One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 里山の家で巡る世界遺産 by T2021/08/28

『老人と海』
海外旅行が困難な現在でも、世界遺産を巡る旅は可能だと僕は考えます。
それは世界遺産並みに価値のある本を読むことです。時間の経過にも決して色褪せない古典的名作は世界文学遺産だと僕は認識しています。

縁あってこの世界に生を受けたこと、それ自体宝くじに当選する以上に奇跡とも言えるでしょう。そんな貴重な一生ならば、できる限りこの世界の至宝とも言うべき著作物を自分の目で読んでから死にたい、そう皆さんも思いませんか?死んでからは絶対に読めません。

とは言うものの、読書はある意味で投資だと僕は考えます。その本を読むに値する代物かどうかは、ある量の時間と労力を注ぎ込む必要があります。せっかく時間をかけて読んだのに、自分には無意味に思えたとなれば大きな損失。

しかも、古典的著作物はそれが書かれた時代の時間の流れ方に立脚して書かれています。つまり時間の流れが感覚的に速い現代の忙しさにおいて、例えば、フルタイムで働いている日々の中で『カラマーゾフの兄弟』をじっくりと読むことは、結構しんどい。現代において『カラマーゾフの兄弟』を集中して読むには、作者ドストエフスキーのように刑務所に入れられ、享楽自由を奪われた環境に身を置くのが必要かも知れません。

そんなことを考えていたら、先日ある中学生の部屋にヘミングウェイの『老人と海』が書棚に置かれていました。そうだ!短い名著を片っ端から読めば良いのだ!

ところで『老人と海』は、ヘミングウェイがノーベル賞文学賞を受賞することに大きく寄与した名作。舞台はキューバ沖の海での物語ですが、山で逞しく生き抜きたいと願っている自分にも大きな示唆を与えてくれます。

■ 思い出のグリーングラス・オブ・ホーム by T2021/06/25

ジョーンバエズ
森山良子さんが歌ってヒットした『思い出のグリーングラス』、その原曲となったのは、1965年にカーリープットマンが発表し、翌年トムジョーンズが歌って大ヒットした『Green,Green Grass Of Home』。

森山さんの方の歌詞はとても牧歌的で、里山風景にピッタリですが、実は原曲の方は、けっして牧歌的とは言えません。原曲は、死刑囚が処刑前夜に見た故郷の美しい緑の夢を語っており、夢が覚め現実に引き戻された死刑囚は処刑後、再び故郷の美しい芝生の中に還る(埋葬される)であろうというリアリティを歌うものでした。

そんな生々しい歌の意味を僕が知ったのは、このジョーンバエズのベスト盤LP。このレコードは、妻の実家が取り壊され新しく建て替えられる直前、集められた廃品の山の中から頂いてきたレコードでした。まさに処分され(そうになっていたところ)、縁あって再び里山の緑の中に戻ってきた逸品というわけです。

ちなみに、妻が語るには、このLPレコードは現在東京に住んでいる団塊の世代の叔母が、若かりし頃購入したレコードであろうとのこと。

歴史はレコードのターンテーブルのように繰り返され、次世代に受け継がれていきます。良きにしろ悪きにしろ。

■ 夏 眠る by T2021/06/14

夏仕様の室内
薪ストーブを焚きたくて里山に家を建てた。よって我が家は薪ストーブを中心に設計された。我が家の薪ストーブは、暖房効率や使い勝手を考えた結果、家の一階中心にある。しかしながら、夏になったといって、薪ストーブを移動させ片付けることは当然できない。

それならば、薪ストーブ以外の移動可能な家具などを動かし、夏仕様にすれば良いと私たちは考えた。ある問題が生じた時、不可能なことは考えず、可能なことだけにエネルギーを注ぎ問題解決を図ればよい。

一階フロアにて、大きな存在感を示しているザ・コンランショップオリジナルソファーの「ウィンスロー」。このソファーの背もたれを薪ストーブ側に合わせる。

このように冬夏別仕様の配置にするようになって15年ほど。冬は炎を眺めながら寛ぎ、夏は里山の木々を眺めながら過ごすようになった。

梅雨入りしたような昨日の日曜休日。ストーブメンテナンスも終了し、ソファーを移動させ、先ず傾聴したのはショスタコーヴィチ交響曲第5番『革命』指揮エフゲニームラヴィンスキー 演奏レニングラードフィルハーモニー 1984年

