One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ やればできた by T2021/12/16

秋の庭より
「やればできる」という根拠の無い言葉は、嫌いです。でも
「やればできた」という言葉は、納得できます。

やってみれば、こんな俺でも意外とできた。こういう経験は結構あります。
そして、そんな経験が自信や自己肯定感を高めると考えます。
金山里山の会での、私たち薪焚き人は、森に入って薪作りをする際、自分の薪は自分で作ることを原則としています。一人で森に入ることはルール上禁止されているので、2人以上のグループで入りますが、作業は個別です。

女性会員もいるし、チェンソーの扱いに不慣れな新人もいます。当然最初は薪の成果物量が少ないです。でも自分でもやればできたという経験を確実に獲得することができます。そして徐々に成長していきます。

世の中、困った人を助けようという気持ちは大切です。でも先ずは自分で何とか頑張ってみてから、という気持ちも大切なんじゃないかと思います。

■ 神々しさ by T2021/12/15

初冬の立山連峰
冬のこの時期、稀に晴れると立山連峰が圧倒的な姿を現してくれます。
写真は、自宅のある里山から7Kmほど下ってきた平野部からの撮影。北陸新幹線の線路も写っており、年々風景が変わりつつありますが、立山連峰の勇姿は変わることがありません。

自宅からは、里山の稜線に遮られて立山連峰を拝むことができません。でもそれでいい。里山は雑木や杉林に彩られ、丸みを帯びた優しい風景。里山は毎日眺めていても疲れないからです。

ところで、立山頂上に一人で登ったのは中学2年生の時、それ以来、僕は山に惹かれました。

ところが、里山に居を構えて21年間。その間に標高3000mを超えたのはたったの一回のみ。エベレストを拝みに夫婦でヒマラヤトレッキングをした時のみです。その時は富士山よりも高い所を歩きましたが。

21年間ずっと里山に暮らし、親しみやすい里山の魅力に取り憑かれました。神々しい立山連峰を拝むのは、曇天の雪国富山では稀なこと。そのくらい稀さがちょうど良い。神様は滅多に御姿を現す存在ではありませんから。

■ 今の時代に適応するとは by T2021/12/14

採れたて冬野菜
見よう見まねで家庭菜園を営むようになって約30年。細々と野菜作りを続けてきました。

写真は、菜園から収穫してきた大根、人参、長葱、春菊、法蓮草。妻はこれらの材料から、その日のメニューを考えてくれます。調理する直前に、調理する分だけ、菜園から収穫してくる。今採れの食材ですから鮮度抜群です。

時間をかけて、じっと待って、生産する喜びを知る。お金を出して直ぐに欲求が解決する快感とは比べものになりません。

現代人は刻々と、待つことが苦手になりつつあります。画面をクリックするだけでモノが手に入る時代です。そんな時代に適応するということは、周囲と同化し、自分も待つことの苦手な人間になることではありません。それは適応者ではなく、搾取されるカモになることです。

待つことを許さない現時代において適応するということは、自分の欲求や感情を自己コントロールできうる人間になること。僕はそう考えます。

■ 積もらぬ先の梯子 by T2021/12/13

積もらぬ先の梯子
いつ雪が積もってもいいように、雪下ろし用の常設梯子を設置しました。
毎年、12月から3月まで設置したままにします。

写真のように、我が家の設計上、薪小屋からガレージ屋根にかけて、たった一本の折りたたみ梯子を設置するだけで、家全体の屋根に上ることができます。当然一番高い煙突トップにも行けます。

でも実際、積雪時は母家の屋根に上ることはありません。母家の屋根は5.5寸勾配のステンレス葺きなので自然落雪してくれるので。だから、せいぜいガレージ屋根に積もった雪を下ろすのみです。

とはいうものの、雪はいつ何時積もるか分かりません。朝起きたら数10センチも!ということもあります。そんな時、梯子を設置するのは大変なので、転ばぬ先の杖ならぬ「積もらぬ先の梯子」です。

■ 今年も締めました by T2021/12/12

しめ縄
昨日、地元コミュニティーセンター主催のしめ縄教室に参加しました。
僕は今年で3回目の参加です。

藁打ち済みの藁を用意してもらい、年配の上手な講師の方に教えていただき、僕は当日会場へ行くだけといった、本当に有難い教室。準備して下さる方々にはいつも感謝感激です。加えて帰り際に、畑に撒く藁束まで頂き、至れり尽くせり。

出来栄えは、さほど上達しません。自宅の神棚用と玄関のしめ飾り用だから許せる仕上がり。

あとは、里山から榊を取ってきて、自家製「里山の塩」を供え、鏡餅を撞いてお供えします。

■ 冬の寝具の幸福感 by T2021/12/11

冬のシーツ干し
富山の冬は曇天の日が多いです。皆さんシーツの洗濯や布団干しをどのように行なっていらっしゃいますか?

