One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 嬉しい悲鳴 by T2021/11/16

薪原木搬入
建設関係の知人が、ダンプで栗と柿の原木を搬入してくれました。地元の某歯医者さんの庭の一部を車庫にする工事らしく、伐られたそうです。

薪作り作業の大変なところは、木を伐採して搬入するまでの作業。ここまで終了すれば後は大したことはありません。だからとても有難いことです。

ただ、もうそろそろ薪置き場も一杯になりつつあります。だから薪仲間にも分けたいと思っています。

暖房燃料費を筆頭に物価が高騰している現在、薪燃料が集まってくるのは嬉しい悲鳴です。

薪を焚く効果は、単に室内を暖めるだけではありません。
お湯を沸かしたり、煮物を作ったり、調理のガス使用量も減少します。
洗濯物が乾くので乾燥機の電気使用量も減少します。
薪作り作業に時間を使うので、テレビ視聴、どうでもよい外出、無駄な買い物、無意味な社交などなどが減少します。電気、ガソリン、お金、時間の節約になります。

そして、薪作りで身体を温めるので、薪の消費が減少します。そこに更に、薪原木が集まってくるので、嬉しい悲鳴です。

■ 牛フンの方が by T2021/11/14

ボーダーガーデン
先日、清掃業務を仕事としている知人が言っていました。
「人間が分別しないで無造作に投げ捨てた、飲みかけのタピオカ容器を始末するよりも、牧場で牛のフンを始末している方が、よっぽどキレイでやり甲斐のある仕事だ。牧場に転職しようかな」

その通りだと思う。応援します、転職を。
不法投棄する人間のゴミよりも、牛のフンの方が自然で役に立つ。事実、発酵させた牛フン堆肥は、菜園の土作りにはとても有用。美味しい野菜や美しい花々を咲かせてくれます。

昨日、近所の人の散歩コースとなっている我が家の前庭ボーダーに、新たにキョウカノコを移植し牛フン堆肥を混ぜ込みました。加えて既存のユキヤナギ、ヤマブキ、アベリア、ハギの根元にも、お礼肥として牛フン堆肥を撒きました。来年もウォーキングする人の眼を楽しませてくれれば嬉しいです。

今植えているチューリップ球根の土にも、牛フンをすき込みました。

牛フン堆肥は、市内の酪農業者にトラックで運んでもらい、その後さらに数ヶ月、自家菜園の隅で発酵熟成させたものを使用しています。DIY量販店にて袋詰めされた商品を購入する価格と比べ物にならないくらい格安で大量に入手できます。

何が自然で何が不自然か。何がキレイで何が醜いか、世界は認識で構成されています。

■ 無いものを求める by T2021/11/10

秋の笹尾池
先日、金山里山の会の年配会員が話していました。
「灯油も電気も高くなって全てが物価高の中、コメだけが安くなって農家は大変。皆んなコメを食べなくなって、米が余っている。」

身の回りに十分あるモノを求めず、身の回りにないモノばかりを求めている。それで物価上昇に悩んでいる。

身の回りの里山に十分ある樹木燃料を求めず、日本で産出されない化石燃料を求め、遥か海外から購入している。それで石油高騰に悩んでいる。

敗戦後の日本では、学校給食にコメを使わずパン給食とした。日本に十分あったコメをあえて消費せず、輸入小麦のパンを消費させられた。アメリカの余剰小麦のはけ口として。高度成長期、バブル期を経て、商品経済に慣れ親しんだ日本人は、今ここに十分あるモノを求めず、ここに無いものをあえて求めるようになった。

最高の薪は、ブナでもコナラでもシラカバでもない。
最高の薪は、そこで手に入る薪。

■ ギバーとテイカー by T2021/11/05

初夏の笹尾池
金山里山の会の、特に年配の会員さんを見ていると、つくづくギバーだなあと思います。ギバー(giver)つまり「与える人」。森の木を育てたり、林道を整美したり、その成果が形になるのはずっと先で、自分の取り分は少なく、自分の労力と時間を多く提供するばかり、にも関わらず、嬉々として活動されている姿を見るにつけ、本当にギバーだなあと感動します。

それなのに、金山里山の会でキノコ研究林として松茸や網茸を保護するために、地権者の了解を得た上で、無断入山しないようロープを張ると、それに何かと物申してくる人がいるのも事実です。地権者でもないのに。

