One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 8月9日は記念日 by T2017/08/09

8月9日は長崎原爆の日ですが、私たちにとってもう一つの重要な記念日でもあります。

今から13年前の2004年8月9日早朝、私たち夫婦はアメリカ、マサチューセッツ州のコンコードという町にあるウォールデン池を訪れていました。そうです。あのヘンリーD.ソローが自給自足の実験生活を行なったウォールデン池畔です。


ウォールデン池


私たちは我が家の薪ストーブから出た灰をフイルムケースに入れ持参し、ソローが自ら建てたキャビンの暖炉跡にその灰を撒いた日でした。日の出直後の早朝ということもあり、世界広しといえど私たち二人の他、周りには誰もいませんでした。

その日の午後、コンコードの博物館を訪れると、職員の女性に「はるばる日本から、この記念すべき良き日にコンコードを訪れ、あなたたちはラッキーです。」と言われました。何とその日は、1854年8月9日にソローの世界的名著『ウォールデン 森の生活』初版本が出版された記念日で、ちょうど150周年にあたる節目の年だというのです。

そのようなこととは露知らず、いろいろな偶然に動かされてウォールデン池畔を訪れたのが、そんな運命的な日だとは!

2054年8月9日の200周年記念日に、再び私たちが灰をウォールデン池畔に撒くときは、僕は89歳か。まだまだ十分薪割り可能な年齢です。


■ 2017年の第1クオーターが終了 by T2017/03/31

今年も4分の1が過ぎました。ここ数年スーパーマーケットへ行った回数を数えています。
2014年は9回
2015年は6回
2016年は2回
そして今年の現在まで、0回


我が家は週2回の食材宅配サービス(みどり共同購入会と富山県生協)をお願いしているので、基本的にスーパーマーケットへ行く必要はありません。脱スーパーマーケットを身につけると良いことがあります。それは駐車場でのクルマの接触事故といったリスクが回避されます。当然無駄なガソリンを使わなくても良いです。脱スーパーは脱クルマでもあるようです。 田舎ではクルマを所有しないと生きていけないという先入観は、食べていくという点に限って言えば誤りであると思われます。


スーパーマーケットへ行かなくてもよいのは家で調理をしないからではないかという指摘も考えられます。ですから加えて外食の回数も数えています。ちなみに年間の総食事回数は3食×365日=1095回です。そのうち我が家の外食回数は
2015年は35回
2016年は54回(アイルランド旅行をしたので多かった)
そして今年は現在まで10回


私たちの外食の定義は家で調理をしていない食事全てを指します。だからコンビニ弁当を家で食べても外食ですし、デパ地下でお惣菜を買ってくるのも外食です。

10回の内訳は、正月のお年始に夫婦それぞれの実家での食事が2回、一泊二日の東京旅行で5回、インフルエンザ予防接種替わりのお寿司を注文して1回、義母と買い物に行った時の昼食が1回、あと1回は夫婦それぞれ職場等の昼食会で合計10回です。


3ヶ月で90日つまり朝昼晩で270食中、外食が10回ですから260食は妻が家で調理してくれたことになります。我が家のキッチンにはタイマー付き電気炊飯ジャーと電子レンジと電気ポットがありません。ですから朝ご飯を炊くためにガスに火を付けなければなりませんし、冷凍食品をチンすることもできません。そのような条件の下、昼の弁当も含めて260回の内食にとても感謝しています。ともあれ我が家の外食回数は少ない方だと思います。


脱スーパー買いや脱外食習慣について、今どきの時代、信じられないと言われることもあります。でも逆に僕に言わせれば、食べ物を求めて外に向かうのは獲物を求めて狩りに行く原始人と似ているのではないかと思います。ヘンリDソローは『ウォールデン』の中で書いています。


文明人とは経験を積んだ未開人である。

薪ストーブの天板に並ぶ鍋たち

■ 継ぎの当たったシャツを着れますか? by M2017/03/30

1950年代の足踏みミシン、今も現役です
「膝に継ぎの当たったズボンを履けますか?」

ヘンリーDソローが知人にした質問だそうです。
ほとんどの人はそんなものを着たらまるで一生が台無しになってしまうよ、という態度を取ったそうです。挫いた足を引きずりながら町を歩いた方がよほどましとのこと。

