■ 私は「浦島太郎派」、夫も「浦島太郎派」。我が家に「桃太郎派」は不在 by M ― 2017/03/18
今日、ある講演会を聞きに行きしました。そこで講師が「桃太郎か、浦島太郎か、どちらかになれるとしたら、どっちになりたい?」と質問されました。
私は迷わず「浦島太郎になりたい」と思いました。なぜなら、生き物を殺すことなく、時空を飛び、気がついたらお爺さんになる、奇想天外な話だけれど、そうそう体験できることではなく、それも面白いかなあと思ったからです。しかし、参加者の多くは桃太郎派だったようです。
講演会が終わり夫との待ち合わせ場所へ。用事を済ませてから、同じ質問を夫にしました。夫は少し考えた後「浦島太郎」と答えました。その心は「戦いを挑んだのは桃太郎の方で、鬼を一方的に悪者にしている。本当に鬼は悪者なのか、それがわからないから。」とのことです。
そもそもこの質問は、JAXA(宇宙航空研究開発機構)で、宇宙飛行士の選抜に関わる方が、最終候補を絞るための面接で聞く質問なのだそうです。選ばれるのは「桃太郎」と答えた方のように思われそうですが、実際は「浦島太郎」と答えた方が選抜されるそうです。
「桃太郎」の方が、目的意識が高く、目標達成のための戦略も練り、宇宙飛行士にはもってこいの資質のように思います。が、最終候補を絞る面接に残る方達ですから、目的意識は高いでしょうし、目標達成のために戦略も十分に練ることのできる資質をお持ちのはずです。
しかし、宇宙では想定外のことが起こるのは茶飯事で、それらを受け入れ、対処できる素質を求めるとなると「浦島太郎」になるようです。これは「自立」とも関連があると思いました。
「仕事をして税金を納める」とか「結婚し、家族を持つ」など、自立の捉え方は人それぞれです。私は「自分が納得できる生き方をすること」と今は捉えています。それが我が家の屋号であるOne’s Wayなのかなあとも思ったりもします。
「浦島太郎」に話を戻すと、カメを助ける、龍牛城へ行く、竜宮城から帰る、玉手箱を開ける、それらの行為を浦島太郎は選択したのです。その選択を後悔することなく受け入れ、これもまたよしと言っている老爺の姿が想像できます。人生においても様々なハプニングはつきものです。その時、どのような選択をするのか。
戦略的な選択もあれば、状況上そうせざるを得なかったという選択もあるでしょう。はたまた、気がついたら選択してしまっていたということもあるかもしれません。それらを全て受け入れてまあこれもありかと飄々と生きていけたら…。
そのような生き方も有りなような気がしますし、小さいけれど確かな幸せを感じられるようにも思います。
私は迷わず「浦島太郎になりたい」と思いました。なぜなら、生き物を殺すことなく、時空を飛び、気がついたらお爺さんになる、奇想天外な話だけれど、そうそう体験できることではなく、それも面白いかなあと思ったからです。しかし、参加者の多くは桃太郎派だったようです。
講演会が終わり夫との待ち合わせ場所へ。用事を済ませてから、同じ質問を夫にしました。夫は少し考えた後「浦島太郎」と答えました。その心は「戦いを挑んだのは桃太郎の方で、鬼を一方的に悪者にしている。本当に鬼は悪者なのか、それがわからないから。」とのことです。
そもそもこの質問は、JAXA(宇宙航空研究開発機構)で、宇宙飛行士の選抜に関わる方が、最終候補を絞るための面接で聞く質問なのだそうです。選ばれるのは「桃太郎」と答えた方のように思われそうですが、実際は「浦島太郎」と答えた方が選抜されるそうです。
「桃太郎」の方が、目的意識が高く、目標達成のための戦略も練り、宇宙飛行士にはもってこいの資質のように思います。が、最終候補を絞る面接に残る方達ですから、目的意識は高いでしょうし、目標達成のために戦略も十分に練ることのできる資質をお持ちのはずです。
しかし、宇宙では想定外のことが起こるのは茶飯事で、それらを受け入れ、対処できる素質を求めるとなると「浦島太郎」になるようです。これは「自立」とも関連があると思いました。
「仕事をして税金を納める」とか「結婚し、家族を持つ」など、自立の捉え方は人それぞれです。私は「自分が納得できる生き方をすること」と今は捉えています。それが我が家の屋号であるOne’s Wayなのかなあとも思ったりもします。
「浦島太郎」に話を戻すと、カメを助ける、龍牛城へ行く、竜宮城から帰る、玉手箱を開ける、それらの行為を浦島太郎は選択したのです。その選択を後悔することなく受け入れ、これもまたよしと言っている老爺の姿が想像できます。人生においても様々なハプニングはつきものです。その時、どのような選択をするのか。
戦略的な選択もあれば、状況上そうせざるを得なかったという選択もあるでしょう。はたまた、気がついたら選択してしまっていたということもあるかもしれません。それらを全て受け入れてまあこれもありかと飄々と生きていけたら…。
そのような生き方も有りなような気がしますし、小さいけれど確かな幸せを感じられるようにも思います。