One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ Playするスポーツ、Playしないスポーツ by T2018/11/12

Ride the bicycle


eスポーツいわゆるコンピュータゲームのオリンピック種目採用が検討されているそうである。スポーツの概念が多様化している。反射神経や運動神経の優劣を競うと考えれば、コンピュータゲームもまたスポーツなのかもしれない。スポーツの概念は個人的な先入観と社会のコモンセンスによって時代と共に変化しているようだ。

でも一方で、スポーツというものについてある基準や定義といったものもあった方が僕個人としては気持ちが良い。僕はあくまで個人的にスポーツというものをこう捉えている。

「スポーツはPlayしない。」

スポーツは遊びではない。Playは日本語訳で「遊ぶ」といった意味が筆頭に挙げられる。Play baseball Play soccer そして Play game これらの競技は全てplayする活動、つまり野球をして遊ぶ、サッカーをして遊ぶ、ゲームをして遊ぶ、という活動である。

僕の周りの年配の人の多くは、ゲームはスポーツじゃないという。でも僕に言わせれば、ゲームも野球もスポーツじゃないということになる。野球もサッカーも「〜して遊ぶ」のであり、いわば娯楽レクリエーションである。

僕の概念ではスポーツはPlayしない。Playせず純粋にRun,Swim,Throw,Ride,Ski,Skate,Fight・・・つまり個別の動詞が存在する。
走る、泳ぐ、投げる、乗る、スキーする、スケートする、戦う・・つまり個別の運動詞が存在する。スポーツは「〜して遊ぶ」のではなく、特化した運動をすることである。運動することが主であり、それに伴って喜び、楽しみ、遊びの要素が付随してくるものであって、遊びが前面に出ることはない。

だからといって僕は現在既存のコモンセンスに抵抗するわけではない。ただ僕の中にスポーツ概念としてある基準が欲しいだけである。野球をスポーツだと言う人を否定はしない。同様にeスポーツも否定しない。

自分の中に基準や根拠を持つことは極めて重要だと僕は思う。基準や根拠を持たないと長いモノに巻かれやすい。

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