One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 幸福を叫ぶことと、実際に幸福であること by T2021/12/18

初雪の早朝
最近の出来事から感じたことを書きます。

その前に、名作映画『イージーライダー』の中での、記憶に残っているセリフを紹介します。大体こんな感じでした。
「なぜ、みんなが君たちを攻撃するのか?そのわけはこういうことだよ。それは、君たちが自由だからなんだ。みんな自由を求め自由を叫んでいる。でも自由を叫ぶことと、実際に自由であることは違うんだ。自由を叫ぶ人にとって、実際に自由を享受している人を見ると、怖くなる。だから攻撃したくなるんだよ。」

僕の周囲の人々のほとんどは、世の中が良くなったっり、世の中の幸福を叫んだりしています。でも一方で、実際に幸福や豊かさを享受している人を見かけると、「君たちばかりが幸せを享受している」と、僕も含めて時々攻撃的になる。「自分は皆のために良いことをしているのに、君たちは自分たちのためばかりに行動している」と、攻撃したりもする。君たちは誰に迷惑もかけていないにも関わらず。

幸福を叫ぶことと、実際に幸福であることは、全く別物で、むしろ実際に幸福を享受することは、周囲を不安や恐怖、妬みに陥れるのかもしれません。本当にこの世は複雑難解で、生きるのが難しいです。

ところで、「人の為」と書いて「偽り」と読みます。本当にこの世は複雑難解です。「人の為に・・」と口走った時、自分の中の「偽り」に気をつけねば、と自戒します。

■ 今の時代に適応するとは by T2021/12/14

採れたて冬野菜
見よう見まねで家庭菜園を営むようになって約30年。細々と野菜作りを続けてきました。

写真は、菜園から収穫してきた大根、人参、長葱、春菊、法蓮草。妻はこれらの材料から、その日のメニューを考えてくれます。調理する直前に、調理する分だけ、菜園から収穫してくる。今採れの食材ですから鮮度抜群です。

時間をかけて、じっと待って、生産する喜びを知る。お金を出して直ぐに欲求が解決する快感とは比べものになりません。

現代人は刻々と、待つことが苦手になりつつあります。画面をクリックするだけでモノが手に入る時代です。そんな時代に適応するということは、周囲と同化し、自分も待つことの苦手な人間になることではありません。それは適応者ではなく、搾取されるカモになることです。

待つことを許さない現時代において適応するということは、自分の欲求や感情を自己コントロールできうる人間になること。僕はそう考えます。

■ ビジネスとしての「里山の塩」 by T2021/11/30

「里山の塩」作り
里山の幸をブランド化しようと努力している若者がいます。先日彼と話していたのですが、悩みの種は保存方法だそうです。野菜は基本鮮度が重要で、長く在庫しておくことができません。その中で椎茸栽培は比較的保存がきき、乾燥椎茸にすれば長期保存も可能です。今後椎茸栽培に力を注ごうかなと思っているとのこと。

ところで、僕が17年間続けている「里山の塩」作りについて話します。販売はしていませんが、一方でマーケットにおける市場価値は如何ほどなのか、単純に興味があります。

塩は無機物なので腐りません。よって長期保存が効きます。
塩はかさばりません。よって保管場所も小さくて済みます。
塩作り燃料は里山の倒木や折れ枝。エネルギーコストが極めて低いです。
塩作り作業の人件費は低いです。今まで一人でやってきたわけですから。
塩作りの設備投資は小さいです。ご覧の通り、写真のような設備です。

というわけで、ビジネスとしては極めてローリスクです。

では、「里山の塩」の社会的貢献度は如何なものか?

燃料がカーボンニュートラル、持続可能で環境に優しい。
天然塩はミネラル豊富で健康に良い。
地元富山湾の海洋深層水と地元里山の薪燃料という地元産。
そして何より、金山里山を整美する過程の中で、思わぬ副産物として誕生した「里山の塩」です。つまり塩作りの大義名分が、里山を良くするという社会貢献そのものです。

ビジネスとしての「里山の塩」は、現在僕の頭の中だけの空想です。でももしもチャレンジするならば、パッケージ等細部の細部まで煮詰める必要があります。塩炊きのように。

■ プライマリーバランス その2 by T2021/11/25

紅葉の進む里山
僕の住む里山のような中山間農地は、平野部の農地と比べ物にならないくらい手間労力のかかる農地です。

草刈りしなければならない農道や畦道の多さ、用水路脇の雑木伐採、ため池管理、獣害対策・・。僕は里山に引っ越す以前、平野部の兼業農家しか知らなかったので、現在住んでいる中山間地における里山農家の仕事量の多さにビックリしました。土日に農作業の無い日はほとんど見当たらないかのようです。里山農家は本当に働き者です。

ところで、2021/11/23のブログ(題名:プライマリーバランス)において、年間町内会費(万蔵)を、休日の町内作業日当によって黒字化する話を書きました。確かに非農家の場合、耕作地にかかる万蔵が無く請求金額が低いので黒字化は容易です。しかしです。それだったら何故、非農家の参加がほとんどいないのでしょうか?何故容易なのに実際しないのでしょうか?