さて、今日の昼食後、夫が私にお願いがあるというのです。そのお願いとは…
「作業着に継ぎを当てて欲しい」というものでした。生成色に黒の大きなチェックの入ったウールシャツで結婚当初にフリーマーケットで購入したものです。

その頃夫はほとんど服というものを持っていませんでした。大げさに聞こえるかもしれませんが本当です。洋服ダンスの3分の1を夫用に空けてあったのですが、いつまでたっても実家から服を持ってこないのです。業を煮やし私が夫の実家へ取りに行くと、夫の部屋にはTシャツとジャージが詰め込まれたゴミ袋が部屋の中央に一つあるだけでした。

思い起こせば結婚前の夫は、Tシャツとジャージ以外では、春夏用、秋冬用の街着それぞれ1着を着続けていたような気がします。

そういうわけで結婚当初はフリーマーケット等で街着をしばしば買いました。そのうちの1着が先のシャツなのです。秋から冬にかけて頻繁に着ていましたが、ものが良かったせいかまだ生地はへたってはいません。しかし、昨年の秋、裾に3cmほどの裂けが見つかったので作業着に降格したのです。さらに山の中ででも引っ掛けたのでしょう、最近になって肘にも5cmほどの裂けが増えていました。

私が怪訝な顔をしていると、最初に記した「森の生活ーウォールデンー」の記述が夫の口から出てきたのです。自称ソロービアンですので「継ぎの当たったシャツを着てはいけません」とは言えず、継当てをすることになりました。

そこで登場したのが、私の祖母の足踏みミシンです。父によると、1950年代に祖母(父の母)がどうしても欲しいと言い購入した代物とのこと。私が物心ついてからずっと結婚を機に家を出るまで、祖父母の部屋の外廊下に置いてありました。小学校高学年になってミシンを触れるようになり、ちょっとした小物や簡単な服を作ったこともありました。

結婚を機に実家を出るにあたり、祖母はすでに亡くなり誰も使っていなかったそのミシンを譲り受けました。それから26年間全く使いませんでしたが、仕事を辞めたら使おうと思っており、新居にも持って来てありました。

そして昨年4月、祖母が亡くなってから30年以上全く使われていなかったミシンが息を吹き返したのです。2008年大河ドラマ『篤姫』の撮影にミシンを提供されたミシン屋さんが富山市中心部にあり、その店主が家まで来てくださいました。油を注し、ベルトを取り替え、悪戦苦闘の末、使えるようになったのです。

息を吹き返してから1年ですが、ミシンを使ったのはこれまで3回だけ。古タオルで雑巾を縫ったのが1回、日本手ぬぐいの端を縫いほつれを防止したのが1回、古くなったコットン製のワンピースの丈をつめ部屋着にしたのが1回。

裂け目の裏に当て布を貼り、表からミシンをジグザグに細かくかけました。そう言えば、故津端修一さんも継ぎの当たったズボンを履いていらっしゃいました。これで夫が、ヘンリーDソローと津端修一さんに一歩近づけるとしたら、継当てシャツもありということでしょうか。

最後に…
今、分かったことなのですが、継ぎ当てをしたシャツは洗濯前だったそうです。汚れがなく、汗臭くなかったので気づきませんでした。

「えっ!洗濯してから補修するものだと思うよ!」と言っても後の祭りです。

■ 里山で体温を一定に保ち続けること:ヘンリーD ソローに学ぶ by T2017/03/27

ウォールデン池畔で「ウォールデン」を読む_2004.8_
過ごしやすい気候になってきました。薪ストーブに火が入るのも朝晩だけとなり、薪の消費量も少なくなってきました。

今シーズン焚いた主な薪は2013年ヴィンテージもの。つまり暖房費は3年以上前に支払いしてあったものです。来年の暖房費も既に前払いしてあります。前払いといっても実際はお金ではなく薪を割って薪小屋にストックしているという意味です。

お金とは一線を画した暖房費。薪は原油価格の変動や原発事故後の電力料金など不安定な社会情勢に左右させずに安定して来るべき冬を暖めてくれるでしょう。

ヘンリーDソローは著書『ウォールデン』の中で書いています。

「自分の薪の山を見るときは愛着の眼差しをそこに向ける。」 
佐渡谷重信 訳


ところで話は変わりますが、生きるとはどういうことでしょうか。やはりヘンリーDソローは『ウォールデン』の中で書いています。

「われわれの身体にとって最も必要なことは保温すること、つまり体温を一定に保っていくことである。」

生きる目的は生存し続けること。つまり体温を一定に保ち続けること。僕はそう解釈しています。

人間は哺乳類で恒温動物。そんなこと分かりきったことではないか!と言われるかもしれません。でも僕は極めてシンプルに人生というものをそう本気で捉えています。つまり生きることの定義と目的が一致した人生を歩むことを行動の第一原理としています。