「松茸、今年はどれだけ売れて儲かった?」とか、「散策しづらくなった」とか・・。これから将来、キノコがたくさん採れる里山を拡大するための小さな研究林で、採れた松茸は真っ先に小学校の給食に提供し、販売などしたことないにも関わらず。

世の中には、与えることよりも、もらうことばかりを考えるテイカー(taker)がいるのも現実です。

完全なギバーは存在しないし、完全なテイカーも存在しないでしょう。現実の世の中はギヴ&テイクで成り立っています。しかしながら、ギバー的傾向の強い人間とテイカー的傾向の強い人間に、何となく分類できるような気もします。

環境を良くする活動に奉仕するギバーにのみ、自然の恵みが与えられるわけでなく、良くなった環境の恩恵はテイカーにも同様に与えられます。それでも奉仕せずにはいられないギバー。自然保護のために一生懸命活動しているギバー。僕は頭の下がる思いです。

■ 労働は芸術であるべき by T2021/11/04

労働は芸術である
先日、水道メーター調査員の方が、我が家のメーターボックスの蓋を入念に閉めていました。「適当で良いですよ」と言うと、「最近ちょっとでもズレていたりすると、子供がつまずくとか、何かと苦情を言われるんですよ」とのこと。

この国には何か違和感を感じます。海外を旅すると、特にヨーロッパ諸国を旅すると、お店の人とお客が対等に近い感じがします。その理由を伺ったことがあります。「何故ならば働くことは尊い行為でしょ。」とのこと。勤労行為は消費行為に劣らず、価値があるというわけです。

ところが日本の場合、お金を支払う客は、たとえお金を持たなく借金して買う場合でさえ、客の上から目線を感じる場合が多い。レストランの接客スタッフやコンビニエンスストアの店員に対し、タメ口で横柄な言葉を使う客を時々見かけます。一方でパリのカフェのギャルソン(給仕店員)は堂々としています。この違いは何でしょう。

日本では労働よりもお金の方が尊いのでしょうか?この国では、単にお金のために働かされているのでしょうか?

宮沢賢治が言ってました。「労働は芸術であるべき」と。
僕もそう思います。

■ 他人は他人、自分は自分 by T2021/11/03

軽トラック
知人のクルマが故障しました。どこが故障したか訊ねるとバックディスプレイ(後ろの映像がモニターに映る機能)が故障したとのこと。

また他の知人は、先日、ショッピングセンターの駐車場からクルマを出そうと思ったところ、クルマのキーのボタン電池切れでドアを開けることができなくなったとのこと。友人のクルマでコンビニエンスストアへ連れて行ってもらい電池を購入したとのことでした。

クルマに便利な機能が搭載されればされるほど、故障箇所も増えていきます。少なくとも10年前まではバックディスプレイの故障は存在しませんでした。

便利な機能が搭載されればされるほど車体価格が上昇し、修理費用もかさむことになります。でも、そんなに便利な機能って、あなた自身は必要だと思いますか?

ところで、人間の脳は、生来的に「考えること」が嫌いです。何故ならば、何もしなくても脳はエネルギーを必要とする臓器。加えて「考えること」は多大なエネルギーを消費するからです。だから、自然に放っておけば人間の脳は考えないで周囲に合わせる選択をしがちです。皆んなが持っている便利な機能だから自分も持ちたいと。

そんな脳の習性を知った上で、意識して考える習慣化はとても重要だと考えます。他の人はいざ知らず、自分にとって何が必要かを。他人は他人、自分は自分。

僕の必要とするクルマ、それは軽トラック。バックディスプレイも無し、リモートキーも無し、カーナビゲーションも無し、パワーウィンドウも無し・・
僕にとっては必要無いからです。僕の必要な機能はマニュアルギアシフト、AM,FMラジオ、パートタイム4WD。他の人はいざ知らず、自分は自分。

■ 再会 by T2021/11/02

スマートK2002
懐かしいクルマに再会しました。2017年5月に、友人に譲ったスマートKです。

当時、軽トラックを購入することを考えていた僕に、友人から、それまで僕が乗っていたスマートKを譲って欲しいと連絡を受けました。信頼のおける友人だったので無償で譲りました。(後に、家具職人だった友人からネストテーブルを無償で頂きました)

