One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 音と視覚の暖かさ by T2018/02/13

KAKIのオーディオ・ラック
寒い日に聴く音楽があります。それはサッチモの歌声とトランペット。サッチモことルイ・アームストロングの音色が流れると気温が確実に2度は上昇する気分。今流れているのは1956年、エラ・フィッツジェラルドとの共演音源CD。

我が家ではCDもLPもレコードと認識していますが、寒い夜、少しでも暖かさを求める時は、やっぱりLPアナログ・レコードが良いですね。というわけで、ビル・エヴァンズ・トリオの『ポートレート・イン、ジャズ』に変更。

ターンテーブルを回転するレコード、薪ストーブの揺らめく炎、雪明かりの青い夜。

プレーヤーとアンプを納めているのは、KAKIのオーディオ・ラック。現在はKAKIを独立しbud-dueを設立したタマちゃんが作ってくれました。その事実も暖かさの熱源です。

■ 草葺きと瓦葺き by T2018/02/08

宮本常一著『日本人の住まい』についての続きです。

今回は屋根の葺き方についてです。和風(日本風)住宅と言えば瓦葺きだいう認識があるとするならば、それは明らかに誤りだと僕は思います。瓦葺きは6世紀に仏教と共に朝鮮半島より伝来しました。日本列島で現存する最も古い瓦屋根は、奈良市にある元興寺の屋根(の一部)です。一度私たち夫婦も見学したことがあります。そこだけ瓦の色が異なっていました。これはもともと蘇我馬子が飛鳥に建てた飛鳥寺の瓦を移したもので、まさに聖徳太子の時代、仏教伝来の時代のものです。仏教は大陸からの外来文化でして日本発祥のものではありません。同様に瓦も大陸文化の一つです。

では日本古来の神様信仰、神社建築はどうでしょうか?伊勢神宮の萱葺きや出雲大社の檜皮葺きなど、古く由緒正しい神社は決して瓦葺きではありません。そう考えると、草葺きの古民家の方がより和風(日本風)と言えるでしょう。

明治時代になるまで、庶民は瓦葺きが許可されませんでした。農民は草葺き、町民の町屋は板葺きでした。でもこちらの方が日本の神々の系統を引く伝統的屋根だったのです。近現代になり、瓦の大量生産が可能となり庶民の瓦屋根住宅が多くなりました。

僕は当初から瓦屋根に興味がありませんでした。かといって維持管理の面から草葺きにしようとも思いませんでしたが、伝統的な草葺きの要素を取り入れ、軽量で雨流れの良い傾斜のあるステンレス屋根を選択しました。そして軒を出し、雨樋を付けない屋根を選択しました。雨樋は草葺き屋根に存在しません。当然伊勢神宮にもありません。

私たち夫婦が瓦を選択しなかった理由は、雨対策、雪対策、防風対策、そして地震対策です。瓦は重い。そしてずれる。ずれると雨漏りします。日本は雨が多いのです。また雪が積もるとさらに重くなります。富山は雪が多いのです。重いところに地震がやって来ると家が潰れる心配があります。日本は地震がとても多いのです。雨雪が多く地震の多い日本の風土には、やっぱり日本古来の伝統的草葺き屋根から学ぶのが良いと考えました。

自分の住む地域の風土や条件を考慮して合理的に家造りを考える場合、歴史から学ぶことはとても有効だと思います。

「自分の歴史を忘れた民族は滅ぶ。」 A.トインビー(歴史家)


屋根の積雪0cm
写真説明 :久々の豪雪で周囲は60センチ以上の積雪の中、我が家の屋根の積雪は0センチ。長く伸ばした軒は、肘木(ひじき)部材で支えています。軒を伸ばせるのもステンレス屋根で軽いから可能なのです。家に感謝です。私たちは家に守ってもらっています。


ウサギの足跡
写真説明 : 家の近くに見られた野ウサギの足跡です。軽妙な動物は雪に埋もれず逞しく生きています。


■ 続・土間と高床 by T2018/02/08

屋根雪山脈
前回、旅する巨人と呼ばれた宮本常一氏の土間と高床に関する考察について、記事を書きましたが、その続きです。

宮本氏は、土間は寒い北方系、高床は暑い南方系と述べていましたが、高床は雪国にも適していると僕は思います。屋根雪を自然落雪させた場合、家の周囲にはかなり高い雪の山ができます。家が雪に埋もれないためには基礎の高い高床構造が適していると思われます。冬場に冷風が床下を通るのを防ぐために、基礎の開口部を扉などで閉じるような仕組みにしておけば問題ありません。積もった雪の山脈も防風効果を発揮してくれます。