現在、農作業の担い手、後継者不足が叫ばれています。僕が考えるに、将来の選択肢は2つです。一つ目は非効率的な耕地は自然、森に還すこと。それをネガティヴに耕作放棄地と呼ばず、ポジティブに自然循環地と呼ぶこと。二つ目は労働力のアウトソーシング(外部委託)を進めること。

話を戻しますが、中山間地の里山農業は、するべき仕事が多数あります。仕事というよりも環境保護活動です。そうなのです。農業とは環境保護活動なのです。そして、環境保護やアウトドア活動に興味のある人々は少なからず存在します。自然を求める人々は街中にも結構存在します。

求めている両者を、お互いにつなげるシステム、そんなシステム作りを考えようではありませんか!

■ プライマリーバランス by T2021/11/23

秋の里山風景
先の週末、町内では農道法面の雑木伐採と猪除けの電気柵撤去作業が行われました。自由参加で日当が支払われる作業。水田を耕作していない非農家の参加は僕一人でした。

何を隠そう、農家でもない僕が参加した動機は、町内会費(万蔵と呼びます)の黒字化です。ここ数年、僕は年間町内会費を支払わなくてもよい、というか反対に町内からお金を頂いています。つまり、先の作業日当でもって町内会費を賄いプラスに黒字化しています。2021年も黒字確定です。

例えば1万円の作業日当を受け取ったとしましょう。1万円とは、現在の金利からすれば1億円を銀行に預けて得られる利息よりも高額。それを1日半の作業で得ることができます。いかに人的資本が価値あるものか思い知らされます。また、週末の接待ゴルフ仕事に比べて、僕にはこっちの作業の方が楽しく経済的。

僕は薪ストーブを焚きながら里山で暮らすことを求め、ここへやってきました。里山暮らしとは、里山で活動することであり、先述のような雑木伐採や自然の中で生産的作業を楽しむ暮らしです。それでもって収支黒字化は、本当に有難いです。

家計のプライマリーバランスを黒字化・健全化するために先ず行うことは、町内会費のような絶対に支払わなくてはならない固定費を抑制し、前倒しで支払っていくことだと考えます。

■ 嬉しい悲鳴 by T2021/11/16

薪原木搬入
建設関係の知人が、ダンプで栗と柿の原木を搬入してくれました。地元の某歯医者さんの庭の一部を車庫にする工事らしく、伐られたそうです。

薪作り作業の大変なところは、木を伐採して搬入するまでの作業。ここまで終了すれば後は大したことはありません。だからとても有難いことです。

ただ、もうそろそろ薪置き場も一杯になりつつあります。だから薪仲間にも分けたいと思っています。

暖房燃料費を筆頭に物価が高騰している現在、薪燃料が集まってくるのは嬉しい悲鳴です。

薪を焚く効果は、単に室内を暖めるだけではありません。
お湯を沸かしたり、煮物を作ったり、調理のガス使用量も減少します。
洗濯物が乾くので乾燥機の電気使用量も減少します。
薪作り作業に時間を使うので、テレビ視聴、どうでもよい外出、無駄な買い物、無意味な社交などなどが減少します。電気、ガソリン、お金、時間の節約になります。

そして、薪作りで身体を温めるので、薪の消費が減少します。そこに更に、薪原木が集まってくるので、嬉しい悲鳴です。

■ 牛フンの方が by T2021/11/14

ボーダーガーデン
先日、清掃業務を仕事としている知人が言っていました。
「人間が分別しないで無造作に投げ捨てた、飲みかけのタピオカ容器を始末するよりも、牧場で牛のフンを始末している方が、よっぽどキレイでやり甲斐のある仕事だ。牧場に転職しようかな」

その通りだと思う。応援します、転職を。
不法投棄する人間のゴミよりも、牛のフンの方が自然で役に立つ。事実、発酵させた牛フン堆肥は、菜園の土作りにはとても有用。美味しい野菜や美しい花々を咲かせてくれます。