野獣眠るべし 歳月は情熱の炎を消し去り そこに温もりだけを残す

■ となりはトトロ?それとも億万長者? by T2020/07/31

トトロの森?
『となりの億万長者』というベストセラー本があります。初版は1997年(改訂版2013年)、世界に大きなパラダイムシフト(社会的認識の大転換)を生じさせた本です。

この本は、アメリカにて1万人以上の億万長者を取材・調査し、7つの法則を導き出しています。総じて、ミリオネア(一億円を超す資産家)とは意外なほど目立たず地味な暮らしをしているということです。私たちは一部のマスコミ報道によって、一部の億万長者の華麗なる暮らしを知り、全ての億万長者がそういう暮らしであると般化しがちです。そして自分とは異次元の人種であると、僕のような凡人は思ってしまいがちです。しかし実際はイメージと異なることをこの本は実証しました。

ここで、その7つの法則を紹介します。すなわち億万長者とは、
①収入より低い額を支出し生活している。
②資産形成のために時間、エネルギー、お金を効率よく配分している。
③お金の心配をしなくてもよいことが、世間体を取り繕うよりも大事。
④社会人になってからは、親からの経済的援助無し。
⑤子どもは経済的に自立している。
⑥ビジネスチャンスをつかむのが上手い。
⑦ピッタリの職業に就いている。

日本国民は、約65兆円の歳入(収入)でもって100兆円を超す歳出(支出)の暮らしをしています。①の法則から考えると、決して豊かになることはできないということです。日本国民は、1000兆円の借金を抱える親に、更に経済的援助や補助金をせがむ暮らしをしている人間のようです。つまり⑥の正反対の人間です。

田舎・地方は、国からの地方交付税や国庫支出金それに各種補助金に依存しないとやっていけないという最初から依存的な意見が存在します。でもそれは将来的に問題の根本解決になるのでしょうか?

「僕の住む里山にはトトロがいっぱい住んでいるけれど、同時に、ご近所には目立たず慎ましく、でも実は経済的に自立した億万長者が多いんだよね」と言えるような豊かな里山であって欲しいです。

■ ホンモノのロックは小さな音量でも聴かせる by T2020/05/31

ジャニス・ジョプリン

5月30日のNHK FMラジオ『ウィークエンドサンシャイン』にて、聴取者からのこんなメッセージがとても印象に残った。
「ロックと言えば大音量で聴かせるものというイメージがあるけど、先日亡くなったリトルリチャードなんかは、小さな音量で聴いても十分ロックしている。」

同感である。
ということで、DJのピーターバラカン氏はハウリン・ウルフのHow Many More Yearsを流していた。Good選曲!

余りにも良かったので、その日の夕食のBGMにハウリン・ウルフのアルバム『Moanin’ In the Moonlight』を、外のウグイスの鳴き声が聞こえるくらいの音量に絞って流した。

そういえば、昨年夏、町内のラジオ体操が始まる直前の朝6時過ぎ、小学校のグラウンドにNHK AM放送からサンタナSoul Sacrifice が小さく流れていたの思い出した。朝の6時にしかも微かに聴こえてくるサンタナ・バンド。それでも完全にロックしていた。

Doors然り、CCR然り、Free然り。ホンモノのロックは小さな音量でも聴かせる。ジャニス・ジョプリンなぞはジャケットを眺めているだけで聴こえてくるようだ。

中身の無いヤツほど大声で誤魔化す。調子のいい輩ほど大風呂敷を広げたがる。八方美人ほど美辞麗句を並べ立てる。これはロックだけに限ったことでは決してない。

A barking dog seldom bites.(弱い奴ほどよく吠える)
自分も反省します、ハイ。

■ 千載一遇の本 by T2020/04/25

ヤマブキ
先日ブログの記事にも書いたが、A.カミュの小説『ペスト』が世界中で再読されているそうだ。『ペスト』以外にも、こんな時世だからこそ読むに適している本は何か、考えてみた。そして僕が出した答えは、断トツでドストエフスキー。

