One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 積もらぬ先の梯子 by T2021/12/13

積もらぬ先の梯子
いつ雪が積もってもいいように、雪下ろし用の常設梯子を設置しました。
毎年、12月から3月まで設置したままにします。

写真のように、我が家の設計上、薪小屋からガレージ屋根にかけて、たった一本の折りたたみ梯子を設置するだけで、家全体の屋根に上ることができます。当然一番高い煙突トップにも行けます。

でも実際、積雪時は母家の屋根に上ることはありません。母家の屋根は5.5寸勾配のステンレス葺きなので自然落雪してくれるので。だから、せいぜいガレージ屋根に積もった雪を下ろすのみです。

とはいうものの、雪はいつ何時積もるか分かりません。朝起きたら数10センチも!ということもあります。そんな時、梯子を設置するのは大変なので、転ばぬ先の杖ならぬ「積もらぬ先の梯子」です。

■ いとも簡単な落ち葉清掃 by T2021/11/17

橋の玄関アプローチ
庭のケヤキが落葉し出すと、一気に積もり始めます。

天然の土の上に落ちた葉っぱは、落ち葉のカーペットみたいに絵になりますが、人工物の上では雑然とします。特に玄関アプローチに落ち葉が散乱していたら、訪問者に失礼でもあります。

我が家の玄関アプローチは、橋になっています。だから落ち葉が積もっても、ブロアでいとも簡単に吹き飛ばし、橋下の土の上に落とせばよいのです。毎朝の家の周りの清掃時間は5分もかかることなく終了です。

ブロアとは、エンジン動力の強力送風機です。濡れて引っ付いた落ち葉は竹箒だと掃くのが困難ですが、ブロアだと簡単に飛ばすことができます。

落ち葉の季節が終わって、雪の季節になっても、橋の上に積った雪を下にかき落とせば、玄関前の除雪が終了。

人生の中で、まさか自宅に橋を掛けるとは想像もしませんでしたが、想像以上に橋のアプローチは自然との共生に有効でした。

■ 有機的な家 by T2021/10/14

生活感漂う家
最近はシンプルであることが評価される時代であり、スッキリと無駄なモノを排したモダンな家が新築されています。外壁もガリバリウム鋼板でまとめられていたりする場合が多く、木板張りやサイディング張りに比べてメンテナンスフリー、維持管理が容易です。

しかし、このようなスタイリッシュでミニマルな家は、いざ住み続けるとなると結構神経を使って生活しなければ、ややもすれば生活臭が強く目立ってしまうように感じます。玄関先に落ち葉が散らばっていたり、洗濯物が見えたりするだけで、そのスタイリッシュ感が台無しになるような、メンテナンスフリーのようで、実は四六時中洗練された毎日を意識しなければならないのは、とても労力を要す高度なライフスタイル。少なくとも僕には到底できません。

コンクリート土間に落ち葉が堆積すると汚く感じますが、土の上に落ち葉が堆積しても自然に溶け込みます。同様に、生活するということは有機的な営みです。生まれ、成長し、老いて、還っていく。そんな人間の有機的な一生を自然な形で受け入れてくれるような、良い生活感漂う家が僕は好きです。

■ 歴史は繰り返す by T2021/09/26

石畳道
我が家の近くに縄文時代中期の遺跡である水上谷遺跡がある。隣町内へ行けば、弥生時代後期の須恵器登り窯跡や鉄精製窯の出土した丸山遺跡もある。

私たちが、現在の場所に土地を手に入れ、家を構えた理由の一つに、此処に原始人の営みがあったという歴史的根拠の存在がある。昔から人が住んでいたということは、直感的に住むのに適していると感じたからだ。

現代人の僕も、縄文人のように、庭に石を敷いて焚き火場をつくったり、石を積んで石垣を築いたりしている。これらの石の造形物が、数万年経過して、コナラの雑木林の中から出土する光景を想像するとワクワクする。

歴史は繰り返す。

数万年後のある人間が、その出土遺跡を見て、僕もここに家を建てようと思うかもしれない。昔の人類が生きた証を根拠に、直感的に此処に住みたいと思って。

■ 災害リスクに備えて by T2021/07/18

里山の森
先日、AさんがBさんに話していました。Bさんの家は海に近く、ハザードマップによれば津波や地震による液状化のリスクのある場所に建っています。里山に住むAさんはBさんに「その家を手放して、里山に引っ越すのがいいんじゃないの?里山はいい所だよ」と。

