One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 8年目の大人の音楽談義 by T2017/11/05

毎年この時期恒例になりましたピーター・バラカン氏の音楽談義。2010年から欠かさず夫婦で参加しています。今年も昨日行われました。

今年のテーマは、「レーザーターンテーブルで聴く70年代ロック名盤」

大人の音楽談義2017第2回

ワーナーLA関連のヴァンモリスン、ボニーレイット、ランディニューマン、ライクーダー、ジェイムズテイラー、ドゥービーブラザーズなどなど。70年代は大人のロック全盛期。最高の音源と最高の音質(山下達郎風に)と最高のDJで最高の時間を過ごしてきました。

富山は狭い地域柄、この音楽談義に集う大人たちは、おそらく富山における極めてコアな大人のロックフリーク達でしょう。私たち夫婦なぞ敷居が高くて場違いなのかもしれませんが、バリバリ見栄を張って毎年参加しています。今年は一番最前列に踏ん反り返っていました。時には人間ハッタリが大事です。

僕が好んで聴くのは50~70年代のロックが中心です。ですからミューシャンも当然歳をかなり召してきているわけで、つい先日も、ニューオーリンズの巨人ファッツドミノ氏が逝ってしまいました。今年はチャックベリーに始まり、そしてファッツの訃報とロック草創期の偉人がまたひとり去っていきました。悲しいことですが致し方ありません。

Fats Domino

よって表面上は50~70年代は伝説と化しつつあるようですが、決して色褪せ絶滅することは無いでしょう。むしろ一層世界標準の教養的サブカルチャーとして、大人らしい大人のたしなみの一つになりつつ有るといった感があります。ゆえに最近の流行歌ばかり聴いていると流行遅れになるかもしれません。

クラシック、ジャズ、ブルーズ、ソウル、カントリー、AKBジャニーズ 、紅白常連曲などなど音楽ジャンルは多岐ですが「音楽は2種類しかない。それは良い音楽と良くない音楽だけだ。」と言ったのは誰だったっけ?ベニーグッドマン?グレンミラー?

人がどんな音楽を聴いていようがどうでもいいことです。僕は僕自身のことにしか興味がありません。僕は極力良い音楽を聴いてカッコいい大人になりたいです。それが現在52歳の僕の将来の夢です。

■ 禁酒 してアドレナリンを分泌 by T2017/10/27

就寝前のナイトキャップ
ここ数日間アルコールを摂取していません。今度の日曜日に富山マラソンを走るからです。アルコールを摂取すると分解に体力を消耗し、加えて肝機能にも負担をかけます。・・というのは小さな理由で、レース前に禁酒する最大の理由は気分を徐々に上げていきアドレナリンを分泌させるためです。医学的根拠は分かりませんが。

20代30代の頃は、レース前少なくとも2週間ぐらいは禁酒していましたが、最近はせいぜい1週間程度。あまり追い込むことはなくなってきました。

とはいうものの、何らかの制約、枠組み、個人的ルールの無い状態では、僕の場合とかく惰性に流されがち。時にはストイックな期間を意識して設定することもアリかと思っています。

歳を重ねていくと、年齢の傘の下で自分に甘くなったり責任逃れしたりしがちです。

頼るな!自ら備えよ!(どこかで見たような本のタイトル) これが僕流のアンチエイジング法です。

レース後の一杯に向けて、写真にあるような土屋守氏の本を就寝前にナイトキャップしています。

■ トムよ、野の草花のように by T2017/10/14

若かりし頃のトム
毎週土曜日の早朝は雨が降っていなければ、僕は2時間余り自転車でロードトレーニングに出かける。その際ラジオをイヤホンで聴きながらのライド。朝7時20分からNHK FMにてピーターバラカン氏の番組「ウィークエンドサンシャイン」を聴きながらのトレーニング。日本広しといえど峠道をシングル固定ギアの自転車で上りながら「ウィークエンドサンシャイン」を愛聴しているのは僕だけだろうな。

今朝は予告通りトム・ペティの追悼特集だった。バラカン氏いわく。追悼のリクエストがこれだけ集まったのは過去最高とのこと。トム・ペティは一般日本人の間ではあまり人気があるとは言えない。でも世界標準で見れば人気が高く、またミュージシャンの間でも評価が高く、ロックの殿堂入りも果たしている。そんなトムのリクエストが極めて多く集まったという事実に僕は嬉しくなった。本当にロックを愛している日本の仲間が多く存在することを。

