One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ HOTAKA by T2018/09/06

上高地
先日、上高地へ行ってきてから僕のアルピニズムが再燃し始めた。でも今は我慢。したいことが多すぎる。富山マラソンそしてあわよくばボストンマラソン、庭作り菜園作り薪作り、サイクリング、そして時々仕事。

ボストンを完走し庭作りもひと段落したら、北アルプスを縦歩したい。とりわけ穂高連峰。地元立山から入山するも良し、飛騨の新穂高から入るも良し、当然上高地から入るも良し。2、3年先になろうとも穂高はそこに居てくれる。全く焦る必要はない。

槍ケ岳を含め穂高連峰は日本近代登山発祥の地。近代登山とは山岳信仰心から山に登るのではなく、狩猟採集の目的で山に登るのではなく、金鉱発掘のために山に登るのでもない。ましてや二十歳の成人登山とも違う。近代登山とはただ純粋に山に登ることに喜びを見出し、山に登ることを目的とした登山のことである。

金山里山に移住した当初、「便利な街中からどうしてこんな不便な田舎に引っ越したの?」と尋ねられることが時々あった。その都度適当に応えていたが、要は、ただ純粋に丁寧に日常を暮らしたいと思ったからだ。何かを成し遂げるために日常を暮らすのでなく、ただ純粋に夫婦二人で日常を暮らすことを目的に日常を生きたかったからだ。暮らしそのものが目的なのだから、どこかへ行ける便利な場所よりも暮らしのより快適な環境を選択したというわけだ。

そういう点で丁寧な暮らしは近代登山に共通する。ただ登るための登山とただ暮らすための暮らし。マラソンにも共通する。ただ走るためのマラソンとただ暮らすための暮らし。

日々生きることは何かのための手段ではないと僕は思っている。生きることそのものが目的でありたいと僕は思っている。ただしこれはあくまで僕個人にとってである。各人生きる目的は様々である。平たく言えば趣向性の問題である。ゴルフしたい人もいれば釣りしたい人もいて当然である。ディズニーランドへ行きたい人もいれば穂高へ登りたい人もいて良いのである。その中にただ丁寧に暮らしたい人もいて良いのである、と僕は思う。

それにしても穂高は魅力的。里山暮らしの次に魅力的。