■ 25年前のクリスマスイヴ by T ― 2021/12/24
私たち夫婦は、クリスチャンではありません。だからクリスマスのお祝いはしません。何故ならば、くどいようですが、クリスチャンではないからです。
若かりし昔々は、訳もわからず、クリスマスを楽しんでいました。ちょうど25年前の1996年のクリスマスまでは・・。
1996年12月24日、私たち夫婦はドイツのケルン市にいました。クリスマスイヴの夜、世界遺産に指定されているケルン大聖堂のミサを訪れました。深夜0時になり、由緒正しき大聖堂の中に、皆さんご存知の「きよしこの夜」の讃美歌が流れました。ホンモノのパイプオルガンと生の聖歌隊による「きよしこの夜」です。
ふと、横の女性を見ました。何と、彼女はホンモノの涙を流してキリストの生誕を祝福しているではありませんか。とても美しい光景でした。
その時、僕は思いました。これからも軽薄に、信仰心無く、ケーキでも食べて騒いでいては、このホンモノのクリスマスイヴの、彼女のホンモノの涙を汚し続けることになるのでは・・と。
25日クリスマスの朝は、ベートーヴェンの生まれたボン市を訪れ、見知らぬ小さな教会に入りました。やはり讃美歌が流れていました。何て、音響の良いステレオ機材なんだろう、と思いきや、後ろを振り返ると、それはホンモノの聖歌隊でした。
ところで、この冬のドイツは寒さが厳しく、昼間でもマイナス10度以下。この時身に染みて思ったことが、もう一つあります。化学繊維のフリースや薄っぺらなダウン防寒具では全く歯が立たないことを。地元のドイツ住民は、天然のレザーや毛皮、100%ウール素材の防寒具でしっかり身を包んでいました。
ホンモノであること、これは生きる上で、とても大事なことだと思います。
いつの日か天に召される時に、自分の一生がホンモノであったと納得できるためにも。
若かりし昔々は、訳もわからず、クリスマスを楽しんでいました。ちょうど25年前の1996年のクリスマスまでは・・。
1996年12月24日、私たち夫婦はドイツのケルン市にいました。クリスマスイヴの夜、世界遺産に指定されているケルン大聖堂のミサを訪れました。深夜0時になり、由緒正しき大聖堂の中に、皆さんご存知の「きよしこの夜」の讃美歌が流れました。ホンモノのパイプオルガンと生の聖歌隊による「きよしこの夜」です。
ふと、横の女性を見ました。何と、彼女はホンモノの涙を流してキリストの生誕を祝福しているではありませんか。とても美しい光景でした。
その時、僕は思いました。これからも軽薄に、信仰心無く、ケーキでも食べて騒いでいては、このホンモノのクリスマスイヴの、彼女のホンモノの涙を汚し続けることになるのでは・・と。
25日クリスマスの朝は、ベートーヴェンの生まれたボン市を訪れ、見知らぬ小さな教会に入りました。やはり讃美歌が流れていました。何て、音響の良いステレオ機材なんだろう、と思いきや、後ろを振り返ると、それはホンモノの聖歌隊でした。
ところで、この冬のドイツは寒さが厳しく、昼間でもマイナス10度以下。この時身に染みて思ったことが、もう一つあります。化学繊維のフリースや薄っぺらなダウン防寒具では全く歯が立たないことを。地元のドイツ住民は、天然のレザーや毛皮、100%ウール素材の防寒具でしっかり身を包んでいました。
ホンモノであること、これは生きる上で、とても大事なことだと思います。
いつの日か天に召される時に、自分の一生がホンモノであったと納得できるためにも。