One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 野菜哲学 by T2021/09/11

最後の夏野菜
昨日、大根やほうれん草などの種を蒔きました。これからしばらく晴天が続く予報で、水撒きが日課となりそうです。と思い水を撒いたら、雨が降りました。

ところで最近、野菜の価格が高騰しているそうです。そんな中、家庭菜園をしていれば野菜高騰の影響を受けない、とあなたは思いますか?たとえば一本100円のキュウリなんか買わなくてもよいと。

確かに我が家では毎年キュウリを作っています。でも今はキュウリの収穫は既に終了しています。だから今キュウリを食べたいならば、一本のキュウリに100円支払って購入しなければなりません。でも僕はそんな買い物はしません。

野菜には収穫時期があります。一つの野菜が一年中採れるわけではありません。だから家庭菜園の野菜を食べるならば、いっとき同じ野菜を来る日も来る日も食べ続けるということになります。必然的に食生活は、いま食べたい野菜を食べるのでなく、いま手に入る野菜を食べるという生活になります。

野菜が高騰しているといっても全ての野菜が高騰してるわけでもないでしょう。高騰していない野菜を来る日も来る日も食べ続け、季節が移り変わって食べる野菜が徐々に変わっていく、それで良いんじゃないかと思うわけです。いま手に入りやすい野菜を食べるという生活です。

いま食べるに最適の野菜、それは、いま手に入る野菜。
そんな知足の野菜哲学には、野菜を作っている人と作っていない人との差はありません。