ドストエフスキーの小説『カラマーゾフの兄弟』。通称ドスカマと勝手に僕が呼んでいるこの人類史上屈指の大作は、人生で一度も読まずにこの世を去るのは、人間として最大の罪であり罰であり、最大の後悔、そう思いませんか?くだらない世界遺産を観光旅行するために大金を浪費するくらいなら、ドスカマを町の図書館で無料で借りてきて、家で静かに読んだ方が遥かに有意味。しかしながら今の時代、社会人として責務を果たしつつドスカマを熟読するには時間のスピードがあまりにも早すぎ、あまりにも多忙すぎる。ドスカマは19世紀的高等遊民の読み物であり、現代にはドスカマを読むシステムが存在しない。しかし!
このご時世は千載一遇のゴールデンタイム。皆さん黄金週間にチャレンジしてみますか?

とはいえ正直、僕はドスカマを再読する気分になれない。それは季節の問題。春から初夏へ、こんな活動的になる季節に、たとえ時間が腐るほどあったとしてもドスカマを手に取ることはできない。かつてドスカマは(たったの)2回読んだが、2回とも雪深い真冬だった。

というわけで、僕のお薦めはドストエフスキーの『死の家の記録』。このルポルタージュに極めて近い、ドス本人のシベリア獄中記録的小説では、孤独な自己検証と同時に、民衆といった他者観察を鋭く展開している。コロナという名の監獄で、本性を露わにし出した人間Das Manをじっくりと観察せずにはいられない今この時こそ『死の家の記録』には最適の環境。

さてさて、実際には、僕自身はこの場に及んで何を読む? 即決した。
トーマス・マンの教養小説『魔の山』。これで決まり!
結核という病と第一次世界大戦。新型コロナ肺炎という病と外出自粛という不自由

まさに『魔の山』である。

■ 小説『ペスト』 by T2020/04/05

山桜
新型コロナウイルス流行を契機に、世界中でA.カミュが著した小説『ペスト』(1947)を再読する動きが強まっていると聞いた。『ペスト』は十数年前に僕も一度読んだことがあった。でも『異邦人』や『シーシュポスの神話』に関しては再読してきたが、『ペスト』に関しては再読していなかった。先日、これを機会に家の書棚に残っていた『ペスト』を読み直してみた。

ペストとは、かつて恐れられた怖い伝染病。それは抽象的すぎるほど静かに退屈すぎるほどありきたりの日常隅々まで浸潤してくる。ペストは善悪分け隔てなく極悪犯罪人にも感染すれば、罪の無い無垢な乳幼児にも感染する。その不条理はつまるところ生きる意味というものを考えずにはいられない状況に人間を追い込んでいく。

とはいうものの、生きる意味とはあたかもスローガンを掲げるように単純明快に宣言できるものであろうか。僕はそんな単純明快さに正直寒気を感じずにはいられない。それとは反対に、生きる意味を常に悩み考え続ける、その思考の誠実さに対してこそ僕は敬意を払いたいと思う。

人間の努力というものは、ペストに感染しようがしまいが、コロナに感染しようがしまいが、遅かれ早かれ最終的に死によって無に帰す。そんな運命を承知つつも、ペスト以上に静かに単調に日々なすべきことを行い、決して死とは最後まで和解せず死んでいく不条理な人間。

今日も、日常の単調さ退屈さに耐えかね自ら感染を拡大させていく世界の人々。今こそ生きる意味を問い続けるチャンスである。死を考えることは今どう生きるかを考えることである。

■ 2月26日 置かれた場所で by T2020/02/27

雪をかぶるマンサクの花
かつてノートルダム清心学園理事長だった渡辺和子氏は『置かれた場所で咲きなさい』という本を残してくださいました。とても良い本だと思います。最も好きな箇所は「置かれた場所で咲きなさい」というタイトルそのものです。

「置かれた場所」とは、生まれた場所や家といった一か所にしがみつくという三次元空間としての場所の意味であると僕は解釈しません。「置かれた場所」とは、自分がこの世に産み落とされた運命や条件の比喩としての言葉だと解釈します。「置かれた場所で咲きなさい」とは、産み落とされた自らの運命を自ら赦すことのように思えてきます。運命を自ら赦すところから、人間は人生に自ら責任を担う決意が生まれると思うわけです。

