One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ ありがとうございました by T & M2021/12/26

2021年12月26日朝
2016年12月26日にブログを開設して、今日でちょうど丸5年を経過しました。ほぼ毎日更新してきましたが、区切りの良い本日をもって一旦休止します。今までブログを読んで下さった方々に対し、感謝申し上げます。

今後も里山生活をアップデートし続け、発信すべき情報や経験をしっかりと蓄積した上で、再び皆さんと情報共有できることを願っています。

なお、12月26日という日は、2000年12月26日に現在住んでいる里山に引っ越してきた記念日でもあります。ということは、あれから21年が経過したということになります。

時間は、未来の時間も過去の時間も貴重な財産です。これからもお互いに自分に授かった時間を大切にして過ごしましょう。

■ どうせ出すならば by T2021/12/25

南天
今日は年賀状の投函締切日。25日までに投函された年賀状は、郵便局が責任を持って元日配達して下さいます。寒い中、有難いことです。

26日以降の投函は、元日配達が未確定ということと、郵便局で働く人々の手間を考えると、今日25日までに投函して皆んなで気持ち良く新年を迎えたいものです。

最近は、Eメールでの挨拶にシフトし年賀状の数が少なくなっているようです。それは個人の自由ですから、他人がとやかく言うことではありません。もちろん新年の挨拶をしないのも自由です。

でも、年賀状を投函すると決めたならば、25日の締切日までに間に合わせるのが、自分にとって絶対お得で賢いと僕は考えるのですが、如何でしょうか?

理由はこうです。遅くなればなるほど、出さなきゃ出さなきゃと心中スッキリしません。年賀状を出さないという選択もできない。かと言って、サッサと出すこともできない。そんなダラダラ優柔不断が最も心的エネルギーのロスだと考えるからです。先延ばししても得られるものはなく、時間が解決することもない。

どうせ年賀状を出すならば、とっとと出してしまう。出さないならば、とっとと出さないと決断する。僕はそう思います。

■ 25年前のクリスマスイヴ by T2021/12/24

ケルン大聖堂
私たち夫婦は、クリスチャンではありません。だからクリスマスのお祝いはしません。何故ならば、くどいようですが、クリスチャンではないからです。

若かりし昔々は、訳もわからず、クリスマスを楽しんでいました。ちょうど25年前の1996年のクリスマスまでは・・。

1996年12月24日、私たち夫婦はドイツのケルン市にいました。クリスマスイヴの夜、世界遺産に指定されているケルン大聖堂のミサを訪れました。深夜0時になり、由緒正しき大聖堂の中に、皆さんご存知の「きよしこの夜」の讃美歌が流れました。ホンモノのパイプオルガンと生の聖歌隊による「きよしこの夜」です。

ふと、横の女性を見ました。何と、彼女はホンモノの涙を流してキリストの生誕を祝福しているではありませんか。とても美しい光景でした。

その時、僕は思いました。これからも軽薄に、信仰心無く、ケーキでも食べて騒いでいては、このホンモノのクリスマスイヴの、彼女のホンモノの涙を汚し続けることになるのでは・・と。

25日クリスマスの朝は、ベートーヴェンの生まれたボン市を訪れ、見知らぬ小さな教会に入りました。やはり讃美歌が流れていました。何て、音響の良いステレオ機材なんだろう、と思いきや、後ろを振り返ると、それはホンモノの聖歌隊でした。

ところで、この冬のドイツは寒さが厳しく、昼間でもマイナス10度以下。この時身に染みて思ったことが、もう一つあります。化学繊維のフリースや薄っぺらなダウン防寒具では全く歯が立たないことを。地元のドイツ住民は、天然のレザーや毛皮、100%ウール素材の防寒具でしっかり身を包んでいました。

ホンモノであること、これは生きる上で、とても大事なことだと思います。
いつの日か天に召される時に、自分の一生がホンモノであったと納得できるためにも。

■ いつ何時 by T2021/12/23

冬至のカボチャ
冬至の昨日、今年も夏に収穫した自家製カボチャをいただくことができました。

最近では、栄養価の高い食べ物が簡単に手に入る時代なので、昔ほど冬至のカボチャを貴重に感じなくなったかも知れません。でもいつ何時、食糧難になるかしら分かりませんよ。何せ日本の食料自給率は40%を下回っているくらいですから。そんな潜在的リスクのある日本において、常温で4か月以上も保存できるカボチャはきわめて優等な野菜です。

江戸時代の飢饉や太平洋戦争時、幾多の食糧難を乗り越えるために、先人達はカボチャなどの救荒食物の栽培を奨励してきました。しかし、そんな時代をリアルに体験した世代は少なくなっています。それと反比例するように、日本では食品ロスが進行しています。皆さんのご家庭では如何ですか?