体温を一定に保つということは体温が低すぎてもいけませんが高すぎてもいけません。体温を一定に保つということは、生活のための必要な熱量を確保すると同時に、生活を脅かす過度な熱量を排除することの両方が大切です。

生活に必要な熱量の確保とは具体的には、燃料の確保、食糧の確保、住空間の確保、生活必需品獲得のための資金確保、将来及び危機管理としての適度な貯蓄などです。

生活を脅かす過度な熱量の排除とは、無駄な購買消費や過度なエネルギー消費の排除、無駄な所有の排除、一切の借金負債の排除、時間を浪費する過度な労働や社交の排除などです。

そして以上のような体温を一定に保つ熱確保と熱排除のために、私たち夫婦が選択した方法・戦略が何をかくそう里山暮らしという戦略なのです。

親や子供に依存しすぎない自立した家庭生活を生活信条に従って営むための場所は、都会であっても里山であってもどちらでも構いません。ただ都会生活では概して消費活動が生産活動を上回る傾向が強いようです。生産手段としての土地が少ないことと消費を促す刺激の多さが都会の特性なのかもしれません。

一方里山生活では広い生産手段としての土地、豊かな自然資源などの好条件により生産活動が消費活動を上回る可能性を秘めています。

薪をつくったり家庭菜園を営んだり、空調や防災などアメニティとしての庭つくりといった必要熱を生産する活動が暮らしの一部となれば、その分無駄無益な消費活動や浪費時間も抑制されます。

よく「スーパーマーケットやショッピングモールが近くに無いと不便じゃありませんか?」と言われます。僕に言わせれば、不便だから良いのです。不便だから里山が有利なのです。不便だから里山に住んだのです。それに不便といったって里山は奥山ではあるまいし。

そんな有利な里山の中で私たち夫婦は体温を一定に保ち、誰に何を言われようと可能な限り生存し続けたいと思っています。何故生存し続けたいのか。再度申しますがそれこそが生きる目的だからです。

世界を見よう。お互いに知ろう。それが人生の目的だから。 映画『LIFE』より

■ お雛さまを片付けて・・・・ by M2017/03/04

ウォールデン池を題材にしたリトグラフと写真
今朝、雛飾りを片付けました。
賑やかだった玄関横の棚がすっきりとしました。残ったのは、リトグラフの額とフォトフレーム、スタンドの3つ。

朝食の片付けをしながら棚を眺めていて、今日はこのリトグラフと写真のことを記事にしたくなりました。題材はともにウォールデン池です。

アメリカ東海岸のボストン近郊のコンコードの中心部から約2kmのところにある周囲が3kmほどの池。この池については、以前、記事にしました。
http://onesway.asablo.jp/blog/2017/02/13/8360054

この旅では奇跡の連続で、この写真も奇跡の一つです。当時、私たちが使用していたのは一眼レフのフイルムカメラと写ルンですでした。ですから現像するまでどのように撮れたかを確かめることはできませんでした。

ウォールデン池詣でをしたのち、池の近くのショップで見つけたのが壁にかかっているリトグラフです。記念に買い求め持ち帰りました。そして、旅の写真を現像・プリントし、よく撮れていた1枚をフォトフレームに入れ、額の下に飾ったところ、アングルが一致していたのです。縦と横の違いがあるものの右に3本、左には2本の木を入れたところまで!

