One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 避難でなくノマド by T2020/03/12

3.11その時
東日本大震災から丸9年が経過しました。2011年3月11日(金)14時46分あなたは何をしていましたか?

僕は滅多に利用しない100円ショップでマジックテープを購入していました。写真はその証拠のレシートです。

9年経過した現在も、約4万8千人の方々が避難生活を送っているという記事を読みました。一言で「避難」と言っても避難民約4万8千人の状況や条件が十人十色なので、僕は何もコメントできません。だから僕は、現時点における僕自身がもしも災害等で現在の住処を離れざるを得ないと仮定したら、自分は「避難」をどう認識するかという問いに限定して考察してみたいと思います。

まず、夫婦共々幸いにも生命が助かったなら、僕は災害が小康状態になった頃合いを見てキャンピングカーもしくはトレーラーハウスを購入します。その資金は現時点において用意してあります。避難指示が解除されて住処のあった場所に戻ることができるならば、キャンピングカーもしくはトレーラーハウスを住宅として生活し始めます。住宅の再建には興味ありません。
もしも住宅のあった場所に戻ることが不可能と判断したと時は、日本も含めて日本以外にも住んでみたいところがたくさんあるので、そこに行って、キャンピングカーもしくはトレーラーハウス用ガレージと薪ストーブが絵になる小さな土地を購入します。土地購入資金は現時点において用意できる範囲内で。そしてそこで里山生活を開始します。

日々の収入は以下のように考えています。自然災害のとても多い日本です。それは重々以前から認識していました。だからリスクを考慮し無収入時に備え、現在まで私たち夫婦はささやかですが個人年金や保険等に投資してきました。その不労所得額はささやかであったとしても一応、贅沢しなければ生存可能範囲だと推測しています。且つ受取金は住む場所を問わず受け取り可能でしょう。時々森林整備のアルバイトでもして小遣い稼ぎもしたいです。 

そうこうしているうちに公的年金支給年齢になれば有り難く頂きます。公的年金も住む場所を問わず受取可能です。収入が増えるのでキャンピングカーで時々旅もします。旅というかノマド(移住しながらの生活)みたいなものです。冬は薪ストーブを楽しみたいので拠点に帰ってきます。

そうこうしているうちに、高齢になり薪割りやクルマの運転ができなくなった時は、有料夫婦型老人ホームへ自由意志で入所します。サービスのグレードはその時の不労収入額によって判断します。もう里山生活は十分満喫したと思われるので、最後は便利な街中のオシャレな場所を希望します。

だいたいこんなライフスタイルを想定しています。完璧などありません。ゼロリスクではありません。ただ人事を尽くして天命を待つのみです。

災害等で生活の拠点を変更せざるを得なくなる場合、僕個人が考えるに、問題となるのは①収入源と②住み慣れた場所への執着の2点であると考えてきました。収入源に関してはささやかでも不労所得を確保することで解決しようと努力してきました。住み慣れた場所への執着に関しては、そもそも現在住んでいる里山の土地でさえ自分たち夫婦で手に入れた土地です。親から受け継いだ先祖代々の土地ならいざ知らず、自分たちで購入した土地ですから手放すのも私たちの自由です。言い換えれば、土地やイエに縛られない人生を送るために夫婦で土地を購入したとも言えるでしょう。

もしも僕が9年間「避難」を余儀なくされたならば、僕は自分が「避難」しているという認識そのものを変えるでしょう。「避難」ではなく、僕は今、自分が住んでみたかった他の場所での新たな暮らしを実現しているのだ、そんなふうに認識できれば良いなと考えています。