歴史学者A.トインビーは言いました。「歴史を忘れた民族は滅ぶ。」
冬至すなわち復活の日を機会に、未来に備えるべく、過去から学びましょう。

■ プロスペクト理論 by T2021/12/22

里山の風景
人間は、順調で余裕のある時は損失を回避して手堅い行動を選択するが、不利な状況で余裕のない時は一発逆転を狙うような大胆ハイリスク行動を選択しがちである。このように私たちの意思決定は必ずしも合理的に行われるのでなく、感情や感覚の歪みによって期待値が変化する。これをプロスペクト理論と言うらしい。プロスペクト(prospect)とは予想とか期待の意味の英語である。

ギャンブルで負けている時、どんどん掛け金が大きくなりがちなのは、プロスペクト理論から説明できる。

ところで、年末の宝くじの時期である。宝くじの1等当選の確率は天文学的数字の限りなくゼロに近い確率で、さらに国などの宝くじ運営団体が確実に利益の一部を回収するのでゼロサムゲームとは言えず、損をする確率が限りなく100%に近い。にも関わらず、私たち人間は、超低い当選確率を過大評価し、超高いハズレ確率を過小評価しがちである。

宝くじにより大きな期待をかける傾向が強くなってきたならば、今の自分や今の社会が、不調で余裕のない状態に傾いてきている知らせかも知れない。

また一方で、満足感や余裕というものは、認識の仕方によって変化するものだ。お店も少なくアミューズメント施設もなく地味で質素なカントリーライフだとしても、明日食べるものと住む場所と家族円満が、ささやかでも確実に有るならば、それを満ち足りたものと評価し、手堅く細々と生きることも一つの賢い選択であろう。

里山カントリーに移住した者として言わせてもらえれば、簡素に自然と共に満ち足りた気持ちで暮らす覚悟ならば、傾向として大きな損失を被るリスクはかなり低いと推察するのだが。

■ 大活躍 by T2021/12/21

セラミック製おろし器
この冬、大根おろしをとても頻繁に食べています。

その理由は、家庭菜園で順調に大根が収穫できていることもありますが、もっと大きな理由があります。

それは新しいセラミック製のおろし器を購入したことです。以前はアルミ製のおろし金をずっと使っていましたが、とても疲れる作業でした。それが今のセラミック製おろし器になって、とても楽になったのです。最初はセラミックの針の部分が折れたりしないか心配でしたが、全く問題なし。年末の餅つき時には、おろし餅が楽しみです。

ところで、大根の先端と葉っぱに近い部分とでは、どちらが大根をおろした時に辛いかご存知ですか?答えは先端ですよね。では、なぜ先端が辛いかご存知ですか?理由はこうです。

地下に埋まっている大根先端部は、常に虫に食べられるリスクがあります。大根は虫除けのために、細胞が食いちぎられた時、辛味成分を出す仕組みになっているのです。それに対して、葉っぱに近い部分は根ではなく茎に相当するそうで、栄養分の通り道であり糖分が多く甘いそうです。

何事も、理由や根拠を知ることが、自分の行動を選択する際の手がかりとなり、行き当たりばったりの行動を避けるヒントになるのではないかと考えます。

■ 準備しました by T2021/12/20

スノーシュー
いつでもスノーシューを履くことができるよう、今シーズンも準備が整いました。

スノーシューとはアウトドアスポーツ用の現代版カンジキです。我が家のスノーシューは、レクリエーション用というよりも日常の道具です。薪置き場の雪かき作業や、菜園から白菜や大根を雪の中から掘り出してくる時などに使います。

だからいつでも取り出せて、使用後は薪ストーブで乾かすことのできるよう、毎年この時期に、階段下に設置型フックを組み立てて置きます。冬が終わればフックは撤去されます。

