One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 市場(マーケット)に宝を貯えなさい。(その3:名水は清濁併せ吞む)2017/05/28

今は廃刊となっている『月刊ニューサイクリング』誌の2013年8月号に掲載された作品です。

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★名水は清濁併せ呑む

瓜裂清水は普段僕がロードバイクでエクササイズするコース上にある。そこは舗装路に面しており、レーサーシューズを履いたままでも楽に立ち寄ることができる。



瓜裂清水の入り口
[瓜裂清水(うりわりしょうず)の入り口]

今から600年以上も前、北陸浄土真宗の拠点である瑞泉寺を開いた綽如(しゃくにょ)上人が、杉谷山(現南砺市)の庵から浄土真宗の地方教化に出かけられた。岩黒の地にて休息された際、馬の蹄が突然陥没し、その跡から清水がこんこんと湧き出た。里人が上人に献上した瓜を冷やしたところ、その冷たさに瓜は自然に裂けたとのこと。清水の周辺は大ヒサカキや白コブシ、ヤマツツジ、藪ツバキなど、富山の風土に適した樹木に恵まれている。正に水のあるところに生命が宿る。

僕はツバキが好きだ。特に雪ツバキ。雪の重みで高く成長できない。通年地味に徹するが、開花時には凛として香り無き花を咲かす。コブシも良い。北陸の里山に春の到来を告げる花木といえば、僕はまずコブシを挙げる。樹幹が直立するコブシは雪の重みにも極めて強く、逞しく越冬する。そして早春、雪に負けないくらいの白い花を咲かせる。


瓜裂清水の湧水と3体の石仏
[瓜裂清水の湧水と3体の石仏]
湧水の湧き出ている箇所は、今ではコンクリートで保護され、中を覗くことが困難だ。その背後には不動明王を中心に三体の石仏が坐(いま)す。元来、浄土真宗ではこう説かれている。

「およそ造仏、墓塔等は弥陀の本願にあらざる所行なり」(覚如『改邪鈔』)
目に見える偶像、具象物には価値を見出さないということだ。

またこうも言われている。
「当流には『木造より絵像、絵像より名号』というなり」(蓮如上人御一代記聞書)。
「南無阿弥陀仏」を称名念仏する、つまり「I love AMIDABUTU.」と言い続ける、否、「I love AMIDABUTU.」「Thank you, AMIDABUTU.」と自然に口にしてしまうのが、我が宗派の教えの核心だということだろう。

浄土真宗は現世利益を願う宗派ではない。はたまた現世の苦しみやうっぷんを来世で晴らそうとする宗派でもない。あくまでも現実世界で、認識の歪みを正し、生きていることの有り難さに気付くよう主張する哲学一派だと僕は思う。

砺波土蔵の会会長の尾田武雄氏によれば、石仏信仰は北陸の地に浄土真宗が普及する以前からあった旧仏教や民間信仰の証とのこと。綽如上人伝説と石仏信仰の渾然一体化した瓜裂清水の風景は、理想を求める高尚な精神と、現実に生きる人間味溢れる感情が表裏一体のものであり、それが平和なのだと訴えているようだ。正に瓜裂清水の名水は清濁併せ呑み、湧き出ていた。 

清水の側に立つコブシの花
[清水の側に立つコブシの花]



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