極寒のシベリアなどでは、地面を覆う永久凍土が室内の熱で溶け、家が傾くのを防ぐために、敢えて高床建築にしたりしています。よって高床は暑い地域のみに適しているのではなく、寒い雪国にも適していると僕は考えます。

もう一つ土間と高床に関して、宮本氏は面白いことをおっしゃっていました。それはそもそも仏教寺院は土間建築だったということです。現在のお寺は偉いという意識が高くなったのか高床建築が多いですが、仏教が日本に伝来した頃の法隆寺金堂や東大寺法華堂などは土間に須弥壇を設け、仏様を安置しています。それに対し高床倉庫から発展したような神社建築は全て高床です。土間の神社は存在しません。

貴族の寝殿造や武士の館は高床です。これは家で作業労働をしない人間の家に見られる特色です。それに対し家の中で農作業をする農家には土間が必要となってきます。この点からして仏教が土間建築だということにとても興味が湧きます。生きとし生けるもの全て平等といった平和的思想の仏教に通じるものを感じます。

写真は、我が家の高床基礎の周りにできた屋根雪山脈です。高床だからこそ屋根雪を自然落雪させることができます。

■ 土間と床、カマドとイロリ by T2018/02/07

『日本人の住まいー生きる場のかたちとその変遷ー』
民俗学者、宮本常一氏の研究をまとめた書『日本人の住まいー生きる場のかたちとその変遷ー』はとても示唆に富んで面白かった。

その中で特に面白かったのは、「土間と床の結婚」である。縄文時代の竪穴住居は土間住まいの原型であり、そこに南方から稲作が伝来し、収穫物の保管のために高床倉庫、いわゆる床建築が出現した。高温多湿な南の地域には高床文化が発達し、寒い北方は土間文化と氏は述べている。

土間は農作業や煮炊き調理に適し、床は寝食生活空間に適している。北陸や東北地方の農家には土間と床の結合した家が見られるとのこと。例えば五箇山の合掌造りの家などがそうである。

しかし最近の住宅は、家で作業する場面も少なくなり土間無し、あるいは土間スペースの小さい家が増えている。

また、カマドとイロリ。「土間と床の結婚」した家ではカマドは土間に、イロリは床にある。現在の調理は床上キッチンになっているが、これはガスや電気といった熱源を使用するから可能になったわけで、薪で調理するとなると土間になるであろう。

僕は、「土間と床の結婚」したような家に憧れる。そしてカマドの火とイロリの火のある家に憧れる。イロリの火は我が家では薪ストーブに相当する。あとはカマドの火が欲しい。クッキングストーブにも憧れたことがあるが、富山の暑い時期に室内クッキングストーブは非現実的と思っていたが、比較的屋外に近い土間スペースならば可能ではないかと思った。

土間から煙突を立ち上げ、クド(煮炊き場)及び石窯(オーヴン)及び燻製窯として薪を使った調理場所=カマド(もしくはクッキングストーブ)があると面白い。そうすれば伐採した樹木の枝や細い幹など、薪に使いずらい部分を調理燃料として有効活用できるのではないか。

我が家の場合、砂利敷きの車庫の一部をコンクリート土間打ちして、煙突付きカマド(もしくはクッキングストーブ)を設置することも可能である。しかもその場所は勝手口及び室内キッチンに近い場所でもある。でも優先順位としてはまだ先のことであるが・・

家造りはずっと続く。我が家には入居記念日はあるが完成記念日は無い。

■ There Is a Mountain(邦題:霧のマウンテン) by T2018/01/06

オールマンブラザーズバンド 1971年
ドノヴァンの名曲「There Is a Mountain」。僕がこの曲を知ったのは、オールマンブラザーズバンドの名盤『At Fillmore East 』のデラックス・エディションCDに於いてだった。でもバンドの演奏はインストルメンタルだったので歌詞の存在を知らなかった。先日遅ればせながら、オリジナルはドノヴァンだということを知り、その歌詞の内容も知った。

  ウチの庭の門の錠前にカタツムリ、まさにそれなんだ。 
  初めに山があって、それから山がなくなって、またそこに山がある。
  イモムシが脱皮して、内側に蝶を発見する。
  雪が向こうの丘に積もって、辺りを見えなくしてしまう。

そうなんだ。それが我が家One’s Wayなんだと正直僕は思った。
家は家であって家でなくて、やはり家なんだ。
まさに世界は認識でできているんだ。
すごく共感できた。とてもすごく。

ともあれとても良い曲だから、みんなも聴いてみて。
ちなみにドノヴァンはスコットランドのグラスゴー出身。スコットランドに是非行ってみたい!

