One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 市場(マーケット)に宝を貯えなさい。(その2:世界は認識でできている)2017/05/28

今は廃刊となっている『月刊ニューサイクリング』誌の2013年8月号に掲載された作品です。

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★世界は認識でできている

ところで、死の瞬間まで走り続けたいと思っている一人のサイクリストにとって、路上で発見したもの、とりわけ道端で人が見逃したもの、自動車が見過ごしたもの、そのような気付かれなかったものの中から、自分が新たに発見した物事や新しいものの見方は正に貴重な財産だ。それは認識及び発想の転換といった高度な知的活動が生み出した知的財産だとも言える。その多くは取るに足りない物事かもしれない。先人が既に気付いていたことかもしれない。しかしそれがたとえ些細な取るに足りないことであったとしても、僕個人の価値観、先入観をひっくりかえしたりしたならば、僕個人にとって貴重な財産だ。マインドセットが変わる、つまり認識が変わるということは世界が全く変わって見えるからだ。

一例を挙げよう。僕は雪国富山県に住んでいる。サイクリストとして住むには、雪国というのはハンディだ。冬の約3ヶ月間は屋外で自転車に乗ることが困難だからだ。太平洋側は冬晴れでガンガン走れるのに、我が家の周りは銀世界。若かりし頃は、そんな雪に負けてたまるかと果敢にロードバイクで走っていた。ダウンヒルではワイヤーが凍り、ボトルを振ると中の水がジャリジャリ鳴った。しかし根性だけでは問題は解決しない。天気に不満をぶつけても勝ち目はない。住むべき環境を変えることを考えたこともある。

そもそも、日本海側に雪が降るメカニズムはとてもユニークである。一般的に高気圧に覆われると天気が良いはずなのに、雪は大陸の高気圧に覆われた気圧配置で降る。冬の北西季節風が三千メートル級の日本アルプスにぶつかり、上昇気流が生じるからだ。しかしこれだけでは雪は降らない。もう一つの条件が日本海だ。冷たいシベリアからの季節風が日本海上を通過する時、湿気をたくさん取り込む。そして露点に達した風は筋上の雲を生み出す。それが富山県の場合、立山連峰にぶつかって急上昇しさらに雪雲が発達するというわけだ。日本海と立山、つまり高気圧圏内で快晴のはずの大空に、海、山、風といった大自然の営みが雪を降らす。

ある冬の日、室内ローラー台上でフィクスドバイク(固定ギアのバイク)に乗りながら、恨めしい雪を眺めていた時、僕はボトルの水を口に含んだ。その時がやって来た。そう、眼から鱗が落ちる瞬間、認識が変わるとき、世界が変わるときが。

常識ながら人間は水がなければ生きていくことができない。陸上生物とはいえ人体の約70パーセントは水で構成されている。ところが地球上にある水はそのほとんどが海水という状態で存在している。海水を飲んで人間は生きていくことができない。その飲めない海水を自然の奇跡は、何と真水に蒸留した。奇跡はそれだけでは留まらない。日本の川は急流で水を長期間貯えておくことが困難だ。それが雪という形で夏場でも高山に留め置いてくれる。つまり富山の自然は、海水を真水化し、且つ一年を通じて常時供給してくれる。しかも無料で。これを奇跡と言わずして何と言えば良いのか。天気が良いからバイクに乗ることができるのではない。生きているからバイクに乗ることができるのだ。

そのように認識が変わると、日常眼にする風景が以前と異なって見えてくる。僕が普段バイクに乗るサイクリングルートにも、名水に指定されているような湧水地が多々あることにも気付き始めた。その一つが富山県南砺市にある「瓜裂清水(うりわりしょうず)」である。

瓜裂清水(うりわりしょうず)map


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