One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ "SUN HOUSE" by T2017/04/03

往年のブルーズマン"SON HOUSE"
往年のブルーズマンであるサン・ハウスのスペルはSON HOUSE。でもタイトル名は
SUN HOUSE。

僕の住んでいる富山県は年間を通じてスッキリ快晴という日は少ないのが現状だ。さらにこの時季は晴れても春霞か黄砂か、はたまたスギ花粉なのか視界がぼやけていることが多い。

僕はこんな富山の霞んだ風景が好きだ。ヴィヴィッドな色彩が落ち着き、代わって深みと渋みが増した風景。それは不条理を謳い飛ばすブルーズが聴こえてくるような風景だ。

僕にとってブルーズを奏でる手段は楽器ではなく自転車を走らせること。僕の走らせる自転車はSSバイク。変速機を装備しない、つまりギア比が一つのシングル固定ギアバイクだ。それは現在巷に溢れているカーボンロードバイクが生まれる以前のクロモリバイクであり、競走用自転車の原点ともいえるスチールバイク。それはまた姑息な変速機を使用することは卑怯であるといった古風なスポーツマンシップの残骸とも成れの果てともいえる代物。

話は変わって音楽の話。容易に爆音排出を可能にしたエレクトリックギターが発明される以前は、リゾネイトギターといってアクースティックギターに金属の反響板を取り付けたギターがあった。限られた条件の中で少しでも大きな音を表出しようと努力していた時代が確かにあった。その努力は音を大きくする涙ぐましい成果とは別に、一方で独特な味のある音を結果的に作り出してしまった。かつてサン・ハウスはこのリゾネイターを演奏しながら本当に渋いブルーズを聴かせてくれた。

実はサン・ハウスのリゾネイターをイメージして僕はSSバイクを組んだ。小さなフロントバッグを装備して走るSSバイクの姿は、僕にしてみればさながら黎明期のツールドフランスに挑んだコンペティション自転車を彷彿させる。(あくまで僕にしてみればである。)

時間を逆戻りさせることは誰にもできない。しかし古拙なSSバイクの存在感とは、そんな歴史の不可逆性を別の視点から捉えなおしたともいうべき存在感だ。時間を直線ではなく曲線として捉えたような存在感。歴史という時間を新旧順序としてではなく、蓄積された歴史時間の質量から産み出される重力とも言うべき存在感。

昨今の最新ロードバイクは競走用自転車を直線的に進化させているようで、実は重力に引っ張られながらもその中心の周りを回っている衛星的存在に過ぎないのかもしれない。

■ それでも私は芝生を手入れする by T2017/04/04

春眠中の芝生
我が家の芝生は高麗芝なので、冬場は枯れます。そしてゴールデンウィーク頃に復活します。だから現在はまだ春眠を貪っていますが、その隙間を突いてイネ科の草やロゼッタ状の雑草たちが既にグングン伸びてきています。早起きは三文の得。

芝生の周りの雑木林が成長してきたので木陰が年々広くなり、代わって芝生の生長が弱まり雑草が進入しやすくなってきているのでしょう。年々芝生が後退してしています。
これは想定の範囲内でした。いずれ芝生は完全に消滅し、雑木林の下にはコケが敷かれる事になると。

返景深林に入り 復た照らす青苔の上  

鹿柴に囲まれた庭の中に、王維の詩の世界が聞こえてくれば、それも一興。

どうせ消滅する芝生ならば手入れすることを止めればよいのに。時間と労力の無駄でしょう。確かにそうかもしれません。でもそんなことを言ったならば、どうせ死ぬんだから生きることを止めればいいのに。どんなにがんばったって無駄でしょう、というのと同じです。

もし明日、世界が消滅するとしても、私は今日林檎の木を植える。 マルティン・ルター

芝生の中の雑草を抜いたり、エアレーションしたり、芝刈りしたり、そんな芝生手入れの繰り返しそのものが、芝生を残すこと自体よりも僕にとって楽しいのです。

芝生の復讐。僕って偏執狂かな?

■ 今朝の収穫物は、原木椎茸&芹 by M2017/04/04

「清明(せいめい)」の朝の収穫物
今日は24節季の「清明(せいめい)」
清浄明潔の略といわれ、南東風が吹く春のよい季節で、草木の芽がでる頃ということだそうです。清明の日の朝、庭に出て遣水(やりみず)に自生する芹と原木についた椎茸を収穫!早速、朝ごはんの一品にしました。

平日の朝ごはんもワンパターンです。
ご飯とお味噌汁、納豆と卵料理に焼き魚、プラス常備菜がつく程度です。ほぼ、このパターンの繰り返しで、たまにお弁当の残りが加わることもあります。

そこで今日の卵料理を椎茸と芹の卵とじにしました。残っていた麺汁を出汁に5mmほどにスライスした椎茸を入れて火を通し、芹を加えて溶いた卵を流して、蓋をして卵が固まるまで2・3分煮て出来上がり。あっという間に一品できました。

庭を眺めながら春の香り満載の朝食をいただいていると、「清明」の通り南東から弱い風が吹く中、柳の芽吹きが進み、雉の雄が隣の空き地を歩いていました。

今日も良い1日でありますように!

