One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 人生の機微に触れた一日 by M2017/09/18

台風一過、雲が流れる
昨日、人生の大きな転機の真っ最中のお二人に図らずしもお会いしました。

お一人は2ヶ月前にガンが発覚し手術をされ、一昨日退院されたご近所の方です。ランニングを終えて家に向かって歩いていたときにご夫婦で散歩中の姿が見えました。挨拶をし、その流れでお宅でコーヒーを頂くことになりました。

ガンの発覚から検査までの経緯は、お見舞いの折に伺っていました。昨日は、手術から退院までの経緯を聞かせていただきました。また、入院中に出会われた患者さんとその家族のお話も…。ご近所の方は、術後の回復が通常より早く、早々に退院できたとおっしゃっていました。とはいえ、食欲がなく、とても疲れやすいご様子でした。一日も早く以前の生活に戻られるようお祈りしてます。

そして、もうお一人は家族でお付き合いのある夫の友人です。今年中に生まれ故郷に帰ることを決断したとのこと。その報告に午後、ウチに来てくださいました。夫より少し年上で、30年以上のお付き合いがあります。夫はいつまでも頼りにできると思っていたようです。それが突然、別れの時が来るとは…。

私たちは100歳まで生きるつもりで日々の生活を送っています。ということは、親はもちろん、おじ、おば、弟、妹、甥や姪などの親族や友人との別れを経験する可能性が高くなるということに気づきました。そのことを受け入れて100歳まで生きる覚悟ができた日でもありました。

そして、今、こうしてブログの記事を当たり前に書けていることに喜びと幸せを感じずには入られません。

■ 流行に乗る 流行に踊らされる by T2017/09/18

僕のフェンダー(泥除け)付き、キャリア付き自転車
最近、ランナーの姿をよく見かけるようになりました。ここ数年のランニング・ブームと、2年前から始まった富山マラソンの影響でしょうか。

僕が初めてマラソンを走ったのは、1992年の福知山マラソンです。それ以前も自転車競技の冬場トレーニングとして時々走っていたので、ランナー歴は25年以上となります。当時は、このような時代がやってくるとは想像しませんでした。

また最近、競走用自転車に乗ったサイクリストの姿をよく見かけるようになりました。30年以上前、僕がアマチュア自転車レースを走っていたとき使用していたようなフェンダーやキャリアの無い競走用自転車をよく見かけます。今僕はレースを走らないのでフェンダー(泥除け)付き、キャリア付き自転車で気持ちよく走っています。何故ならレースを走らないのに、乗り心地のさほど良くない競走用自転車に乗りたくないからです。でも最近はそれほど多くの競走用自転車を見かけるということは、それほど多くの人々がレースに参戦しているのでしょう。30年前は、このような時代がやってくるとは想像もしませんでした。

流行現象ということかもしれませんが、何はともあれ「見るスポーツ」から「するスポーツ」に時代が移行したとするならば良いことだと思います。スポーツ民主主義つまり個々人がスポーツの主役、主権者ということです。これは近代オリンピック創始者ピエール・ド・クーベルタンが提唱したアマチュアリズムの大衆化と捉えることができるかもしれません。すなわち「金銭的な報酬を目的としないスポーツマンシップ」の裾野拡大ということです。

しかし一方で最近はそんなアマチュアリズム化した「するスポーツ」を大きな市場と捉えた商業主義が大盛況です。そしてグローバルな商業主義は、様々な広告手段等で大衆の欲望を喚起し、流行を企図し、大きな利潤を生んでいます。そんな商業主義はアマチュアリズムの本家本元である近代オリンピックをも飲み込んでいき、結果現在のオリンピックはプロ・アマオープンとなり、クーベルタンの掲げたアマチュアリズムのかけらも残っていないのが現状です。

私たち民衆も「するスポーツ」の一見主役であるかのように見えつつも、商業主義の巧みな広告、流行操作に踊らされ、知らず知らずの内に必要以上のスポーツに関する消費をさせられているかもしれません。例えば単なるサイクリングや通勤にプロが乗るようなハイエンド競走用自転車を選択する(させられる)ように。つまり金銭的な報酬を目的としないが、一方で金銭的負担の大きいアマチュアスポーツマンシップになりつつあります。

以上は最近のスポーツ事情から考察してみましたが、本来の民主主義つまり政治の世界の本来の民主主義の関しても同様なことが言えるのではないでしょうか。最近の政治は経済優先、経済第一主義です。そしてそれを選んでいるのは私たち主権者です。世論調査の結果を見ても経済優先だからです。もし私たちが商業戦略的に扇動・操作され政治を選択している(させられている)とするならば、そんな民主主義は民主主義ではありません。それはポピュリズム、大衆衆愚政治の何ものでもありません。