One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 昭和初期を銀座一丁目で体験 by M2019/06/01


昭和初期のエレベーター
写真は銀座一丁目にある「奥野ビル」のエレベーターです。今から約90年前、昭和7年に竣工された建物だそうです。

先週上京した折に近くを通りかかったのでのぞいてみました。One’s Wayで応援している「タウの木」さんのグループ展が6月6日から開催されるとの情報を得たので、一足先に足を運んでみたのです。

6階にあるギャラリー「Salon de Lã」が会場です。入り口は無骨な板。ルームナンバーと看板は鉄製。

Salon de La

入り口扉

中は…
残念ながら私が訪れた時は閉まっていました。

それにしても、見れども見えずとはこのこと。何度も前を通っていながら、気づいていないのですから…。

建物だけで十分に楽しめそうです。が、一歩、ビルの中に入ると小さなギャラリーが各階に…。気になるお店をのぞくのもよさそうです。次に上京した時に、もう一度のぞいてみたいと思います。

■ 自家製腐葉土 by T2019/06/02

自家製腐葉土作り
お世話になっている宮田大工さんから杉の野地板をたくさん頂きました。これをチャンスに、以前からチャレンジしてみたいと思っていた腐葉土作りを始めました。

野地板は落ち葉を溜めておく木箱の材料に適しています。実際には家にあったベニア板と垂木と杉野地板で作ってみました。野地板は落とし込みになっているので解体し易く、中の落ち葉を天地返しするのが容易です。

木箱が出来上がって、落ち葉の投入です。昨年の秋、我が家の庭に生じた落ち葉を使いました。高さ15㎝ぐらい投入後、米ぬかを入れます。米ぬかは自宅から出た米ぬかと近所の精米所から頂いてきた米ぬかを使いました。

我が家では米を炊くときに、その都度3合とか4合とか家庭精米します。結婚して28年間、我が家には電気炊飯器が有りませんが家庭精米機が有ります。電気炊飯器は必要ありませんが精米機は必需品です。

落ち葉→米ぬか→落ち葉→米ぬか と交互にサンドイッチして、最後に水をかけシートで覆います。後は2週間後に天地返し。それを繰り返して発酵熱も冷め腐葉土の出来上がりとなるはずですが・・。初めてなのでどうなるか、楽しみです。

野地板はまだまだあるので、あと数箱作る予定です。

■ 薪焚き人の会 by T2019/06/03

我が家の薪置き場
毎月第1日曜日の午前8時。
特に連絡は無い。連絡は無いが暗黙の了解で人が集まる。とてもシンプル。

薪が必要な会員がやって来る。必要じゃない会員は来ない。
それで良い。誰も何も言わない。とてもドライ。

各自の軽トラックで里山に入り、各自のチェンソーで自分の薪を確保する。
自分の安全は自分で責任を持つ。誰のせいにもしない。とてもインデペンデンス。

会のために参加するわけではない。ただ自分の薪を作るだけ・・。

でも
自分のための薪を作る目的が、結果として里山をきれいにしているとしたら・・。

だとしても
自分は良いことをしているという自覚は無い。ただ自分の薪を作るだけ・・。

そんな「薪焚き人の会」のスマートさが、僕にはとても心地良い。

写真 : 今日の薪で、我が家の薪置き場は、おかげさまで100%満タンとなった。山の神様に感謝申し上げる。

■ B.ビュッフェ没後20年 by T2019/06/04

B.ビュッフェ絵画展フライヤー
東京に出向く際、時々訪れる画廊がある。京橋にある翠波画廊(すいはがろう)である。エコール・ド・パリと呼ばれる20世紀初期の画家からモダンアート作家を中心に扱っている画廊である。例えばピカソ、シャガール、藤田嗣治、ユトリロ、マティス、アンディウォーホル、草間彌生、村上隆、ハンスイヌメなどなど・・。

とても気持ちの良い画廊で、展示されている作品を眺めていて楽しいし、購入するとなると一層楽しい。

私たち夫婦が結婚した20代の頃、借家にB.ビュッフェのポスターを飾って暮らしていた。白いスイセンの描かれたそのポスターを生活の友とし、いつの日か模造ポスターでなくホンモノのビュッフェを手に入れたいと思いつつ・・。

だが1999年10月、ビュッフェは自ら命を絶った。

あれから20年の歳月が流れた。その間、我が家のビュッフェは一枚のポスターからニ枚の銅版画と石版画になった。ビュッフェ自身は亡き人となったが、我が家のビュッフェは模造ポスターからホンモノのドライポイント及びリトグラフに進化した。
本当に欲しいモノを、時間をかけて足を運んで、探すプロセスも楽しんで手に入れることができて良かったと思う。