トム・ペティの音楽はファッション性に走ることなく骨太で芯がしっかりしている。伝えるべきメッセージを直球で投げてくる。トム自身は言っていた。だからと言ってポップの要素を否定してはいけないと。ポップとは大衆のこと、流行やモードについつい流されがちの不安を抱えた大衆。そんな大衆に媚びるわけではないけれど、そんなロクでもない素晴らしき大衆に対し真摯に向き合ってくれたトム・ペティに心から哀悼を捧げます。

トムの歌声を聴きながらの里山道を走っていると、道沿いのセイタカアワダチソウやススキ、その他秋の雑草たちが愛おしく美しく見えてくるから不思議だ。在来種も外来種もすべての愛おしい。美しい。そして本当にたくましい。トムの楽曲「I won't back doun」のように。

■ ドント・パニック! by T2017/10/06

日の名残り_カズオイシグロ著
今年のノーベル文学賞がカズオイシグロ氏に決定したというニュースを聞きました。毎回文学賞の候補に挙げられる村上春樹氏が以前イシグロ氏を賞賛しいて、私たち夫婦はイシグロ氏の『日の名残り』等の小説を読んだ経験があります。

近日イングランドやスコットランドを旅行される予定の方は、英国トラディショナルを知る上でも一読されればいかがかと思います。

英国人とアイルランド人の気質、教育観の違いを、ある人が端的に表現していました。それは人間が逆境に立たされた時、いかなる姿勢でその逆境に立ち向かうか?

アイルランド人は、「ドント・ウオーリー!(心配するな!)」と楽観主義なのに対し英国人は「ドント・パニック!(動揺するな!)」と不動主義を重んじるとのこと。

淑女紳士の国、カズオイシグロ文学の如く、静かに芯のある肝の座った人間観を大切にしたいと思います。

それと比較して、現代日本人が大切にするプリンシプル(原理・原則)とは一体なんなのでしょうか?逆境に立たされた時、どういう姿勢で臨むのでしょうか?

あなただったらどうしますか?

■ 旧小杉町生まれの誇り by T2017/09/11

マイルズ・ライブ非売録音源CD
現在私たち夫婦が住んでいるのは射水市です。平成の大合併により誕生しました。それ以前の住所は小杉町でした。

僕には小杉町に住んでいたことに対する誇りが二つあります。一つは合併に際して住民投票が行なわれたことです。合併した他の町が行政の意向のまま合併ありきであったのとは異なり、小杉町のみが住民の直接投票を行いました。僕はこの経験から「地方自治は民主主義の学校」という基本を改めて学ぶことができたと今でも強く思っています。

もう一つの誇り、それはマイルズがライブを行なった町だということ。そうです、あのマイルズ・デイヴィズです。1988年8月3日、県民公園太閤山ランドの芝生広場に帝王がやって来ました。僕の知人はマイルズの演奏を聴くためにわざわざ飛行機に乗ってニューヨークまで行ったというほどなのに、その日僕は家から買い物用自転車に乗ってマイルズ8重奏団をサンダル履きで聴きに行きました。

昨日の妻のブログにもあったように、その太閤山ランドは現在私たち夫婦のランニングコースの一つです。例の芝生広場もひんぱんに走ります。昨日もランドを走りに行ったとき、子犬と散歩をしている男性とすれ違いました。子犬が道端でおしっこをしました。男性はペットボトルの水を持参されていて、子犬のおしっこを水で流していました。

民主主義が成長するとはそういった自律的主体的行為がいとも自然な形でなされうるということだと思いました。主権を担うことができるようになるということは天性のものではなく、学習経験を通じて培われ、結果あたりまえの大人になるということだと感じました。

