One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 未だ生まれぬ児童への虐待 by T2021/09/01

タマスダレの花
「僕は産んでくれと言った覚えはない。勝手に産んでおいて、さあ生きろと言われても納得できない。」

もしもあなたが子供にそう言われたら、どう答えますか?

「親は子供を育て、将来、子供には高齢の親の世話をしてもらいたから。そして親が亡くなった後、その墓と家を守っていって欲しいから。」
そう答えますか?

「少子高齢化で公的年金制度や医療保険制度の維持が困難で、さらに田舎は過疎化が進んで、地元小学校の存続も危うく、どうしても君が必要なんだ。」
そう答えますか?

「種の保存が生物の定め。」
そう答えますか?

どの答えにしろ、その答えに対し子供がまた、こう反論したら、どう答えますか?

「結局のところ、僕を産んだのは、僕のためじゃなくて、親のため、大人のため、既に生きている者のため、社会のためじゃないか!さらに、勝手に借金(国の借金を含めて)を増やしておいて、後はよろしく、と去っていこうとするのは卑怯じゃないか!資源エネルギーを使い尽くして環境を破壊して、災害の多くなった環境に勝手に産んでおいて、これは生まされた子供(生まれてくる子供)にとってどんな意味があるのか?」

自分には産んだ子供がいないという方も、世界中で産まされてくる子供たちに対し、どう答えますか?
僕には上手に答えることができません。皆さん、良い答え方を教えてください。

■ フェーズフリー by T2021/09/02

薪
災害の多い日本の現在。非常時における備えや避難訓練の重要性が叫ばれています。でも、その重要性が認識されている割には、日頃の備えや意識を高めているかと問われれば如何なものでしょうか?皆さんのご家庭はどうですか?

フェーズフリーという言葉があります。フェーズとは区分という意味で、フェーズフリーとは区分しないという意味です。つまり平時と非常時を区分しない暮らし方をしようという意味だそうです。

例えば、僕は独身時代に日頃家でも寝袋で寝ていたことがあります。自転車にテントやキャンプ用品を積んで日本各地をツーリングしていました。これはある意味、毎日が避難生活のようなものです。

ここまで極端でなくとも、日頃家族でキャンプやバーベキューをして楽しんだり、天気の良い日は歩いて仕事場まで出勤したり、家の簡単な補修を自分で行ったり、車のガソリンは半分を切ったら満タンにするように習慣化したり、そんな日常がそのまま非常時への備えとなるような暮らし、それがフェーズフリーです。

我が家のフェーズフリーの最たるもの、それは薪ストーブ生活。電気やガスなどライフラインがストップしても薪エネルギーは健在。暖房のみならず調理や照明の道具としても利用できます。薪を作る一連の作業を通じて、チェンソーやアウトドア道具の使用技術も維持できます。そして何より、里山活動によって健康体力を維持できます。

一気に涼しくなりました。あと1ヶ月余り経てば薪ストーブに炎が帰ってきます。

■ 摂取多捨 by T2021/09/03

ただ一人歩め
富山県は仏教浄土真宗門徒の多い県です。ふだん浄土真宗では「摂取不捨」という言葉をよく使います。

「摂取不捨」とは、阿弥陀様は誰一人見捨てることなく必ず救って下さる、という意味だそうです。

ところが、仏教の原始経典『六法礼拝経』では、付き合ってはいけない4種類の人と、付き合うべき4種類の人を、釈迦(ブッダ)本人が挙げているそうです。そして「悪友を避けて善友を求めよ。善友なくばひとり歩め」とおっしゃっています。それぞれ挙げると

付き合ってはいけない人とは
①与えるは少なく、もらうは多くの人
②言葉だけの人
③お世辞を言い、陰口を言う人
④遊蕩多き人

付き合うべき人とは
①正しい行動に向かわせてくれる人
②窮地の時、見捨てない人
③忠告や大切な情報を与えてくれる人
④同情、弁護してくれる人

つまり仏教の開祖である釈迦は、誰とでも仲良くとは決して言っていません。救いは自己の内なる問題だからです。でもいつの頃からか、皆が救われると言われ始めた。釈迦の時代から時間の経過と共に仏教解釈が変化していった。とても面白い現象だと思いました。

親鸞は生前、弟子をとらぬと言って仲間たちを同朋と呼んでいました。なのに親鸞死後、後世の者が浄土真宗という宗派名を勝手に名乗り始め、親鸞を開祖にまつり上げた。親鸞は生前自身の墓を立てるなと言っていた。ところが後世の者が大きな親鸞の墓を立てて信仰の拠点とした。当の親鸞自身は浄土真宗という宗派も自身の墓も皆目知らないわけです。

