One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■個人としての故人 by T2018/08/18

ヘンリーD.ソローの墓

先日、お盆の墓参りに行った時、義姪がツボを突く質問をした。
「なんで、ひいばあちゃんも作右衛門なの?」

僕の実家も含め僕の近隣では、お墓は個人の墓ではなく家族といった集団の墓が多い。そこには個人名が刻まれることが少なく、代わりに家の苗字や代表者名が刻まれることが多い。そして言葉は悪いが、故人は十把一絡げに葬られている。中には僕の実家も含め、故人の名前を刻まずに、代わりに墓の建立者名を刻む墓さえある。果たして建立者名を記す本意は何なのだろうか?

写真は14年前、ボストン郊外のコンコードにて、『ウォールデン 森の生活』の著者ヘンリーD.ソローの墓に参拝した時の写真である。小さな暮石には簡潔にHenryとのみ刻まれていた。

フランスで世界で初めて人権宣言が出されておよそ230年が経過した。そして基本的人権が日本国憲法に明記されて70年以上が経過した。しかし、いつになったら極東のこの国の故人は、かけがえのない個人として認められるようになるのだろうか?