■ 消費か投資か、搾取か成長か by T ― 2018/07/05
暑くなりラジオやテレビの天気報道では「こまめな水分補給とエアコンを効果的に使用して熱中症に注意しましょう。」といったコメントが連呼されるようになった。そんな報道を聞くたびに悲しくなる。この国の人間はそんな事まで指示されないと自ら判断して行動できないのか?
「水の事故には注意しましょう。」
「自転車には鍵をかけましょう。」
「選挙には投票に行きましょう。」
「台風が接近しているので増水した川に近寄らないようにしましょう。」
サービス過剰だと思う。自転車に鍵をかけないと盗難に遭うのは当然である。何を平和ボケしているのか。
そしてサービスを過剰に刷り込まれると、サービスを受けることが当たり前で、自分は守られて当然で、サービスを受ける側が偉いような勘違いが生じてくるかのよう。よってこの国ではサービスを受ける側(消費者)が、サービスを提供する側(生産者、販売者、サービス提供者など労働者側)よりも圧倒的に偉い意識が強い。コンビニエンスストアのアルバイト店員に対する客の横柄な言動を見れば一目瞭然。
このような日本における「お客様は神様」的文化というものが、労働者の働き過ぎや過労死を助長しているのではないか、といった考察報道が先日ラジオから流れていた。とても同感である。
話は元に戻るが、暑くなって水分補給が重要になってくると、職場でもペットボトルのお茶や清涼飲料水を毎日買って飲んでいる人を多く見かける。自分でお茶を沸かして冷やして(つまりお茶を自ら生産して)持ち歩くのではなく、生産されたお茶というサービスを受けて水分補給しているとも考えられる。当然そのサービスには金銭という代償がつく。
先日も同僚が職場のミーティング時に、100円前後のペット清涼飲料水を飲んでいた。その時ふと思った。その100円があったらマリーゴールドのポット苗を買いたいな、と。
ペット水は消費するだけで終わるが、ポット苗は鑑賞しても楽しいし、畑のキュウリ横に植えればコンパニオンプランツとして良質のキュウリを生産してくれる。
あなたは100円を受け身のサービス消費に使い(使わされ)搾取されるか、それとも能動的な自己成長への投資に使うか?たかが100円、されど100円である。