よく分からなくなってきた。「やっぱり自己満足なのか。懐古趣味か。でもそれじゃ、ロードバイクとはいえない。競う姿勢を失ったロードバイクは、マッドガードの無い700Cホイールのランドナーじゃないか。競う姿勢とは、軽量化、機能性など、現時点における最新技術をできるだけ反映しようとする傾向のことではないか。」と、日々、悶々としていた。

そんな矢先に飛び込んできたショッキングなニュースが、「ツール・ド・フランス7連覇のランス・アームストロング、自転車界を永久追放」だった。僕は47歳。最近、老眼も進んできた。そんな僕には、ランスの事件は全く無縁のレベルのニュースだった。だけど何故かそのニュースをきっかけに、僕の中で一つのライフステージにピリオドが打たれ、次の新たなライフステージに移行したような静かなインパクトを受けた。それは決して不快なインパクトではなく、鼻づまりがスッと直ったような、心地良い感覚だった。

正に「吹っ切れた!」といった感じだった。


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