写真はマイルズ・ライブ(ライブ・アンダー・ザ・スカイ)in太閤山ランドの主催者から頂いた非売録音源CDです。僕の密かな誇りです。

■ 機が熟すのを待つ by T2017/08/25

氷壁
季節が梅雨末期に逆戻りしたような超蒸し暑い日々が続いています。じっくり読書するには少々ハード。

学校の夏休みも終わりが見えてきました。夏休み宿題の定番といえば読書感想文。あれは面倒です。僕の経験から悪知恵をお教えします。

僕は中学生の時まで殆ど読書らしい読書をしたことがありませんでした。どうすれば読書しないで感想文を書くことができるか。僕は伝記を読んだことにして、存在しない本をでっち上げ感想文を書きました。中学2年生の時は『徳川家康』。中3は『武田信玄』。伝記ですからストーリーは歴史上の事実を話題にすればよいのです。僕の時代はできませんでしたが今の時代だったら歴史漫画でも読んで書けば良いと思います。書きあがったらテキトーに著者名をでっち上げて終了。そして残りの貴重な夏休み、僕は立山登山に出かけました。

機が熟すのをじっと待つ。

僕の場合、中学を卒業した時に親戚の人からプレゼントされた井上靖氏の『氷壁』を読み始めて、それ以降人並みに読書するようになりました。僕はその親戚の人にまんまとハメられたのかもしれません。読書より登山を選ぶ中学生に『氷壁』ですから。

その瞬間が僕にとって熟した転機だったのでしょう。

■ 将来を売りとばす by T2017/08/24

縄文人とおなじ_火のある暮らし
ブログ・タイトルは、ケリー・マクゴニカル著『スタンフォードの自分を変える教室』の中の第7章のタイトル引用です。

2007年、ハーバード大学とライプツィヒにあるマックス・プラング研究所による以下の実験が行なわれました。

お菓子を今すぐ欲しいならば2つもらえるが、2分待てば6つもらえる。あなたはどっちを選びますか?

意外にも、何と学生の19パーセントしか待てなかったそうです。

それだけ人間の脳は待つことが苦手なのでしょう。あなたはどうですか?バカみたい。2分なんて楽に待てるさ。賢い大学生とはいえそんなことも分からないの?そう思った人も多いでしょう。僕もそう思います。

しかし本当に自分は待てるでしょうか。例えばちょっと時間をかけて麦茶を沸かせば数円の支出で毎日熱中症予防の水分補給が可能です。でもついつい100円近くの大金を出してペットボトルのお茶を安易に購入したりしませんか?

最近、お惣菜のポテトサラダを食べて食中毒になったというニュースがありました。ちょっと手間と時間をかければ、より安くより安全な(というか責任を自ら担える)手作りポテトサラダを食べることができたはず。そしてよってたかって小売店の責任を非難する必要もなかったはず。そんな不寛容社会は、いつの日か自分にもその矛先が向けられるようで将来が不安です。

人間は便利さの副作用として将来を売りとばす習慣を強化しつつあります。このような便利さの獲得を人類テクノロジーの進歩と捉えるならば、未開な縄文人のような暮らしに留まることを選択する人間のほうが賢いのかもしれません。不便だけれど待つことのできる賢人として。

何を隠そう、ついつい将来を売りとばしてしまいがちの待てない僕ですが、スイッチポンのサーモスタット付きエアコンではなく、手間と時間のかかる縄文人のような薪ストーブ・ライフを続けている、この一点だけは自画自賛させてください。

■ 初秋といえば by T2017/08/21

立ち向かう存在
朝夕の空気が涼しくなってきた。昨日も陽射しがあったとはいえ、一日外作業ができた。キュウリとトマトの支柱の片付け、カボチャの収穫、トウモロコシやインゲンの種取り、草取り作業等々。ちょっとした気温の変化で外作業のモチベーションと効率が変わる。これからすべき仕事が多くある。薪割りの再開、シシ垣の補強、冬野菜の準備、生産的な仕事に尽きることがない。

初秋。Early Autumn.