フィルムカメラですから、シャッターを押すのはよくよく考えてからです。そんな少ない写真の中の1枚と同じアングルで作られたリトグラフを私たちは無意識に購入していたのです。

ソローにまつわる他の題材をモチーフにしたリトグラフもあったのですが、夫も私もこの作品が気に入り買い求めたものでした。同じアングルだということに気づいた時は、驚きのあまり声も出ませんでした。

雛飾りがないときも棚は、お気にりの作家さんの作品やイベントの案内DM、花器に入れた草花などで賑やかなのですが、たまたま生まれたこのすっきりとした雰囲気も悪くはありません。しばらくはこのままにしておこうかと思っています。

■ 鉄の斧と金(カネ)の薪割り機 …by T2017/02/17

鉄の斧
先日、生まれて初めて薪割り機を使う機会がありました。最初に結論を言いますと、やっぱり斧で割った方が良いと思いました。その主たる理由はこういうことです。

現在のところ斧割りで何の問題も感じないからです。将来、体力が衰えて、というよりも気持ちが萎えてしまい、斧割りが困難になるときがくるかもしれません。その時は高価な薪割り機に投資するよりも、薪ストーブに代わる暖房器具に投資・設置して、薪ストーブはそのまま残し、時々細々と自分で割ったり、既に割られた薪自体を購入して楽しむといった暮らしに移行すれば良いと思っています。それに薪割り機といっても結構体力を必要としましたよ。


薪割り機の良い点を推測すると
① 作業時間を短縮できること
② 作業労力を減らすことができること
③ 割りにくい木も細かく割れること などです。

つまり薪割り機の良い点とは、速くて楽(ラク)なことだと言えます。


でもそれは本当でしょうか?

斧割りの場合、すき間時間を見つけて作業をただちに開始できます。途中での作業中止や片付けも簡単です。一方薪割り機は準備・片付けに時間がかかります。また購入費と維持費が掛かります。購入費や維持費とは他の場所での労働時間を投資して手に入れた金銭です。金銭自体に時間がかけられているのです。


ヘンリーソローは『ウォールデン』の中で書いています。
「私がいま徒歩で出発すれば、夜までには到着する。・・その間に君は汽車賃を稼ぎ、翌日の何時かに(汽車に乗って)そこへ着く。」つまり「最も迅速な旅行者というものは歩いていく人だ」と。

これは薪割りにも言えることではないでしょうか。

薪割り機は楽(ラク)かもしれません。でも斧割りに比べると楽(タノ)しくはありません。薪割り機は使えば使うほど動力源のエンジンを消耗・劣化させます。斧割りは動力源である人間身体を鍛え長持ちさせます。つまり使用とメンテナンスが同時進行なのです。

また人間の燃料は食物です。ガソリンに出費しても喜びはありませんが、食事に出費するのは食べる喜びがあります。

というわけで、僕の意見では斧に軍配があがります。あなたはどう思いますか?

■ フリーダム・トレイル(エピローグ:BOSTON THE RED CITY)2017/02/13

2004年8月に私たちは旅行でボストンとコンコードを訪れ、帰国後旅の記録として冊子を作成しました。その文章及び写真を掲載します。

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フリーダム・トレイル:自由への軌跡
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BOSTON  THE  RED  CITY

BOSTON THE RED CITY

「ボストンは何色のイメージ?」と問われれば、「赤色」と僕は答える。
それはレンガ・ブリックの赤色だ。アメリカ西海岸と異なり、東海岸は地震が少ない。カリフォルニアに比べて、ボストンの夏の湿度は高い方だが、日本の梅雨ほどでもない。レンガ造りの建物が充分機能する。

そして、18世紀のアメリカ独立当時からの築200年を優に超える歴史的建造物が、内装を近代化させつつ受け継がれている。通りに面するファザード(建物の前面、通りの景観を形作るもの)は、都市のコードがちゃんと守られ、統一美を成している。総じて都市の住居は集合住宅である。表通りと裏通り、そして路地が都市に緩急を付け、活気のある賑わいと落ち着きのある静けさを同時処理している。

道路は決して自動車のためだけのものではない。ショッピングの中心であるニューベリー通りやボイルストン通りを筆頭に、人はよく歩いている。大都市へ行くほど人はよく歩くと僕は思う。だからみんなお洒落に気を遣う。歩かない町の住民は必然的にダサくなる。田舎が潜在的にダサいのではなく、歩かない田舎モンが自分と町を後天的にダサくしていくのだ。

ボストンは大都市と言っても人口58万人である。そんなに大きいわけではない、というか日本の大都市がアナーキーに拡大しているに過ぎないのだろう。歩行者のいない街は死んだ街だ。人は生きるために歩き、歩くことによって街は生き続ける。

