One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 「里山をキレイに」とはどういうことか by T2019/12/15

倒木更新
日頃から僕は「里山をキレイにして、キレイにする作業過程で薪になる木を調達する」というフレーズをよく使います。でも、そもそも「里山をキレイにする」とは如何なる状態を目指すということなのだろうか?と時々自問自答します。キレイな里山というイメージは各人各様であり、明確な定義や共通認識が不明瞭なのではないかと思うわけです。

例えば、「倒木更新」という自然のメカニズムがあります。倒木更新とは、森林の中で倒木の上に種が落ち、発芽し、倒木を栄養源とし若木が成長することです。下草の生えた地面は日照不足となりがちで新たな発芽が困難ですが、倒木更新はその点有利なのです。

また、倒木や枝葉が放置された状態は熊笹や下草の繁殖が抑制され、樹木の萌芽が促進されるという考え方もあるようです。確かに樹木を全伐搬出した場所は次の年は下草の成長が激しいです。

さらに、倒木や枝葉のおかげで降雨が緩衝され山肌の浸食や土砂崩れの防止になるという考え方もあるようです。一旦土砂崩れになれば倒木が流木と化すかもしれませんが、その前段階として土砂崩れを抑制しているとすれば、何が良くて何が悪いのか、どのような状態がキレイといえるのか、極めて不明瞭です。

ところで、里山とは人間の暮らしの場としての山であり、決して原生林のことではありません。暮らしの目的を持って入る山が里山です。すなわち、

「里山整美方法の妥当性は、目的の妥当性に依存している」と言えるのではないかと僕は考えます。

何のために山に入るのか?山に入る目的は何なのか?その目的は暮らしにとって本当に有益なのか? キレイという主観個人的感情から無目的に山に入り木を伐るならば、そのまま山を放置原生化させた方が地球温暖化抑制の観点からも既存生態系維持のためにも良いのではないか?・・いろいろ反省させられます。

山水に得失なし、得失は人の心にあり。 夢窓疎石

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