でも写真はオールマンブラザーズバンド 1971年

■ 我が家のルーツの一つは… by M2017/12/14

The New Cottage Home
先に我が家は高床式倉庫を模して建てたことを記事にしました。
http://onesway.asablo.jp/blog/2017/12/01/8738394

また、雑誌「チルチンびと」をバイブルとしたことや、そのきっかけとなった書籍「200年持ち家がほしい」のことも記事しました。
http://onesway.asablo.jp/blog/2017/12/02/8738558
http://onesway.asablo.jp/blog/2017/12/02/8739252

思い返して見ると、他に多くの書籍、人、古い建造物など、多くの影響を受けてできた家なのだと今更なが実感しています。

今日の写真はアメリカ合衆国で出版された書籍です。1998年に出版されています。当初、私たちは富山市粟巣野にある家具工房「KAKI」のライフスタイルに憧れ、「KAKI」の側で家を建てようとしていました。当時の代表の故柿谷誠さんから洋書をみることを勧められました。東京の青山にある嶋田書房を教えていただきました。上京の度に嶋田書房を訪れ、少しづつ参考にしたい書籍を買い求めました。それらの中で、もっとも参考にした書籍。

シンプルな作りでありながら、深みを感じる建築、そしてインテリアに見飽きることはありませんでした。入居してからも度重なるリフォームの度にページをめくり参考にし続けています。

■ 3つの火 by T2017/12/04

暖かく明るいところ
今日の天気予報は午前中は晴れ、午後から雨とのこと。そして雨を境に冬型の気圧配置になり、富山は雨雪が多くなりそう。

早朝5時30分、薪ストーブに着火。

6時30分、辺りがようやく明るくなり始め、焚火場に着火。海洋深層水が7リットルほど残っていたので今年最後の里山の塩作りを開始。

雑木林のヒサカキを剪定し、枝を神棚に供え、それからゆっくり朝食。その間時々塩作りの焚火に薪をくべたりする。

10時、里山の塩作りが落ち着いたところで、昨日森から伐り出した薪原木の整理をしながら作業場の燃やし場で剪定枝を焚火、暖をとりながら且つ剪定枝の処理。これから積雪の時期を迎えるにあたり作業場がスッキリ片付く。

12時、雨が降り出す前にもう少し外作業を続行。ダイコン、ラディッシュ、小松菜を収穫し、ダイコンは洗ってからベースメントへ保存。ムシロをかけて冬籠り。

昼食を食べてティータイム、ボチボチしてる頃に雨が降りだす。焚火場と燃やし場の火の用心はこれで安心。

雨が本降りになってきてから、妻とお歳暮の品やお正月用の御神酒などの買い物に。途中写真のプリントや郵便局に寄って帰宅。それが16時。

我が家の薪ストーブは正午頃からフェードアウトしていたが、室内は19℃。これから夜にかけて冷え込む予想なので再び着火。

本日、我が家にある3つの炉床は全て火が灯り、「清潔でとても暖かい場所」になった。

「この世は全て無であって、人間もまた、無、なんだ。要するにそれだけのことだから、光、がありさえすればいい。それに、ある種の清潔さと秩序が。」
E.ヘミングウェイ 「A Clear, Well -Lighted Place」
高見浩 訳「清潔でとても明るいところ」より

■ きっかけは『二百年もつ家が欲しい』 by M2017/12/02

二百年もつ家がほしい
今朝の記事で家づくりのバイブルは雑誌「チルチンびと」と書きました。改めて、本棚を眺めると、それ以前に影響を受けた書籍『二百年もつ家がほしい』が「チルチンびとの前に僕でしょう!」と語りかけてきました。

この本を手にしたきっかけは思い出せませんが、結婚直後、いつかは家を持ちたい、家を建てたいと思った直後に購入したような気がします。

出版年は1988年、購入したものは1991年9月10日第6刷と記されていました。

建築に関しては全くの素人の著者伊藤勝さんの家づくり奮闘記です。細かい記述は忘れました。ただ、影響を受けた事実だけは、強く記憶に残っています。雑誌やテレビコマーシャル、住宅展示場など、一般の人が家を建てようと思った時に容易に得られる情報では、二百年もつ家は建てられないということはすぐに理解できました。