アメリカのジェーン・ジェイコブスという無名の女性は「道路は自動車のためだけにあるのではありません。通りは部屋になることを望んでいます。そこは、少年が、自分が将来何になるかを夢見ることができるような場所でなくてはいけません。」と、真っ向からコルビジュエ・モダニズム都市に啖呵を切った。彼女は決して建築や都市の専門家ではない。その土地に暮しその地域を愛する無名の女性であった。そんな肩書き無し、バッジ無しの一市民の声を受け入れるアメリカの懐に、僕は口惜しいが敬意を表したい。どこかの国のように、道路整備が私腹肥しと予算消化の目的となっているのとは、大きな違いである。大切な家族の肉声よりも専門家のウンチクを鵜呑みにする人間と比べ者にもならない。


隣人の地境を移す者達がいる・・・ 
貧しい人々を追い払い
友を失った人々を苦しめようと謀りごとをめぐらす
旧約聖書 ヨブ記23章より

ところが、どこかの国の場合、時々、道路整備に自分の土地が引っかかって売れることを望む者もいるではないか。そのほとんどの場合、自分で手に入れた土地ではなく、先祖から相続したタナボタのくせに・・・だから尚更やっかいだ。


賑わいのある表通り
賑わいのある表通り

静かな路地
静かな路地


ボストンの歴史散策をするには、フリーダム・トレイルが最適だ。
これは、ボストン・コモンと呼ばれるアメリカ最古の公園をスタートして、道路に引かれたレッド・ラインに沿って歩き、独立戦争の激戦地であるバンカー・ヒルに到達するという、約6時間の個人ツアーだ。ガイドを雇うこともできるが、僕たちは自分たちのペースで歩きたかったので2人で歩いた(ガイドの話を聞いても、僕らのリスニング能力に問題があるのでチンプンカンプン、というのが本当の理由)。

旧州会議事堂前にあるボストン虐殺地跡(1770年、イギリス兵にアメリカ植民市民が射殺された)を通り、終点のバンカー・ヒル記念塔に上った。1775年のバンカー・ヒルの戦いは、イギリス軍に対しアメリカ植民地軍の敗北に終わったが、その後、植民地軍は結束を固めていき、結果的に独立を獲得する。初期のアメリカ人は、外国からの支配及び搾取に対し、正々堂々、正当な権利を主張する点で、極めて正常といえた。少なくともモンロー宣言を謳っていた頃は・・・・

バンカーヒルの塔
バンカーヒルの塔

いつの頃から、己の欲せざることを人に施すようになったのか。
どうして、隣人の家に飛行機を墜落させた上に、その隣人を閉め出すようになったのか。獲得することが自由への道なのか。
それよりも、失う物を持たない自由の、何と身軽なことよ!


デジラなるチグリス河の流れは絶えずして
バグダッドをよぎりて、うたかたの夢を結ぶ
されば、汝が手に持てるもの多しとせば
ナツメ椰子の如く人に施すべし
施すものなくば
糸杉の如く、自由の民となるべし
シェイク・サーディ(注) 『グリスターン(薔薇園)』


(注)シェイク・サーディ(1184頃~1291)はイランの詩人。H.D.ソローは、『ウォールデン-森の生活』の第1章で引用している。
チャールズ川とロングブロウ橋
チャールズ川とロングブロウ橋

※ 2004年8月に私たちがボストンとコンコード旅行の記録はこの記事をもって終了です。お読みいただきありがとうございました。機会があれば、冊子に使用しなかった写真を掲載したいと思います。



■ フリーダム・トレイル(その15:ソローの墓)2017/02/13

2004年8月に私たちは旅行でボストンとコンコードを訪れ、帰国後旅の記録として冊子を作成しました。その文章及び写真を掲載します。

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フリーダム・トレイル:自由への軌跡
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ソローの墓

アメリカでは、人は個人として葬られている。オンリー・ワンである。いつ誰が生まれ、そして死んだかを墓石に記す。当人がこの世に生きた事実は、正に墓石のごとく硬い真実であることを伝える。

これに対し日本の墓は違う。日本では、人はご先祖様という名の下に、十把一絡げで葬られる。いつ誰が生まれ、そして死んだかという事実を曖昧なものにし、代わって墓の建立者の名を記す。「私が墓を建てたんだぞ」という、それを読んだ人が「だからどうした」と言いたくなるようなメッセージを伝える。低俗な思考パターンという点では、ナンバーワンを競ったエジプトのピラミッドと大差はない(スケールの差はあるが)。
ソローの墓