■ 1年前の4月5日、3度目のアイルランドに向けて出発 by M2017/04/05

目下に北アルプス
丁度1年前の今日、私たちはアイルランドに向けて旅立ちました。

1995年の夏、2005年の秋に続いて3度目の訪問となります。偶然にも夫の年齢が30歳、40歳の時にアイルランドを旅行したので、3度目は50歳のうちに実現したく、というより、行けなければ一生後悔すると思いました。

その当時の私の職場は、長期の休みを取れるような雰囲気がなかったため2015年中の渡航は叶わず、契約期間の満了を機会に去年の3月末で私は仕事を辞め、4月5日の出発となったわけです。1965年の5月生まれの夫はギリギリ50歳でした。

1度目の旅行について夫が書いた文章を以前ブログの記事にしました。
http://onesway.asablo.jp/blog/2017/03/26/8421647
これは、自転車雑誌ニューサイクリングに2013年に掲載されたものです。2度目の旅行について書いた文章も近々ブログにアップしたいと思っています。

写真は富山から羽田へ向かう飛行機からの眺めです。北アルプスを目下に眺めながら南東に向かっています。機材のトラブルで出発が遅れ、羽田で乗り継ぎが不安になりましたが、結果的には1時間の遅れで済み問題なく乗り継げました。1年前の丁度今頃、富山空港を飛び立ったはずです。

初めての羽田空港国際線を利用しての渡航はとても快適でした。フランクフルト経由のANA便を利用したのですが、搭乗ロビーで作家の村上春樹さんを目撃したことも思い出になっています。同じ便に乗り込まれ、business classのシートに座っていらっしゃいました。

仕事を辞めてまで行く価値のあった旅だったと確信しています。アイルランドでお会いしたかった方に会えましたし、北アイルランドへも足を踏み入れることができました。20年前には考えられなかったことです。

今もラジオからは、北朝鮮からの弾道ミサイルの発射を告げるニュースが流れています。20年後には地球全体に平和が訪れ、国境を意識せずに世界中を旅できる状況になっていることを願います。国にしろ組織にしろ個人にしろ、過去の歴史、それも多くの事実の中から恣意的に抽出された歴史から現在の行動を規定することが多いような気がします。逆に望むべき未来の姿から現在の行動を規定する視点を持てば、行動が変わるような気がしますが、どうなのでしょうね。

■ bue-dueのキッチンワゴン by M2017/04/05

bue-due製作のキッチンワゴン
我が家にはbue-due製作の家具や木製小物がいくつかあります。写真のキッチンワゴンもその一つ。

入居当初から10数年はスチール製の組み立て式ワゴンを使っていました。キャスターが壊れたため、2014年に使い勝手がよいものをリクエストしました。幅、長さ、高さ、キャスター、すべて完璧です。「毎日使うものだから、ストレスなく使える」ことが大切だということに気づかされた作品でした。

bue-dueさんの家具の特徴の一つは、以前からそこにあったかのようなデザインにあると思います。程よいバランスというものは、よほど意識しないと感じ取ることができません。空気のようなものです。

自己主張しない家具は、あたかもbue-dueの代表であるたまちゃんそのものとも言えるような気がします。存在に秘めた力を感じます。

たまちゃんは、広島県因島生まれです。1983年、モーターバイクで北海道への向かう途中にKAKI(富山市粟巣野の家具工房)に立ちより、ツーリングを終えた足で再びKAKIを訪れ、そのまま粟巣野に住み、柿谷誠氏より家具作りを学ばれました。1989年には、英国を5週間、現地で購入したバイクで旅し、何世代にも渡って使用されている木製家具を実体験したと聞いています。そして、2005年に八尾町(現富山市)桐谷にて「bue-due」を設立されました。

夫とたまちゃんとの出会いは1986年に遡ります。1986年から10年間、KAKI主催の自転車レースKAKIカップが粟巣野周辺で開催されました。夫は第1回大会に出場したことをきっかけにKAKIを知り、KAKIのライフスタイルに影響を受けました。結婚を機にKAKIの家具を購入し始め、たまちゃんにはKAKI時代からずっと家具を作ってもらっています。

ですから30年以上のお付き合いとなるわけです。たまちゃんと出会っていなかったら、今の暮らしは違ったものになっていたと思います。運命的な出会いは後になって気づくのかもしれません。

■ 春の"Yellow garden” by M2017/04/06

庭づくりを始めた当初、黄色い花をつける草木を集めていました。黄色は私が好きな色です。
マンサクが春の訪れを告げ、花を落とし始める頃、レンギョウ、シロモジの花が咲き始めます。
レンギョウ

シロモジ

地面に目を落とすとスイセン、リュウキンカの黄色が目に飛び込んできます。
スイセン


リュウキンカ

アイボリーの花を咲かせ始めた木蓮の足元にはスイセンの蕾が広がっています。
木蓮が咲き出しました
最初は、"Yellow garden"を目指しましたが、椿やクリスマスローズが加わり、現在は"Colorful garden"になりつつあります。