我が家では基本室内干しです。南向きの日光が差し込む場所に、シーツやベットパットを木製ドライヤーに広げて干します。この時期は庭のコナラも落葉し、稀に太陽が顔を出すと日差しが入ります。

室内は、薪ストーブで暖房しているので空気が乾燥します。シーツなどは半日、ベットパットは1日あれば乾きます。これは雪国ではとても有難いことです。

写真は、薪ストーブで風呂吹き大根を作りながら、同時にシーツ干しをしている風景です。

寒い季節にて、幸せを感じる瞬間を挙げるとすれば、僕の場合、温かい風呂に入る幸せよりも、しっかり乾いて温かくなったベッドに入る幸せ感の方を挙げます。

わざわざ布団乾燥機や電気毛布を購入することも必要ありません。乾いて温かいベッドは、稀な日差しと薪ストーブのおかげです。

■ 家庭内自給率 by T2021/12/10

ジャム3種類
突然ですが、日本の食料自給率は40%を下回って、かなりヤバい状況。そんな状況でも有難いことに、先日、我が家の自家製ナスとバジルがようやく終了しました。
ここで問題です。
「12月だというのに、なぜこの時期まで夏野菜のナスやバジルを食べることができたのでしょう?スーパーで買ったのでなく自家製を」

正解は至極簡単!冷凍してあったのです。夏の収穫物を、妻が下ごしらえしてセッセと冷凍してくれました。

我が家には電子レンジがありません。だから冷凍加工食品を購入することはほとんどありません。代わりに冷凍食材をたくさんストックしています。

冷凍加工食品は加工する人件費やパッケージ費などがかかっているので割高のはず。でも冷凍食材は、あくまで長期保存のための冷凍なので加工食品よりも割安、自家製ならば更にお得。しかも食材の品質は信頼できます。

これからの季節は、冷凍食材と、雪の下に保冷保存された大根や白菜、ネギなどの冬野菜とを上手く活用して、家庭内国産自給率を向上できればと思っています。

ちなみに、たくさん頂いたカキやユズ、リンゴ、カリンなどはジャムにして常温保存、自家製カボチャはそのまま保存。これも家庭内国産自給率向上に貢献しています。

■ ストレス発散 その2 by T2021/12/09

里山の風景 その2
前回のブログで、薪作りがストレスの原因になる人と、薪作りがストレス発散になる人がいて、人間さまざまという話を書いた。このことはどちらが良くてどちらが悪いといった勧善懲悪の問題ではないし、どちらが正しくてどちらが誤っているという丸バツ問題でもない。これは人間の趣向性や性格の違いであろう。

それに、皆んな全員、薪作りが楽しくて、皆んな一斉に、薪ストーブを焚き始めたら、里山は瞬く間にハゲ山になってしまい、持続可能な里山が崩壊してしまうであろう。だから、相田みつを氏の言葉を借りれば「みんな違ってみんないい」

ただし!ただしだ。確かにこれは良悪・正誤の問題では決してないけれど、一方で、適応的か非適応的かという問題は残る。

話を続ける。薪作りがストレス発散となり、薪ストーブ生活を楽しく思う趣向性の人間は、現代社会や世界の潮流からすれば、どちらかと言えば適応的人間であると僕は考える。何故ならば、今の時代は環境を意識せずには生きられない社会になりつつあり、世界は持続可能な開発目標を掲げるに至っており、つまりエコロジカルな趣向性の人間にとっては追い風の時代だからだ。加えて化石燃料の石油は高騰しており、薪は財布にも優しくエコノミカル。

そんなことを考える僕は、進化論の父ダーウィンの言葉を思い出す。
「生き残る種とは最も強い種ではない。最も知的な種でもない。それは、変化に最もよく適応した種である。」

■ ストレス発散 by T2021/12/08

里山の風景
一緒に薪の自産自消を行なっている薪焚き人を観察すると、薪を作ることがストレスの原因になっているのでなく、むしろ逆に、薪を作ることがストレス発散になっているようだ。

道路配管関係の仕事を生業としている某薪焚き人に対し、僕は以下のように尋ねたことがある。
「ウィークデーをハードに外仕事していて、日曜休日までもハードに薪を作るというのは大変じゃない?」と。

すると彼はあっさりと答えた。
「家にジッとしているよりも、こっちの方が楽。」と。彼にとって薪作りはストレス発散になっているようだ。

世の中にはさまざまな人々がいる。薪作りがストレス発散になる人もいれば、薪作りがストレスになる人もいる。長距離を走ることがストレス発散になる人もいれば、長距離を走ることがストレスになる人もいるように、世の中にはさまざまな人々がいて成り立っている。

■ 見えないゴミ箱 by T2021/12/07

見えないゴミ箱
家のなかで、来客に見えないようにするモノ、その筆頭はゴミ箱。

リビングや応接室など、来客の見える所にわざわざゴミ箱を置く理由が分からない。ゴミ箱をこれ見よがしに置いておくのは「自分のゴミは自分で始末をしろ」と来客に言っているようなもの。

品の良いインテリア小物としてのゴミ箱に出会ったことはない。見えないゴミ箱が最良だと思うから。それに、ゴミ箱をいくつも設置すればするほど、ゴミは増える。収納場所を増やせば、モノが増えるのと同じ。

「ゴミの多く出る家はお金が貯まらない」とは、僕の父の言葉だった。
何故なら、ゴミの多くはお金を支払って購入したモノだから。商品の包み紙だって、支払った金額に含まれている。

暑い夏の時期を除き、我が家では可燃物ゴミを出すのは1週間に1度だけ、しかも小サイズのゴミ袋と決めている。

ゴミの量を減らすには、ゴミ箱を見えないところに置くのが良いと思う。