昨日、近所の人の散歩コースとなっている我が家の前庭ボーダーに、新たにキョウカノコを移植し牛フン堆肥を混ぜ込みました。加えて既存のユキヤナギ、ヤマブキ、アベリア、ハギの根元にも、お礼肥として牛フン堆肥を撒きました。来年もウォーキングする人の眼を楽しませてくれれば嬉しいです。

今植えているチューリップ球根の土にも、牛フンをすき込みました。

牛フン堆肥は、市内の酪農業者にトラックで運んでもらい、その後さらに数ヶ月、自家菜園の隅で発酵熟成させたものを使用しています。DIY量販店にて袋詰めされた商品を購入する価格と比べ物にならないくらい格安で大量に入手できます。

何が自然で何が不自然か。何がキレイで何が醜いか、世界は認識で構成されています。

■ 無いものを求める by T2021/11/10

秋の笹尾池
先日、金山里山の会の年配会員が話していました。
「灯油も電気も高くなって全てが物価高の中、コメだけが安くなって農家は大変。皆んなコメを食べなくなって、米が余っている。」

身の回りに十分あるモノを求めず、身の回りにないモノばかりを求めている。それで物価上昇に悩んでいる。

身の回りの里山に十分ある樹木燃料を求めず、日本で産出されない化石燃料を求め、遥か海外から購入している。それで石油高騰に悩んでいる。

敗戦後の日本では、学校給食にコメを使わずパン給食とした。日本に十分あったコメをあえて消費せず、輸入小麦のパンを消費させられた。アメリカの余剰小麦のはけ口として。高度成長期、バブル期を経て、商品経済に慣れ親しんだ日本人は、今ここに十分あるモノを求めず、ここに無いものをあえて求めるようになった。

最高の薪は、ブナでもコナラでもシラカバでもない。
最高の薪は、そこで手に入る薪。

■ ギバーとテイカー by T2021/11/05

初夏の笹尾池
金山里山の会の、特に年配の会員さんを見ていると、つくづくギバーだなあと思います。ギバー(giver)つまり「与える人」。森の木を育てたり、林道を整美したり、その成果が形になるのはずっと先で、自分の取り分は少なく、自分の労力と時間を多く提供するばかり、にも関わらず、嬉々として活動されている姿を見るにつけ、本当にギバーだなあと感動します。

それなのに、金山里山の会でキノコ研究林として松茸や網茸を保護するために、地権者の了解を得た上で、無断入山しないようロープを張ると、それに何かと物申してくる人がいるのも事実です。地権者でもないのに。

「松茸、今年はどれだけ売れて儲かった?」とか、「散策しづらくなった」とか・・。これから将来、キノコがたくさん採れる里山を拡大するための小さな研究林で、採れた松茸は真っ先に小学校の給食に提供し、販売などしたことないにも関わらず。

世の中には、与えることよりも、もらうことばかりを考えるテイカー(taker)がいるのも現実です。

完全なギバーは存在しないし、完全なテイカーも存在しないでしょう。現実の世の中はギヴ&テイクで成り立っています。しかしながら、ギバー的傾向の強い人間とテイカー的傾向の強い人間に、何となく分類できるような気もします。

環境を良くする活動に奉仕するギバーにのみ、自然の恵みが与えられるわけでなく、良くなった環境の恩恵はテイカーにも同様に与えられます。それでも奉仕せずにはいられないギバー。自然保護のために一生懸命活動しているギバー。僕は頭の下がる思いです。

■ 労働は芸術であるべき by T2021/11/04

労働は芸術である
先日、水道メーター調査員の方が、我が家のメーターボックスの蓋を入念に閉めていました。「適当で良いですよ」と言うと、「最近ちょっとでもズレていたりすると、子供がつまずくとか、何かと苦情を言われるんですよ」とのこと。

この国には何か違和感を感じます。海外を旅すると、特にヨーロッパ諸国を旅すると、お店の人とお客が対等に近い感じがします。その理由を伺ったことがあります。「何故ならば働くことは尊い行為でしょ。」とのこと。勤労行為は消費行為に劣らず、価値があるというわけです。

ところが日本の場合、お金を支払う客は、たとえお金を持たなく借金して買う場合でさえ、客の上から目線を感じる場合が多い。レストランの接客スタッフやコンビニエンスストアの店員に対し、タメ口で横柄な言葉を使う客を時々見かけます。一方でパリのカフェのギャルソン(給仕店員)は堂々としています。この違いは何でしょう。

日本では労働よりもお金の方が尊いのでしょうか?この国では、単にお金のために働かされているのでしょうか?

宮沢賢治が言ってました。「労働は芸術であるべき」と。
僕もそう思います。