ビュッフェを通じて翠波画廊を知り、翠波画廊を通じてアートの楽しさを知り、アートを通じて暮らしに彩りと深みが加わった。

B.ビュッフェ没後20年。翠波画廊にて絵画展が開催される。
死者は決して老け込んだりしない。

■ 看過できない! by T2019/06/05

宮崎俊一著書
半袖シャツつまり半袖ワイシャツは国際基準からすればドレスコードに反した服装であると、宮崎俊一氏は書籍等で断言しています。

宮崎俊一氏とは、銀座松屋の紳士服バイヤーとして活躍し、ビジネススクールや大学等のファッションカリキュラムにおいて講師を務めている、いわば日本を代表する紳士ファッションの第一人者です。

その宮崎氏が断言しています。「ヨーロッパではビジネスで着るシャツに半袖は有り得ない。半袖シャツを全否定はしないが、本来は有り得ないアイテムであることを認識した上で着用していただきたい。」『成功する男のファッションの秘訣』講談社

そしてこうも述べています。「長袖をロールアップするのは世界共通のマナーとしてアリです。むしろ半袖よりもずっとスマートなスタイルです。なぜなら、また長袖として袖を下ろせますから。」(同著書) 「そもそも半袖シャツはエレガントに着こなすことは不可能です。実は半袖シャツは、長袖と比べ袖の筒が大きく作られています。二の腕にフィットしない、あの感じが垢抜けない大きな原因だと思います。反して、男性がシャツを腕まくりする姿は、同性ながらなかなかカッコいいなと思うのですが、いかがでしょう。女性陣の評判も上々のようですよ。」『成功している男の服選びの秘訣40』講談社

つまり要約すると、ワイシャツは長袖に限る。それが世界標準である。暑い時は長袖をロールアップするのが望ましい。但し、半袖シャツをどうしても着用したいという人間を全否定するつもりはない、ということです。

最後の但し書きが良いですね。差別や強制はしてはいけない。だが軽蔑する権利まで放棄していない、といった感じでイイね。

さて本題に入りましょう。なぜ、長々とシャツについて記述したか。

実は僕の地元のある中学校で、こんな指導がなされていることを知ったからです。
「ワイシャツ(カッターシャツ)の長袖を捲り上げるのはみっともないので禁止!暑い時は半袖を着用すること!」
そしてこの校則に但し書きが無い、つまり宮崎氏のように軽蔑はするが全否定や強制はしないという但し書きがなく、頭ごなしに全面禁止のようです。はっきり申し上げて、僕には知性のひとかけらも感じられません。

久々に燃えてきました。他県や他市の中学校ならいざ知らず、僕の地元ですから(正確に言えば市町村合併によって一緒になってしまった旧他町の中学校) 。
ごく一部の人間の価値観の押し付けで、前途ある子供達が世界標準からズレていくことを看過することはできません。
教育は国の根幹。大人は子供に世界を指し示す必要があります。

ところで、貴方はどう思いますか?そしてこの点が重要ですが、そう貴方が思う根拠は何ですか?

■ グレタガルボのように by T2019/06/06

グレタガルボの墓石
第二次世界大戦前のハリウッド大女優、スウェーデンのストックホルム出身、と言えばグレタガルボ 。ガルボの前にガルボなし、ガルボの後にガルボなし。

彼女は戦後早々36歳の若さで早すぎる引退をし、それ以降は頑なに表舞台に登場することを潔しとせず、1954年のアカデミー賞名誉賞の授賞式にも出席せず、84歳で亡くなるまで一度も公の場に姿を表すことがなかった。

1950年にアメリカの市民権を取得し、亡くなるまでニューヨークのマンハッタンにあるアパートメントにて生涯独身を貫いた。

僕もガルボのような腰の座ったブレない老後を送りたい。中途半端な自己顕示欲でもってチョロチョロどこにでも顔を出し、動き回る老人にはなりたくない。その方が高齢者の車事故リスクも減るだろう。

それよりも、しっかりと自分の脚でもって移動できる堂々とした老人であり続けたい。グレタガルボのように。

写真 : グレタガルボの墓石。スウェーデンのストックホルム郊外にある通称「森の墓地」は世界遺産に登録されている。登録当初、観光客を見込んでか、某ファストフード店が出店してきた。しかし住民たちは地域の静けさを守るために、店を追い出したとのこと。世界遺産を経済活動に利用しようとブヒブヒする何処かの国とはレベルが違う。

■ 日本酒党の皆様へ by T2019/06/07

僕は純米酒

山口県の獺祭、新潟県の越乃寒梅、富山県の勝駒・・

貴方は日本酒を購入する際、何を基準に選びますか?味?ブランド名?それとも深く考えずにいつもの習慣で?

僕は日本酒を購入する際、純米酒を選びます。

そもそも日本酒とはコメから作られる醸造酒(のはず)です。なのになぜ、わざわざ純米酒というカテゴリーが存在するのか?ワインに純ブドウ酒というカテゴリーがありますか?絶対ありません。全て純ブドウ酒だからです。

純米酒というカテゴリーがあるということは、それ以外の日本酒は、吟醸であろうと大吟醸であろうと、もちろん普通酒も、どんなに名の知れ渡った日本酒であろうと、全て不純米酒ということです。もちろん不純米酒を飲むことを全否定はしませんけど。

いつの日か、純米酒というカテゴリーが消滅し、当たり前のことが当たり前になることを願います。

貴方は日本酒を購入する際、何を基準に選びますか?味?ブランド名?それとも深く考えずにいつもの習慣で?