「こんな世の中に私は産んでくれと頼んだ覚えは無い」という子どもの言葉に親はどう弁論できるでしょうか?あなたが親だったどう弁明しますか?
この命題に答えることのできる人間は親でなく、当事者である子ども自身しかいないように僕は感じます。
子ども自身が自らの運命を赦し、運命を受け入れ、自らの人生に責任を担うことしか、その答えは無いように思えます。

渡辺和子氏の実父は、1936年2月26日いわゆる二・二六事件で悲惨な死を遂げた教育総監渡辺錠太郎氏です。渡辺氏は幼い和子氏に座卓の後ろに隠れるよう目配せしつつ43発の銃弾を受け亡くなりました。和子氏はその現場を目撃しました。

一つの厳しい赦しの人生。


私たち夫婦で辿り着いたこの里山で、自ら選んだ人生に責任を担ってベストを尽くす。現在の僕にとっての「置かれた場所」だと考えています。

「根を下へ下へと伸ばしましょう」
         『置かれた場所で咲きなさい』より

■ 人間とは何か… by M2019/11/23

『神(イマーナ)の影 ルワンダへの旅―記憶・証言・物語』
今日は「人間とは何か」を考えざるを得ない書籍の紹介です。

ヴェロニク・タジョ著『神(イマーナ)の影 ルワンダへの旅―記憶・証言・物語』、村田はるせ訳、エディション・エフ
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「起こったことはわたしたちすべての人間にかかわりがある」(本文より)
1994年、ルワンダでジェノサイドが勃発する。大惨事の傷跡の癒えぬルワンダで1998年、アフリカ人作家によるプロジェクト「ルワンダ、記憶する義務によって書く」が実施され、コートジヴォワール人のヴェロニク・タジョも参加者に名を連ねた。本書はその旅での人々との出会い、目撃したさまざまな事象からタジョが熟考を重ね、言葉を紡ぎ、書き記した一冊である。2000年にフランスから L'Ombre d'Imanaとして刊行された原書の全訳。

【推薦の言葉】(帯文)
「ルワンダの悲劇」から25年。この間も人類は殺戮をやめようとしない。著者は旅で出会った真実を書き記し、人びとの記憶から人間模様を描き出した。物語はわたしたちに、共生社会のあり方について思考する機会を与えてくれる。(ウスビ・サコ、京都精華大学学長)

「読者諸氏には本書をきっかけに、ルワンダに思いを馳せ、ジェノサイドとは何であったのか、人間とは何かを考えていただきたい。この本が、遠い異国の他者を想像する一助となるよう願ってやまない。」(村田はるせ、訳者あとがきより)
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Amazonサイトより引用

喉の奥から絞り出すように記された辛く、悲しく、悍ましい出来事は、想像を絶するものでした。読み進めるのが辛く何度も本を閉じました。しかし、読まなければならないと思わせる内容であり翻訳でした。何度も読み返す価値のある作品だと思います。

訳者の村田はるせさんは富山県立山町在住で絵本を中心にアフリカ文学を日本に紹介されています。よろしければこちらのサイトもご覧くださいませ。
http://ehonmurata.septidi.com/aboutme

■ Led Zeppelin Ⅳ … by T2019/10/06

Led Zeppelin Ⅳ

涼しくなってようやくレド・ゼペリン(Led Zeppelin )のアルバムが聴きたくなってきた。

日本ではレッド・ツェッペリンと表記されるが、音楽評論家のピーターバラカン氏によればレド・ゼペリンと表記した方が発音としてより近いとのこと。

かの世界的指揮者カラヤン氏も絶賛したらしい名曲「天国への階段(Stairway to Heaven)も良いが、僕はその前曲「限りなき戦い(Battle of Evermore) 」も大好きだ。1960年代に活躍した英国フォークロックバンド、フェアポートコンヴェンションの女性ヴォーカルであるサンディ・デニーが参加していて、聴く人を微妙な世界へ連れて行ってくれる。

今や英国ハードロックの古典の域に達した感のあるレド・ゼペリンは、里山雑木林の中で聴くにはベストマッチだと僕は断言する。その証拠にアルバムジャケットのデザインを見て欲しい。

大の大人が若者に媚びようとして今流行りの曲を聴く姿には、この上ない痛さというものを感じる。その姿は芯の無い田舎人が都会に媚びる姿にシンクロする。

赤ちゃん返りすることなく、堂々と、時代を超える音楽を次世代に継承していくのは年配者の責務である。