One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ そこにあるだけで by T2020/09/06

木があるだけで
先日、地域の中学生・高校生に地元金山地区をより良くするアイデアを募集する企画が実施され、作文及び絵画が集まりました。

その中で、ある高校生の書いた作文に僕は(妻も)注目しました。このようなことが書かれていました。
「小さい頃、森の中に秘密基地を作りました。木があるだけで秘密基地感が増しました。,・自然というものは、そこにあるだけで楽しませてくれます。」

何も作為を施さない、敢えてそのままを維持するといった立派なアイデアだと思いました。

大人は経済的・環境的観点から、既存の自然に手を加えようとします。まるで何もしないことは人間の敗北を認めるかのように。

大人は、何もしないこと=荒れる、と認識します。荒れるとイノシシやクマなど野生動物が出没しやすくなると言います。でも確固としたエビデンスに基づいて論ずる大人に僕は出会ったことはありません。

縄文時代、鬱蒼とした暗い常緑広葉樹林帯の西日本と、木漏れ日射す落葉樹林帯の東日本とでは、東日本の方が人口が多かったそうです。何故なら野生動物や木の実など食糧が豊富だったからとされます。一方、西日本の鬱蒼とした暗い、つまり現代の大人が荒れた森と認識する環境の方が食糧としてのイノシシも少なかったのかも知れません。

ともあれ、そこにある無為自然の意味を看破した若者の感覚に、大人の僕は敬意を評したいと思います。

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