僕自身は、釈迦という原点にかえることを求めます。釈迦の原点とは親鸞の原点でもありますが、それは「自己」です。

多くの取り巻きを集めることが良いことではない。むしろ多くの悪に満ちるくらいならば孤独の方がよっぽど良い。そして1人でも2人でも信条等しく信念固き人が居ればとても有難いこと。そんな気持ちで里山に移り住み、同朋と共に里山活動を行っています。

■ サザエさん一家は如何にして億万長者になったか by T2021/09/04

ヤブラン
サザエさん一家こと、磯野家とフグ田家の同居家族は、かなりの億万長者ですよね。そう思いませんか?
「えーっ?あんな庶民的家族が?」

いえいえサザエさん一家はかなりの資産家です。1946年4コマ漫画のサザエさんが開始された当初は、描かれている通りの資産家には程遠い、庶民の中の庶民だったと思います。でも、75年という年月を経過し、サザエさん一家は資産家になったのです。それをおくびにも出さない資産家。その根拠は、2021年現在でも東京世田谷区に広い一戸建て住宅を所有維持できていることです。毎年の固定資産税だけでも相当な額、それを支払い続けることができているからです。

どのようにしてサザエさん一家は資産家になったか?その方法を僕はこう考えます。

時代や社会の変化(例えばバブル景気とか)に流されず、好景気で資産を増やしたからといって成り上がったりせず、ただ普段通りに身の丈の生活に徹し続けた。収入よりも少ない支出で生活し、背伸びした借金もせず、先取り貯蓄を福利運用し、決して元金には手をつけず、乱高下する市場相場にも一喜一憂せず、ただほったらかしの長期投資した結果、東京の資産価値上昇と相まって、気がついたら資産家になっていたというわけです。

本当のお金持ちの生活は周囲から到底お金持ちに見えない、とよく言われますが本当なのかもしれません。お金持ちの生活は意外と質素(だそうです)。サザエさん自身も自分がお金持ちだと気づいていないのかもしれません。ちなみにサザエさんのお宅には、現在もエアコンもクルマもありません。

僕も簡素質素に生活して、いつの日か資産家になりたいなぁ。そのために自助努力も必要ですが、自助努力には限界があります。どうしても地元地域、地元里山の資産価値を上昇させる地域奉仕的努力も必要です。

サザエさんの世田谷区のように、地元金山里山を輝かせましょう。

■ 薪の積み方で by T2021/09/05

薪小屋
もうすぐ秋の御彼岸。森で木を伐るのは秋のお彼岸から春のお彼岸までが良い。それは樹木が休眠期に入り、水分含有量が少なくなるから。

というわけで、薪原木切り出し搬入の前に、我が家では乾燥用薪置き場から母屋併設の薪小屋へ、今シーズン用の薪移動作業を開始ました。乾燥用薪置き場を空けておけば、いつでも薪原木を搬入して薪割りすることができるからです。

とはいうものの、薪の移動作業は結構退屈で辛い作業でもあります。そこはグッと我慢してルーティーンな作業を頑張ります。なるべく薪をキチンと積み上げるようにしていきます。キレイに積み上がった薪の小口模様はとても美しい風景です。

もし僕に娘がいたならば、彼女には薪をキレイに積み上げている男性と結婚してもらいたい。僕の勝手な思い込みですが、古い薪と新しい薪が入り乱れて乱雑に山積みしている男性はどうも信用できない。

人間の信用を積み上げるのは結構大義なこと。そう自分を叱咤しながら退屈な薪移動作業をしています。

■ 新しいランニングシューズ by T2021/09/06

アシックス・マジックスピード
久々にランニングシューズを買いました。今まで履いていたシューズは2019年6月購入のアシックス・ターサージール。その後、ナイキのシューズが爆発的に売れ、どの大会でもナイキ一色となりました。ようやくナイキブームが落ち着いた現在、ちょうど僕のシューズも替え時となりました。

新しく購入したのは、アシックス・マジックスピード(写真)。

今まで通算11回フルマラソンを完走しましたが、全て3時間台を何とかキープしてきました。しかし今後いつの日かサブ4(4時間を切るタイムで走ること)が困難になってくるでしょう。

如何に人生というロングランを健康で持続可能に走りきるか。そのために選んだのがアシックス・マジックスピード・シューズ。特徴は優れた反発性カーボンプレート搭載でエネルギー消費を抑えながら走ることのできる点です。

