One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 摂取多捨 by T2021/09/03

ただ一人歩め
富山県は仏教浄土真宗門徒の多い県です。ふだん浄土真宗では「摂取不捨」という言葉をよく使います。

「摂取不捨」とは、阿弥陀様は誰一人見捨てることなく必ず救って下さる、という意味だそうです。

ところが、仏教の原始経典『六法礼拝経』では、付き合ってはいけない4種類の人と、付き合うべき4種類の人を、釈迦(ブッダ)本人が挙げているそうです。そして「悪友を避けて善友を求めよ。善友なくばひとり歩め」とおっしゃっています。それぞれ挙げると

付き合ってはいけない人とは
①与えるは少なく、もらうは多くの人
②言葉だけの人
③お世辞を言い、陰口を言う人
④遊蕩多き人

付き合うべき人とは
①正しい行動に向かわせてくれる人
②窮地の時、見捨てない人
③忠告や大切な情報を与えてくれる人
④同情、弁護してくれる人

つまり仏教の開祖である釈迦は、誰とでも仲良くとは決して言っていません。救いは自己の内なる問題だからです。でもいつの頃からか、皆が救われると言われ始めた。釈迦の時代から時間の経過と共に仏教解釈が変化していった。とても面白い現象だと思いました。

親鸞は生前、弟子をとらぬと言って仲間たちを同朋と呼んでいました。なのに親鸞死後、後世の者が浄土真宗という宗派名を勝手に名乗り始め、親鸞を開祖にまつり上げた。親鸞は生前自身の墓を立てるなと言っていた。ところが後世の者が大きな親鸞の墓を立てて信仰の拠点とした。当の親鸞自身は浄土真宗という宗派も自身の墓も皆目知らないわけです。

僕自身は、釈迦という原点にかえることを求めます。釈迦の原点とは親鸞の原点でもありますが、それは「自己」です。

多くの取り巻きを集めることが良いことではない。むしろ多くの悪に満ちるくらいならば孤独の方がよっぽど良い。そして1人でも2人でも信条等しく信念固き人が居ればとても有難いこと。そんな気持ちで里山に移り住み、同朋と共に里山活動を行っています。

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