確かに里山には津波はやって来ません。でも、もし僕がBさんの立場だったら引っ越しはしないでしょう。引っ越しを考えるのは、実際に津波や液状化に見舞われ、本当に住めなくなってから。

何故ならば、もしもの仮定の話で引っ越すのも、本当に事が起こってから引っ越すのも、新たな住まいに支払う出費は同じ。いやむしろ、事が起こった時は災害保険によって出費が少なくて済むかも知れない。そして、事が起こらなければ、全く出費がゼロで平和に一生を海辺の家で過ごすことができます。

更に、僕がBさんの立場だったら、

災害の不安を解消するために今引っ越して資金を使うよりも、災害の不安をしっかり認識して今資金を残しておくことを選択します。急いては事を仕損じる。

皆さんは、どのような選択をしますか?

■ 新しい住医 by T2021/07/17

ドアノブ金具
天然無垢の木は、梅雨時のような湿度の高い時期になると湿気を吸収して膨張します。調湿効果があることは良いことですが、建具ドアが膨張して締まりが固くなったりすることがあります。

地元金山で家具や建具製造を行なっておられる谷地木工(やちもっこう)さんに、ドアノブ金具調整をお願いしました。ものの10分ほどで快適な開きドアに!

地元に相談しやすい木工職人さんがいらっしゃることは、とても有難いことです。我が家のかかりつけ住医さんが1人増えました。

近日中にもう一枚の開きドア調整を依頼しました。

■ 何度も家を建てる by T2021/07/14

家とは何か?
「建築をやりたかったら言語化しろ、デザインなど二の次だ。」
これは坂口恭平著『モバイルハウス三万円で家をつくる』(2013)の一文である。

言語化するとはどういうことか?それは、「家とは何か?あなたにとって住まいとは何なのか?」そんな本質的な問いを突き詰めていく作業だと思う。

家というか、住まいとは何かを突き詰めていくと、必然、生きるとは何か、あなたはどう生きていくつもりか、という問いに向わざるを得ない。住まいを考えるという作業は、生きることの本質を考えることにつながる。

ところが、住まいを本質的に考える作業を、いざ家を建てたり住まいを決める直前になって行うことは、時間を十分にかけることが困難である。現在のスピードの時代、自分で稼がねばならない時代にはとても困難であって、結局本質的な作業を飛ばして家の設計デザインに着手するのが多数派であろう。

本質的な熟慮作業のための時間が十分にあり、余命も十分にある時といえば学生時代である。小・中・高校・大学生等の時代である。この年齢時に、住まいについての本質的な問いに考えを巡らすことは、とても有効であると僕は考える。学校の授業科目に「住まい」という総合的学習時間があっても良いと坂口氏も前掲書に書いていた。何故なら如何なる人間も、死ぬまで何らかの形で住まいに住み続けるからだ。住所不定であっても今夜は何処かに住まう。

ところで、私たち夫婦に、偶然にも共通する過去の経験がある。それは小学生の時すでに家の見取り図や設計図を遊びで描いていた経験である。2人とも新聞の住宅チラシを見るのが大好きで、自分でも自宅の設計図を描いて遊んでいた。つまり小さい時から私たちは、何度も家を建てていた。頭の中ではあるが。

小さい頃の僕が頭の中で何度も建てた家の中で、現在の僕が特にお気に入りの案を一つ選ぶとすれば、こんな案である。

隣町の公園にSL蒸気機関車が展示されていた。小学生の僕は、機関車と客車を自宅にできるのではないかと思った。鉄の機関車が薪ストーブで、ニスの香りのする客車がリビング、食堂車がキッチン。そして公園の緑が我が家の庭、そんな家を頭の中で建てたのだった。

先人もおっしゃっているように、人生とは旅である。旅人は何処かからやって来て、何処かに去っていく。そんな一過性の旅であるが、旅には人生の必要が全て揃っている。住まいを考えると、自然に生きることや人生を考えてしまうものだということを、改めて感じている。

■ 一切れのパン by T2021/07/05

我が家のエアコン


今年の夏は今までとは違います。と申しますのは、4月に我が家初のエアコンが設置されたからです。1階と2階に各1台ずつ、それぞれ今までに1回ずつ試運転を行いました。効果抜群です。