毎年お盆前に、僕は、自分の家の墓を開けて空気の入れ換えをする。墓の中はムッとする熱気に満ちており、まるでトルコのハマム風呂だ。骨壺はコンクリートで固められた床の上に置かれ、我らが帰るべき大地から隔絶され、魂は行き場を失いさまよっている。かなり先祖の遺骨となると、本当に十把一絡げに、ひとつの骨壺に一緒くたにされている。

僕は別に、僕が生きた証を残してもらわなくてもいい。僕は荼毘に付され、空気と化して拡散し、山肌を上昇して雲となる。そしてゼウスの雷電を受け銀弦の雨となる。そして新たな種を芽生えさせるのだ。その一連の過程は、あたかもシーシュポスの岩のように、何度も何度も上下を繰り返される。プロメーテウスは天上より火を盗み、人間に与えた。その罰を受けプロメーテウスは、人間の身代わりとして、永遠に再生される肝臓を永遠にハゲタカに食われることになった。遺伝子情報によって、人間からは人間しか生まれないというのは、科学がもたらした大きな誤りだ。それこそ人間と自然を区別する驕り高ぶった考えだ。人間は自然の一部である。人間は自然の一部だから神の子なのだ。人間は、大地を滋養し、新たな惑星を再び誕生させることができるのだ。

風に吹かれる時、その風は、遙か昔の生き物たちの化石であり、音声メッセージである。君たちには帰るべきところがちゃんと保障されているという、大いなる安心感の源である。僕は自転車に乗るのが大好きだ。自転車で風を切り大地の振動を感じながら走る時、遠くから地面を這うように、ティンパニを叩くような小さな音が聞こえてくることがある。実際に聞こえるわけではないが、そんな感じがするのである。そしてそのティンパニのような音は徐々に大きくなり、頂点に達し炸裂する。そして大聖堂の門が開かれ、威風堂々とゆっくりゆっくり入っていくのだ。歩む道の両側からは大きな拍手が響き、僕の勝利を祝福してくれている。そこを歩く誰もが勝利者であり、そこに列する全ての人も勝利者である。そんなランナーズ・ハイに包まれる時、僕は追放され終わりなき道を逃げているのでは決してなく、いついかなる状況でも、山のように決して動かない終の棲家がちゃんとここにあることを確認できる。だから、僕は一切の疑念を抱かないで、思う存分胸を張って、今を走ることができるのだ。

「Simplify  Simplify(簡素に、さらに簡素に)」と囁き続けるような、ヘンリー・デヴィット・ソローの小さく素朴な墓石には、楓や松の葉、ドイツ唐檜の実がリースを作るように手向けられていた。墓石自身も参拝者の手で磨き込まれ、品の良い大理石と化していた。そこは、スリーピー・ホロウ墓地の開放的な高台であり、彼がこよなく愛したコンコードの町の中心に位置していた。

追記
ボストン美術館、おまえもか!帝国主義時代を経てきた西欧人(恥ずかしながら日本も帝国主義のコバンザメだったが)はどうして憚りもせず、世界からの略奪品を、こうも誇らしげにプレゼンテーションするのか。エジプトやギリシャなどからの彫刻、神殿、石棺、副葬品、そして遺体までも、そこに落ちていた石ころでも拾ってきて、「最初にみつけたのは俺だ。俺のものだ」と宣うような、開き直った墓荒し同然の体たらくである。この感覚が理解できない自分自身を、僕はとても誇りに思う。また、中世からイタリアルネッサンスにかけてのキリスト教絵画にしても、カセドラルや教会からの略奪品みたいな代物だ。宗教的な場、個別的・象徴的な場所の重要性を無視して、「宗教絵画コーナー」というレッテルでファイリングしたような美術館の一室では、絵を眺めても、どうも直感に迫ってこない。こういう絵や壁画は、頑なまでな臨床として生きてくるものだと思う。
これよりボストン市内に入ります
これよりボストン市内に入ります



■ フリーダム・トレイル(その14:ソローの亡くなった家)2017/02/13

2004年8月に私たちは旅行でボストンとコンコードを訪れ、帰国後旅の記録として冊子を作成しました。その文章及び写真を掲載します。

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フリーダム・トレイル:自由への軌跡
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ソローの亡くなった家