初秋という言葉を聞いて思い浮かべるのは、ズバリ、小説『初秋』。ロバート・B・パーカー作の極端な男性誇示ネオハードボイルド小説。パーカーの小説は個人的には好きではない。好きではないというか、正確に言えば飽きてしまった。だが、氏の『初秋』だけは我が家の本棚に残っている。それは何故か。理由は簡単。僕が初めて読んだパーカー氏の小説だったからだ。如何なるジャンクフードでも最初の一口は癖になる。その感覚と似ている。偶然だろうか。『初秋』の主人公スペンサーは食通だが、ひそかにチーズバーガーを好む。

『初秋』のストーリーは、男と少年のストーリー。男が少年に大工仕事を教える、料理の仕方を教える、殴り方を教える、そして行動の仕方を教える。単純である。戒律をもたない人間に戒律を背中で教える。

人間は来るべき厳しい冬の季節にたった一人で入っていかねばならない。その自覚に目覚めるのが初秋という季節なのかもしれない。(『初秋』井上次郎氏の解説より)

写真は、我が家のガラス扉に張付いていたカマキリの子ども。彼も来るべき厳しい冬に一人立ち向かっていかねばならない存在である。

■ 世界の始まり by T2017/08/18

リチャード・ブローンネク著『独りだけのウィルダーネス』
我が家の蔵書から久々にリチャード・ブローンネク著『独りだけのウィルダーネス』(1988)という本を引っぱり出して読んだ。今から20年以上も前、私たちが薪焚き人生を開始する以前に購入した本だ。U.S,A.生まれの著者がアラスカの原野荒野にて、自らの手で丸太小屋を建て身の周りの家具を作り、厳冬期も含め16ヵ月生活した記録である。

人間は一人では生きてゆけない。人間は社会的動物である。そんなことは耳に大タコができるくらい聞かされ続け、おそらくそれは真実であろう。その真実に僕は異議を唱えない。しかし、それだからこそ意識的に限りなく独力で生きようとする姿勢をもつことは意味のあることではないだろうか。どれだけ独力で生きようとしても、100パーセント完璧に独力で生きることはできないのだから、最初から依存的スタンスだとますます依存的人間になる。極力依存に抵抗することによって、人間は程よい依存的人間に納まると僕は思うのだ。

「大勢の人間が力を合わせれば奇跡が起せるということは私も知っている。たとえば、月面を人間が歩くということは確かにチームワークの賜物だ。だが、一方では、人生の一時期、部分や細切れの世界を離れて個人の力で何かをやってみること、自分ひとりの力で何かを完成させてみることも大切ではないだろうか。人間には創造の歓びが必要なのだ。」

たった一人の人間が創造できることはたかが知れているかもしれない。しかしリチャードの言葉を引用すれば、
「最も単純なものが最も大きな歓びを与えてくれることを、私は発見した。」

そしてさらに続ける。このフレーズが僕には最高にクールに思える。
「世間で言われているような形のものが進歩だというのなら、私はそんなものが大嫌いだ。誤った進歩を見せつけられるくらいなら、世界の始まりを眼にしたほうがずっといい。」

■ 目的か手段か by T2017/08/13

『小さな家』ル・コルビュジエ著
今年は現在までのところ、購入した本の冊数が夫婦合計で3冊です。そのタイトルは
・『小さな家』ル・コルビュジエ著
・『U理論』C. オットー・シャーマー著
・『地球の歩き方・湖水地方&スコットランド』

ここ数年極力書籍は購入しないように心がけています。何度も読み返したい本だけを極力手元に所有していたいからです。

電子書籍は読んだことがありません。そもそも僕はスマートフォンを持っていないし、妻は携帯電話さえ持っていません。

本を購入するということは、当然お金という手段を使い本を読むことが目的であるわけですが、時として本を購入すること自体が目的のように感じることがあります。言い換えればお金を使うこと自体が快感となり、購入してしまえばそれで目的が達成され、本は読まずじまいということです。私たちが最近本を購入しなくなったのは、そのような消費目的の消費中毒というか消費依存症を予防するという意図もあります。

心が満たされない時やストレスが溜まっている時、また不安が強いときなど買い物欲求が高まることがありませんか?それはお金を出せば何かを手に入れることが確実にできるという万能感に浸ることができるからでしょうか。はたまたお金では買えないモノに心が満たされていないから、その代償としてお金で買えるもので満たそうとするからでしょうか。僕には分かりません。

小さい我が家の場合、本は置き場所を占領しますし、その場所面積のために固定資産税を支払うのも無駄です。

ちなみに3冊だけしか本の所有を許されず、借りることもできないと仮定したら、何を選ぶか?現時点での僕の場合は、
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』
フランツ・カフカの『城』
そして世界地図 です。

これさえあれば仮に独房の中での一生でも、時間をもてあますことがないように思われます。