とは言うものの、梅雨後半の蒸し暑い今日この頃、「エアコンをつけようかな」と思ってはみるものの、「まだ大丈夫かな」と結局つけずじまい。

実際に蒸し暑くても、エアコンというお守りが在るだけで、気持ち的に楽になり気分的に涼しくなったような錯覚を覚えるのは不思議です。

そんな時、ふと小学校の国語教科書に載っていた『一切れのパン』の物語を思い出しました。ストーリーはこんな感じでした。

第二次世界大戦中、敵国ドイツに逮捕された主人公は、仲間の者と収容所送りの貨車を脱走します。仲間と別れ際、脱走仲間のユダヤ人牧師が「パンをあげよう。でもなるべく我慢して食べないように。パンがあると思うだけで頑張れるから」と言って赤いハンカチ包みを主人公に手渡します。その後、主人公はとても辛い逃亡の日々を送り、その極限の中で何度も包みを解こうとしますが思いとどまります。そして国境を越え我が家にたどり着いた主人公は、妻の前で「このパンが私を救ってくれたんだ」と言い、包みを開けました。すると、中から転がり出たのはパンではなく、一片の木端でした。

「暑いねえ」と洩らせば、「そうね暑いわね」と返してくれる。その存在は、ただ返してくれるだけで何か実際に涼しくしてくれるわけではない。でもそういう存在が居てくれるだけで、長い人生何とかやっていける。人間とは不思議です。

■ 拝啓 貧乏神さま by T2021/06/18

階段蹴込み板の隙間
ある人が言っていました。使わないモノや壊れたモノは貧乏神を呼ぶと。

確かに使わないモノや不要のモノが家の中にあると片付かなくて、必要なモノを探すのに時間を浪費します。また、使わないモノが占有している面積分の固定資産税が無駄に支払われているとも言えます。

冷蔵庫の中も、無駄な食品が詰まっているだけで電気料金が無駄に浪費されたり、食品を腐らせたりします。確かに貧乏神が住み着いているようです。

ところで、家の中で最大の無駄で使わないモノ、何だと思いますか?

僕が考えるに、家の中で最大の無駄で使わないモノ、
それは使わない部屋・空間。
無意味に掃除しなきゃならないし、換気しなきゃならない。放っておいたら床や壁がカビるし痛むし、それこそ毎年多額の固定資産税を無駄に支払わねばなりません。大きな家、広い部屋こそステイタスシンボルといった見栄心こそ無駄なモノかも知れません。

だから、自分が家を建てる時は、絶対に小さな家にすると決めていました。
さらに!

貧乏神が隠れることのできないよう、床下基礎内もベースメント・ピロティとして自転車置き場として活用。天井裏もロフトとして季節収納場所に活用しています。

とはいえ、貧乏神(黒闇天)は福の神(吉祥天)と姉妹とのこと。貧乏神を追い出したら福の神も出て行くそうです。あまり完璧を求めず何事もほどほど。

ところで、直感的に僕は、我が家の貧乏神さまの気配を階段下納戸つまり神棚の下に感じるのです。別に根拠はありませんけど。だからなるべく納戸内も整頓し、掃除機をかける時は納戸内もかけて、居心地の良い空間に心がけています。

写真は、納戸の換気を促すため、敢えて階段蹴込み板に隙間を作ってもらいました。

■ ミッション完了! by M2021/04/24

昨年の10月に始まったミッション。それはエアコンの設置でした。

元来家電嫌いの私のスイッチを入れたのは「米三本店」に展示したあったDAIKINのエアコンrisoraでした。

あーでもない、こーでもないと数ヶ月。エアコンの設置と同時にカーテンもつけて2階全体を冷やそうという目論見でした。
カーテン

キッチンのエアコンは、冷凍冷蔵庫の色に近いパネルを選びました。最初からそこにあったかのような収まりに感激!
エアコン_キッチン

寝室は、紆余曲折がありましたがネイビーのパネルを選択しました。
寝室の障子を張り替え、紺色を加えたのは正解だったようです。
エアコン_寝室

当初はエアコンを設置する壁にファブリックパネルを飾ろうと思っていました。しかし、3月末に本体が設置され、パネルでは華奢すぎるような気がして、クッションを置くことに。

カーテンの生地を探していたときに見つけたお店のものを購入しました。同時に、ティッシュケースも。

また、TVカバー等もネイビーの帆布で手作りし、統一感を持たせることができたのではないかと思います。

3ヶ月考え、3ヶ月待ち、昨日完了したエアコン設置というミッション。思い立った日から今日まで、存分に楽しむことができました。

生まれて初めてのエアコンがある夏の訪れが待ち遠しです。