One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 群れるのは時代遅れになる by T2020/05/13

ボタンの花
例えば富山県美術館、5月11日より一部開館される。徐々に戻りつつある。
しかし、20名以上の団体での予約は受け付けないなど、集団行動というものに規制がある。

これは一つの例。今後、社会生活全般において、群れをなす行動は縮小していく、というか縮小していかざるを得ないと僕は予想している。

ポスト・コロナ時代において、群れをなす人間は絶滅危惧種になる。団体旅行、大宴会、大イベント、大コンペ・・・旗に従い群れる人間は時代遅れになる。

そしてポスト・コロナ時代において、自分の価値観に基づき、自分の頭で考え、自分で決定でき、自分で行動できる人間が適応していく。

価値観とは何か?価値観とは方位磁石のようなものだ。己の向きを指し示すものだ。

例えば、自分は何故今の場所に住んでいるのか(住んできたのか)?
例えば、自分は何故その宗教を信仰しているのか(信仰してきたのか)?
例えば、自分は何故今の仕事を続けているのか(続けてきたのか)?
例えば、自分は何故今のクルマに乗っているのか?
例えば、自分は何故富山県美術館に来館し、何を鑑賞しに来館したのか?

そんな何故?に対して答えるのが価値観だ。
何?答えられない!ひょっとしたら、自分は群れているのかもしれない。
群れることは、そんな価値観を不明瞭にする。というか、価値観が不明瞭だから群れるしか術を持たないとも言える。

ポスト・コロナ時代において、自分の価値観に基づき、自分の頭で考え、自分で決定し、自分で行動し、そして自分で責任を担う覚悟を持った、即ち、真の自由人が適応していく。

コロナは人類進化の枝分かれ分岐点?乗り遅れたくないよなあ。まだまだ長い人生、僕も精進しなければ。