今日も走ることのできる境遇に感謝します。

■ 新たな発見 by T2021/09/07

薪割り
先日、薪ストーブ仲間と山に入り、薪用原木の伐り出しを行いました。普段は自分で伐って玉切りするのですが、今回は木を伐倒する人と枝打ち玉切りする人に分業しました。

よって持ち帰った玉切り原木は必ずしも自分で切ったものではありませんでした。そこで新たな発見がありました。

いざ斧で割ろうとすると、玉切り原木が薪割り台の上に立ちにくいのです。なんとか立っても面倒な所に節があったり割りにくいのです。ちなみに仲間の中で僕だけが斧による手割り派で、他の人たちは薪割り機使用です。薪割り機だと別に小口が斜めに切られていても問題ありません。

自分で原木玉切りする時は、今まで僕は知らず知らずに垂直に切断するように心がけたり、割りやすいように節の場所を注意したりしていたようです。だから少々長さがマチマチになっても割りやすさを優先してきました。でも薪割り機派は正確な長さを優先することができます。割りやすさは必要ないからです。

僕は出来る限り斧で手割りしていきたいので、垂直切断や節の意識を今まで通り行っていきたいと思っています。その方が何か職人っぽくて好きです。

とにかく新たな発見でした。

■ 訪問者たち by T2021/09/08

アベリア
家の前の通り沿いに植えられたアベリア。その花の蜜を吸いに連日蝶がやって来ています。夏の花として植えたアベリアですが、9月の初秋になってもラッパ型の白い花を咲かせてくれています。

人間の訪問者は、以前よりも滞っている今日この頃ですが、鳥や虫たちにはウイルス対策は不要。大歓迎です。

庭の樹木も大きくなってきました。それにつれて野鳥が頻繁に訪れてくれています。満ち溢れた生命力に囲まれていると、それだけで健康になる気がします。

作り込まず、管理し過ぎず、なるべく大らかに、伸びやかに。
庭も心も、そうありたいと思っています。

■ 栗は不労所得 by T2021/09/09

栗
今年も栗が採れ始めました。

米や畑の野菜と違って、栗は全く手間要らず。畝を耕したり肥料を与えたりすることなく毎年実を落としてくれます。まさに天から降ってくる不労所得。

現代の日本では食糧の流通が進み、いつでも食べたい時に食べることができるといった先入観が広がっています。でも日本の食料自給率は40%を下回っているのが現状。富山県においても余るほど自給されているのは米くらいで、他の野菜さえ農家ですら賃金労働で稼いだお金でもって購入せねばならないのが現状です。

人間が哺乳類である以上、食の安定確保はいつの時代にあっても生命線です。突然にして日本が飢餓状態になるとは言いません。しかしながら現物の食糧を探し回る代わりに、食糧を購入するためのお金を探し求めて、死ぬまで食費を稼がねば生きていけない逼迫した状況になることは想定できます。

そんな時、放っておいても実を落としてくれる栗のような自然の恵みは、毎年増えていく利息のようなインカムゲイン。お金と違ってインフレーションによる価値下落もありません。

栗に限らず胡桃や栃の実、柿、梅などの不労所得を徐々に増やしていくことは、来るべき老後の生き甲斐、楽しみプラス経済的自立に貢献すると僕は考えます。

■ 半玉のキャベツ by T2021/09/10

キクイモの花
ひと玉150円のキャベツと半玉85円のキャベツ、あなたはどちらがお得だと思いますか?ひと玉の方が割安でお得ですか?

確かにひと玉の方が1gあたりの値段は割安です。でもどちらがお得かと問われれば、買う人の立場によって変わるでしょう。

一人暮らしや少食の家族の場合、キャベツひと玉を買ってずっと冷蔵庫にキャベツを保存しておくと、電気代、冷蔵庫容量、鮮度劣化、廃棄処分などなど、結果として損失が上回ることもあります。

目先の利益に目が眩むと、結果として損なこともある。これは薪についても言えることです。

欲張って何年分もの薪をストックしても、薪を積んでおくスペースも必要、数年経過して薪が虫食いに、そうなると苦労して薪を作った時間と労力が無に帰す。

現金そのもにも言えます。物価上昇や消費税アップしていけば貨幣価値は経年低下していきます。それに死んでしまえば、せっかくの貯金もあの世では使うことができません。

時間は自分の生命だけでなく、所有物の価値も少しずつ奪い取っていきます。欲もほどほどにと自分に言い聞かせています。