One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 手軽さに流されどこへ行く by T2020/05/29

山町筋の街並み
先日、ある人が「散歩に出かけても急に家に帰りたくなってしまう」と話していた。その理由を尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「かつては、この道をずっと行くとどんな光景が広がっているのだろうとワクワクしたけれど、今はスマートフォンでストリートビューを見れば、自分で行かずとも先の光景を見ることができる。苦労して歩いていく必要が無くなっちゃった。」

最近は、苦労して旅をしなくても、インターネットを使って観光地に行ったかのようなヴァーチャルトリップで十分と話す人もいる。その方が楽だし安全だし安上がり。

ところで、人生というものを真剣に名一杯自分の脚で生きようとすれば、人間が持つあらゆる種類の感情を必然的に経験する。喜び、楽しさ、ワクワク、心地良さといった快の感情だけでなく、悲しみ、苦痛、怒り、痛み、恐怖、不安、虚しさ・・といった言った不快な感情も。
見方を変えれば、あらゆる種類の感情を経験しない人生は本物現実でないとも言えるのではないか。ネガティブな感情を一切避け、心地良さだけの人生を求めることこそ虚構仮想空間に生きることではないか。

ある心理学者が言っていた。「幸福とは単に心地良くなることと認識するならば、地球上で最も幸福なのは麻薬常習者ということになる」と。心地良さは長続きしない。心地良さが切れた時こそ怖い禁断症状がやってくるかも。

幸福をどう捉えるか。心地良いだけの仮想世界に生きることか。それとも不幸を必然的に伴う現実世界に生きることか。

さてさて、手軽さ便利さに流された人生旅の行き着く先には、いったい何が待ち受けているのだろう。手軽さ便利さに流された仮想人類の眼前には、いったいどんな現実世界が待ち受けているのだろう。他人事みたいな表現だが、別の意味でワクワク興味をそそられる。

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