譲った半年後、友人は事情で広島県因島に移住することになり、スマートKも雪の無い温暖な瀬戸内へ移り住みました。

昨日、富山に帰省した友人が、我が家をスマートKで訪れてくれました。丁寧・大切に扱われてきたスマートK。(写真) 初年度登録が2002年です。

しまなみ海道や四国石鎚山など、元気に走っている写真をたくさん見せてもらいました。

世の中には2種類の人間がいる。クルマを大切に長く使う人間と、クルマを雑に扱い直ぐに買い替える人間。前者に巡り合ったクルマは何と幸せなことでしょう。

■ 勘違い by T2021/11/01

ヤマボウシの紅葉
老後2000万円問題を、僕は勘違いしていた。

平均的な公的年金(厚生年金プラス国民年金)だけでは、夫婦で95歳まで生きると仮定して、一世帯あたり生活費が約2000万円不足するという推測、これが本当の2000万円問題だそうですね。

そもそも公的年金だけで老後の人生を送ることができるなどと、いったい誰が保証した?そんなのどう考えてもムリに決まっているでしょ。

だから老後2000万円問題を、僕はこう勘違いしていた。
「国の借金は国民一人当たり約1000万円。よって夫婦でこの世を去るときは、一世帯あたり2人分の借金2000万円を国庫に返納し、しっかり禊ぎをしてから旅立たねばならない。そうしないと借金踏み倒して逝ったと、後世から笑われる」これが僕の思っていた2000万円問題。

でも、勘違いの方がカッコいい。自分の子供に「お前に借金を残さないから安心しろ」と言ってくれる親はすごくカッコいいように、勘違いの方がカッコいい。大見栄でもいい、大見栄の方がカッコいい。

「自分の老後が心配だから、誰か政治で何とかしろ!」と、お客様感覚の他力本願一辺倒はいともカッコ悪い・・・ともあれ、今回の衆議院選挙結果が出ました。

J.F.ケネディ大統領の就任演説の言葉より
「国民諸君よ、国家が諸君に何ができるかを問わないで欲しい。諸君が国家のために何ができるのかを問うて欲しい。」

■ 格 差 by T2021/10/24

石蕗と蝶
渋谷周辺の大工事のため、東京山手線内回りで一部運休しているようです。利用者の人々は、他の路線や地下鉄等いろいろな手段を代用して、如何に効率良く移動するかを考えているようです。

見方を変えれば、障害や問題を如何に解決するかを考える機会のあることは、頭を使う良い機会ですね。

一方、僕の住むような地方の田舎では、安直にクルマで移動してばかりで、ひたすら僕は頭を悪くするばかり。ますます都会と田舎の格差が広がります。

と思いきや、昨日の土曜午後、大手都会資本のショッピンモール周辺では通勤時間でもないのに大渋滞!しかるに、せいぜい裏道を考えることに頭を使う程度。そしてショッピングで目の祭りをして、お金は都会に吸収されていく。

これは政治の問題ではなく市井の問題で、知的格差も経済格差も、自ら積極的に拡大させている。大企業や政治家の責任にできないよなあ。

■ じっとしていられない by T2021/10/17

森の小径
ステイホームでじっとしているからストレスが溜まるのか、はたまた、すでにストレスが溜まっているからじっとしていられず外出するのか?

ガソリン価格は高騰しており、人の集まる場所は感染リスクが高い。それなのに何故、お金を使ってまでして危険な場所へ敢えて行きたいのか?

里山の森に入り木を伐ったりする作業は、危険を伴う作業であることは確かであるが、郊外のショッピングセンターへの往復や混雑するスーパーマーケットの駐車場の方が事故件数で圧倒的に上回る。危険なのは用心深い熊よりも不注意な人間の方である。

里山に入り薪を作る作業では、お金を使いたくても森の中にはお金を使う場所も無いし、燃料としての薪がどんどん生産されると、高騰する灯油や電気エネルギーにお金を使う機会も無くなってしまう。

郊外のショッピングセンターや街中に出歩くと、ちょっとコーヒーブレイクするだけでもお金を使うが、森の中での一休みは、切り株に腰を下ろしたからといって誰もお金を受け取ってくれない。

買い物に出かければ消費税を徴収されるが、自分で薪を作っても自産自消税を徴収されることはない。この国は消費者よりも生産者に優しい。

どうしてもじっとしていられないならば、財布を持たずに森に出かけることにしようと思う。