僕は日本酒を購入する際、コメから作られた日本酒を購入します。そうしないと日本酒が好きだと宣言できないからです。

■ 車が掲載するモノ by T2019/06/08

先日、愛車VOLVO V70の一年点検のためディーラーへ行った。2年ごとの車検は当然ながら、その間の年も、罰則義務はないが法定点検と下回り錆止めをしてもらっている。冬季、雪国富山の凍結防止剤は車にとってシビアで腐蝕条件大なのだが、おかげさまで足回りの錆は大丈夫だった。

この6月でV70も満18年となった。現在、70シリーズは既に製造中止。20代そこそこの営業スタッフには当然V70の販売経験が無い。購入当時の2001年において、サイドのカーテンエアバック標準装備が世界中でボルボ全車とベンツのハイクラスのみだったことや、丸みを帯びたドアの分厚い厚みは、如何に側面衝突から人間を守るかを考えたデザインであるかなど、反対にボルボオーナー側からボルボ営業マンに、ボルボ安全の歴史について昔話することになってしまった。

今回は一年点検だけでなく、 ボディーにガラス系のコーティングをお願いした。まだまだ若干18年。大人にすらなっておらず先はまだ長い。

スタッフに「次のお車は、何を考えられておられますか?」と尋ねられた。
「今度、車を乗り換える時は、運転免許の返納の時だろう。」と僕は答えた。
僕は真面目に答えたつもりだったが、スタッフは冗談だと捉えて笑っていた。

人間辞世の時に、人生の総決算の時に、その時どんな車に乗っていたかは、結構重要な問題であると僕は認識している。それは、辞世の時どんなパンツを履いていたかと同じくらい僕にとっては重要である。

車は、オーナーのアイデンティティを搭載して走る。

■ 甲板(デッキ)の延長 by T2019/06/09

甲板(デッキ)の延長
数年前から計画していた我が家のデッキ延長が現在造作中です。

デッキの下は冬季降雪時でも歩いてベースメント(床下基礎内)へ行くことのできるアーケード通路となります。

まさしく船の甲板のように宙に浮かんだデッキは、南東側のバックヤードに面しているためパブリックな視線が遮られています。そして地面からの湿気を踏み板の下に逃し、庭の雑木林によって直射日光が緩衝されるため、毎日の洗濯物干しやシーツ干し等には最適な場所なのです。母屋との動線も短く、急な雨にも干し台のまま室内に取り込むことができます。

洗濯干物を訪問者の視界に入らしめることは極めて失礼なことです。訪問者にしても訪問宅の洗濯物なんて見たくもないでしょう。でも間仕切りのほとんど無い小さな家において、そのような隠すことのできるスペースを生み出すことはとても難しいことです。だからといって洗濯物を毎日乾燥機で乾かすのも無理がある。やっぱり洗濯物は外で干すのが自然で健康的。

デッキはこの難問に対する私たちの解答でした。今回さらにデッキが延長され使い勝手とスペースが拡大すると想定しています。

毎日のお洗濯がより楽しくなるならば安い出費。暮らしそのものを楽しむのに勝るコストパフォーマンスは存在しません。

■ 自分でやるか、やらないか、それが問題である。 by T2019/06/10

踏み板の塗装
昨日、我が家のデッキを延長している記事を書きました。

材料の踏み板、柱、梁、桁などの寸法出し、刻み、ホゾ加工、立ち上げといった仕事は、新築時からお世話になっている大工の宮田建築さんに依頼。雨仕舞いの板金作業は八尾の藤井さん、塗装作業は僕が自分で行なっています。

もしも全ての造作を自分で行うセルフビルドに徹するならば、不可能ではないにしても多くの問題が生じます。最も問題視するのは専用の道具や機械を新たに購入したり所有したりしなければならなくなることです。

中学校時代から使っている鉋(かんな)、玄能(げんのう)、ノコギリ、スクリュードライバー、プライヤーなどの基本的生活道具だけでは作業が極めて困難。現代の大工さんは自動かんな機や機械ホゾ穴加工機、電動丸ノコ、各種サイズの鑿(のみ)、水平垂直を出す測量器など多くの道具を使って作業されます。板金屋さんも多くの専門道具機械を使います。

これらの道具機械類を揃えていくとしたら、費用も高くつき、所有物を増やし、モノに囲まれ、モノを保管しておく場所や作業スペースも必要となり、結果として簡素なシンプルライフから遠ざかるでしょう。加えて出来栄えも保証できません。

よって、自分で行う仕事と他者にアウトソーシング(外部委託)する仕事の見極めが大切だと思っています。

僕が行なっている塗装作業は道具がとてもシンプル。DIYのお店で購入できる200円程の刷毛と18年間使用している塗料缶のみ。塗料は知合いの塗装屋さんを通じて業者から購入しています。(個人では直接購入できません)

働くとは、単に稼ぐというだけでなく、社会の中で役割を担うということだとも考えます。