One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 里山暮らしは田舎原理主義じゃない。 by T2020/06/03

里山の冬景色
戦前の民法下ならいざ知らず、居住移転及び職業選択の自由が認められている現在の憲法下の時代にあって、僕は皆さんに質問したい。

何故あなたは今の場所に住んでいるのか?

参考までに、
僕は、薪ストーブ生活がしたくて里山に住むことを望み、里山に土地を購入して、現在里山に住んでいる。薪ストーブを焚くだけなら街中生活も可能だが、爆音チェンソーで木を伐り、灰を菜園に撒くまでの一連のプロセスを完全に無理なく遂行するとなると、ソーシャルディスタンスが300%確保できる田舎が理想的と考えたからだ。雑木林が目の前に広がる里山が理想的と考えたからだ。

つまり、薪ストーブが絵になるのは田舎・里山だったということに尽きる。

そりゃ実家に住み続ければ、家はあるし新たに土地も購入する心身的労力及び経済的負担も無いし、ゼロから新たな人間関係を構築する必要も無いし、つまるところラクチンだとも考えた。でもそれ以上に、一度きりの人生、思いっきり好きなこと(薪ストーブ生活)がしたくて里山に住むことを決意した。

妻も同意してくれた。子どもはいないので子どもの同意と教育環境条件は必要なかった。これで迷いはゼロとなった。

だから、里山は自然に恵まれて、空気もきれいで、コロナ感染リスクも低くて、マツタケが採れて・・などなど、漠然と「田舎は良い所なんだ、そうあるべきなんだ。」といった理由で、田舎に住むことを決意したわけでは無い。

決して、僕は漠然とした田舎原理主義者に凋落したくない。「田舎は街中と比較して住環境条件が勝る。街中と比べ田舎の方が住み良いのだ」と自画自賛するつもりは全く無い。

当然のことながら街中は街中の良さがある。田舎には田舎の良さがあるのと同等に。

再度、皆さんに質問する。
居住移転及び職業選択の自由が認められており、自分のカイショで自由に自らの住む場所を選択できる歴史上稀有な時代にあって、様々なしがらみを一旦棚上げして、心の底から住みたい場所が何処かと尋ねられたならば、あなたは今の場所を選ぶか?あなたはどこに住みたいか?そしてその理由は何か?

この質問に対し、「堂々と私は金山里山を選ぶ」と答えた貴方。そんな貴方と一緒に、これからもこの場所を、更に一層良くしていきたい。

追伸 何故薪ストーブ生活なのか? この理由については、後日述べたいと思う。