今年の春に、裏山の竹藪整美が行われ歩きやすくなったので、スノーシューを履いて里山歩きできればと楽しみにしています。クロスカントリースキーに比べて取り扱いが容易で、急坂でも楽に移動できます。

雪の里山暮らしを始めてから、リフト券を購入してのゲレンデスキーに出かけることが無くなってしまいました。

昨シーズンの大雪の際は、家の周りの雪かきに大活躍しました。今シーズンはどうでしょう?活躍しすぎるのも大変ですが、せっかく準備したのだから、全く活躍しないのも寂しいような複雑な心境です。

■ 親しき中にも礼儀あり by T2021/12/19

冬の里山
今日は万雑(まんぞう)からの支払日。万雑とは町内会費のことです。町内の作業活動に多く出役した世帯は、万雑を支払う以上に、町内から現金を頂くことができます。今年の我が家は、有難いことにお金を頂くことができました。

昨日、町内会長さんに「明日、忘れないでお金をもらいに公民館に来られ」と言われました。あいにく僕は先約の用事があって、受け取りに行けないので、「ありがとうございます。僕は行けないので、妻が頂きに上がります。」と答えました。

すると町内会長さんは「珍しいね。大体どこの家も、奥さんに内緒でお金を懐に入れることができるからか、男衆が受け取りに来るよ」とのこと。

なるほどね・・。

ところで、戦後アメリカの占領下にあった日本にて、占領軍の長官D.マッカーサーを叱り飛ばすことの出来た唯一の日本紳士、白洲次郎の話。

次郎氏は生前、妻の正子さんとの家での夕食に際し、カジュアルな格好で臨んだ時は、「ノーネクタイで申し訳ない」とひと言添えていたそうです。カッコよすぎのカントリージェントリ。

親しき中にも礼儀あり、というか、親しき中だからこそ礼儀あり。

■ 幸福を叫ぶことと、実際に幸福であること by T2021/12/18

初雪の早朝
最近の出来事から感じたことを書きます。

その前に、名作映画『イージーライダー』の中での、記憶に残っているセリフを紹介します。大体こんな感じでした。
「なぜ、みんなが君たちを攻撃するのか?そのわけはこういうことだよ。それは、君たちが自由だからなんだ。みんな自由を求め自由を叫んでいる。でも自由を叫ぶことと、実際に自由であることは違うんだ。自由を叫ぶ人にとって、実際に自由を享受している人を見ると、怖くなる。だから攻撃したくなるんだよ。」

僕の周囲の人々のほとんどは、世の中が良くなったっり、世の中の幸福を叫んだりしています。でも一方で、実際に幸福や豊かさを享受している人を見かけると、「君たちばかりが幸せを享受している」と、僕も含めて時々攻撃的になる。「自分は皆のために良いことをしているのに、君たちは自分たちのためばかりに行動している」と、攻撃したりもする。君たちは誰に迷惑もかけていないにも関わらず。

幸福を叫ぶことと、実際に幸福であることは、全く別物で、むしろ実際に幸福を享受することは、周囲を不安や恐怖、妬みに陥れるのかもしれません。本当にこの世は複雑難解で、生きるのが難しいです。

ところで、「人の為」と書いて「偽り」と読みます。本当にこの世は複雑難解です。「人の為に・・」と口走った時、自分の中の「偽り」に気をつけねば、と自戒します。

■ シークワーサーの鏡餅 by T2021/12/17

シークワーサー
石垣島からシークワーサーを頂きました!

送って下さった方は地元里山の知人です。彼は毎年冬になると、石垣島へビジネスの用事で移住されます。そして春になると地元里山に戻って来ます。まるでムーミン谷のスナフキンのよう。

彼には、一年を通じて本当にお世話になっています。森の植物や樹木、キノコ、山菜などなど、いろいろ教えてもらっています。おかげで里山暮らしが数倍楽しくなりました。

約2年前の冬、私たち夫婦は石垣島に住む彼を訪れました。夏場は近所で姿をお見かけする彼に、ホテルのロビーでおち合うと、彼は完全に石垣島の住人のようでした。とても不思議な光景。

来年の鏡餅にのせる柑橘は、シークワーサーで決まり!