■ 薪が薪を呼ぶ Part2 by T2017/04/06

薪が薪を呼ぶ
私たちの住む町内の営農組合から電話がありました。
「スギは薪になるの?」


薪に貴賎の区別なし。というわけでチェンソーを持って営農組合の倉庫へ行きました。そこには切り倒された直径30センチメートルほどのスギ丸太が数本ありました。その場で長さ40センチほどに玉切りし、ダンプカーで我が家に搬入してもらいました。


スギは乾燥すると樹皮がきれいに剥がれ、その樹皮が最高の焚き付け材になります。割ったスギ薪は着火が良く、ストーブの温度が下がって早く温度を上げたい時には有効です。

また広葉樹の大きな薪と一緒にくべると、ストーブ内でくすぶることなく完全燃焼してくれます。さらに樹皮の剥けたスギ薪は長期間積んでおいても虫くいが少ないです。


というわけで、お蔭様でここ一週間はよく薪原木が集まりました。これからの時期、少々肌寒い朝は薪ストーブに火を入れるよりも薪割りをして暖まった方が快適でしょう。

根株は二度私を暖めてくれた。一度目はそれを割っている時であり、二度目は根株を燃やす時である。だから、これ以上の熱を出してくれる燃料は他にはなかった。
ヘンリーDソロー「ウォールデン」 佐渡谷重信 訳

■ パーヴェ(石畳道)は1日にしてならず by T2017/04/07

One's Wayは続く

一年半ぶりに利賀石が我が家に搬入されました。富山県南砺市利賀(旧利賀村)で産出される直径15~20センチサイズの割栗石です。特に有名な石でもありません。護岸工事や斜面の土留めなどにドカッと使われる「そこらへんの石」です。

二年ほど前、花壇の杉丸太の土留めが朽ちつつあったので、代わりに石を積み始めたのがきっかけで石積み石敷きにハマってしまいました。

その勢いで、市道から我が家への搬入路が早春の雪解け時にスリップで困っていたので、思い切って石畳道にしました。これが一人舗装工事の始まりです。

アスファルト敷きは言うまでもなく、コンクリート敷きでは味気ない。それに比べて石畳敷きは表情がとても豊かで周囲の自然物にも無理なく溶け込みます。レンガ敷きさえも石畳敷きの存在感の前では人工的でペラペラな子供だましに見えてくるから不思議です。

今回搬入された利賀石は石畳道をさらに延長するのと花壇の土留めをさらに強化するために使われる予定です。One’s Wayつまり道に終わりはありません。

また我が家の庭(ガーデン及びファーム)は傾斜しているため、何列にも連なった帯状の花壇の土留めは何となく棚田の石垣のようでもあります。だから石は転がってもらっては困るのです。アンチ・ローリングストーン。

かつて太古の昔、古墳の表面を保護するために置かれたとされる葺き石のように、この積み石、敷石が何千年後かに未来人類の手で発見されることを期待します。名も無き遺跡として。

■ 種蒔き後の雨は恵みの雨 by T2017/04/07

早く芽が出ますように!
4月に入ってホウレンソウ、ニンジン、ゴボウの種を蒔きました。今年は朝霜が降りる日が続き4月まで種蒔きを控えていましたが、ようやく蒔くことができました。ホウレンソウとゴボウは一昼夜水に浸してから蒔きました。

発芽するまでの水はとても大切です。植物にとってもこの時期が産みの苦しみなのでしょうか。だから種蒔き後の雨はまさに恵みの雨、慈雨です。

こんな雨降りの日は外作業もサイクリングもできないので、良い気分でデスクワークの仕事に出勤できます。

果報は寝て待て。 です。

■ 薪が薪を呼びましたPart3 by T2017/04/08

薪が呼んだバームクーヘン
先日、姪が就職・進学したのでお祝いを贈ったところ、返礼を頂きました。薪焚き人にピッタリなバウムクーヘンです。ありがとうございます。

まずは神棚にお供えしてから。

日本製の斧には刃の部分に三本または四本の刻みの入ったものがあります。それはミキとかヨキと呼ばれます。ミキとは御神酒、ヨキとは四方山の幸のことだそうです。山で木を伐らせていただく時、御酒やお米などその都度お供えするのを御免蒙るために、代わりに斧にメッセージを刻んでいるということでしょう。

大きな木にチェンソーを当てる時、心の中で「伐らせていただきます」とつぶやくと何故か心が落ち着きます。

チェンソーや機械を使用すると自分が大きくなったような錯覚に陥る時があります。万能感に酔うというのか、いわば自我の肥大化状態です。かつて薪を調達するために木を伐るはずが、要らない木までも伐っていることがありました。これは注意しなければと思いました。

僕は時々自我が肥大化して畏敬や感謝を忘れることが時々あります。そのためにもなるべく自分以外の動力源をもつ機械など、意識して使用しないことも大切かなと思ったりします。

高倉健さんのように 「便利な機械、俺には・(間を置いて)・・もったいないです。」