二百年後は私たちはこの世にいません。それなのに二百年もつ家を建てる必要はないだろうと言われればそれまでです。ただ、私たちは、午前中にあげた記事に書いたように環境問題に関心があり、アレルギーがあり、健康に安心して暮らせる家に住むことを望んでいました。また、日本の木造建築が千年を超えて残っているにも関わらず、現代の住居が一世代、つまり30年もたないことへの懐疑もありました。

プラス夫には薪ストーブが絵になる家という一番の夢があったのですが…。

夫が記事にした高床式、軒を出すなどの要望の発端も元をたどればこの『二百年もつ家がほしい』だったのかもしれません。

「オリジナルなんてない」ということを聞くことがあります。我が家もオリジナルなのではなく、先人の知識や技術をそれぞれの立場でインプットして、施主である私たちと設計士の天野さん、そして大工の宮田さんのアウトプットの結晶が我が家”One’s Way”なのかなあと、今更ながら思っています。

■ バイブルは「チルチンびと」 by M2017/12/02

雑誌「チルチンびと」創刊号-第19号
雑誌「チルチンびと」を知ったのは1997年の夏の終わり、ドイツの環境メッセが取り上げられた創刊2号が出版された直後でした。当時、家づくりの相談にのっていただいていた設計士の内記悦子さんに教えてもらいました。

1990年代の初頭、私たちは食の安全を皮切りに環境問題に関心を持ち始めていました。その流れで住まいの安全についても考えるようになっていたのです。

始めて手にした「チルチンびと」に書かれていた「チルチンびと宣言」に私たちの魂は射抜かれました!直ぐに創刊号を取り寄せて、その後の家づくりのバイブルにしたのです。

***************************************
私は小さな家をつくろうと思う。
簡素な家をつくろうと思う。
とても普通だけど幸せな家を。

私は風を感じる家をつくろうと思う。
雨の音が静かに響く家をつくろうと思う。
都会にあっても自然と寄り添う家を。

たとえば、
そんな「私」がチルチンびとである。

私は故郷になる家をつくろうと思う。
ずっと愛していける家をつくろうと思う。
時間とともに美しくうつろう家を。

私はマナーのいい家をつくろうと思う。
ルールを守った家をつくろうと思う。
街に社会に時代に調和する家を。

たとえば、
そんな「私」がチルチンびとである。

誰かがつくった夢をもらうのではなく、
隣を横目で覗くのでもなく、
自分の主張としての、自分の生き方としての
私の家をつくっていこう。

たとえば、
そんな「私」がチルチンびとである。
*****************************************

「チルチンびと」に出会えたことに悦びを、「チルチンびと」を教えてくださった内記悦子さんに感謝を!

写真は創刊から新居への入居1年までの間、住まいと生き方のバイブルとして購入した雑誌「チルチンびと」です。

■ いつになったら完成するのだろう… by M2017/12/01

今の家に住み始めた当初数年、テレビ番組や雑誌の取材を何度か受けました。その時に夫が「この家に完成はありません」とレポーターの質問に答えていたことを思い出しました。

変化し続ける家なのです。

トイレにドアがない!
実際、住み始めた時は建具が全くありませんでした。トイレにも!玄関はありますが、道路からのアプローチ(橋)がかかっておらず、開かずの玄関。その後、木製の橋をかけました。さらに、デッキの素材を変更したり、玄関アプローチの橋を木製から金属製に架け替えたり、床下をコンクリート土間打ちにしたり…
玄関を使えない!

この後も、デッキを伸ばしたり、車庫を土間打ちにしたり、やりたい事が次々と出てきています。夫はワイン・カーヴをベースメント空間に作りたいようですが…。

設計士の天野さんに作っていただいた設計図も、構造部分以外は可塑性に富んだものでした。ですから、階段はデザインから施工まで大工の宮田さんにお願いしました。キッチンキャビネットは、bue-dueのたまちゃんに4年前に作ってもらいました。設計図には描かれているけれど、未だ備わっていない設備はまだあります。

この分ですと、夫の言う通り、この家は永遠に完成しなさそうです。

今読んでいる書籍”THE STRATEGIST”[ハーバード戦略教室]に書かれていることとも通じる部分があるような気がします。ハーバード・ビジネス・スクール教授が一般向けに記した本です。その一説「コントロールしきれない偶然性を受け入れ、心を柔軟にし、自信に満ちた知恵ではなく、謙虚な知恵を育むこと」をストラジスト、組織のリーダーに説いています。

「選択の自由」がある中で、どのような家にしたいかという「哲学」を明確にしながら、偶然を受け入れて、変化を厭わない姿勢を持ち続ければ、我が家はさらに進化するのでしょう。