ソローの亡くなった家

ソローがウォールデン池畔に住んでいたのは、2年2ヶ月と2日間の、本当に短い期間である。それ以外はほとんど家族と一緒に暮らしていた。彼が亡くなったのは、45歳になる目前の、5月6日。まさに色とりどりの花がコンコードの町に咲き乱れようとする矢先のことであった。

彼の死の直前に、『ウォールデン-森の生活』の復刊計画が持ち上がる。ソローのかねてからの願いであった、本の題名からの「Or Life In The Woods(森の生活)」削除が、編集者と合意を見て、『ウォールデン』のタイトルで復刊された。アメリカ南北戦争真っ直中の1862年のことであった。そして彼の死直後の同年9月、リンカーンが奴隷解放宣言を出した。

日本では、『ウォールデン』よりも『森の生活』の方が知名度があるようだ。しかし実際コンコード、ウォールデン池へ行ってみると、町の中心と池までの道程は、ちょっとした朝の散歩感覚のものであり、奥深い無人の「森の生活」とはイメージが合致しなかった。

実際、僕たち夫婦はホテルの朝食前に、徒歩でウォールデンのソロー・キャビン・サイトに行き、帰り道、ポケットにあったなけなしのコインで、スターバックス・コーヒーをひとつ買い(一つしか買えなかった)、二人で交互に飲んだ。ソローは森の生活の最中にも、フィッチバーグ鉄道の線路に沿って、コンコードの中心街へ出かけたり、隣のリンカーン村へ講演に行ったりしている。ソローの森の生活は、決してヒンドゥー教で言うところの、人生晩年「林住期」「遁世期」のような生活ではない。「隠れて生きよ」といったエピキュリアン的生活を意味しているのではない。

-私は午前中、豆畑に鍬を入れる畑仕事に精を出し、あるいはいくらか本を読み、書いて過ごしました。その後、私はウォールデン池に下りて改めて水を浴び、近道をして池の小湾を泳いで渡りました。私は、一日の仕事の垢を洗い落とし、勉強の最新の成果である妙案をすべて忘れ、午後は、完全に自由な時間を持ちました。その自由な時間を使って、私は毎日か一日おきに、村へ散歩に出かけました。-
『ウォールデン-森の生活』 第8章 村

コンコードの中心
コンコードの中心

ソローの亡くなった家は、その後、あの『若草物語』の作者で有名なルイザ・メイ・オルコットのオルコット家に譲られることになる。現在も、コンコードの某家族がその家を受け継いで生活しているようであった。豪邸や宮殿のような自分自身の肉体をも持て余すような豪邸や宮殿だったら、保存・維持していくため、博物館という生きながらの剥製にされる運命だったかもしれない。しかし、このソロー・ファミリーの家は、いかにもソローらしく、こぢんまりと決して華美に走らず、現在でも「暮らしの神髄を吸いつくし」続けていた。

-スパルタ人のように頑強に、暮らしといえないものを追い払い、広々と薙ぎ払い、根元まで切りつくし、暮らしを隅に追い詰め、根源までそぎ落として、それでも暮らしが良くないとわかったら、良くないさまを世界に説明しようと考えました。暮らしが良いとわかったら、暮らしの経験を重ねてよく知り、本当の暮らしの話を次の旅の記録に書こうと思いました。というのは、私の目にはほとんどの人は、暮らしのあり方を考えない、不思議で曖昧な暮らしをしながら、神のもの、悪魔のものと、少し性急に結論を下すだけだからです。-
 『ウォールデン-森の生活』 第2章 どこで、なんのために暮らしたか



■ フリーダム・トレイル(その13:ソローの生誕地)2017/02/13

2004年8月に私たちは旅行でボストンとコンコードを訪れ、帰国後旅の記録として冊子を作成しました。その文章及び写真を掲載します。

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フリーダム・トレイル:自由への軌跡
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ソローの生誕地

ソロー生誕の地近くのオーガニック農園

ソローの生誕地跡には、現在家が建っておらず、ソローの生家に関係があるのか無いのか分からなかったが、その跡地にはささやかな石垣と、薪山が残されていた。そして近くに展開されたオーガニック農園では、ソバの花が「日ごとに遠く、広く」、その同朋を拡大していた。

遠い昔、母親の子宮から飛び出すように、出アフリカに成功した現世人類の先達が、未踏未開の地を求めてグレート・ジャーニーを敢行し、あたかも五体投地を行うように自然の摂理に従いながらゆっくりと、しかし着実に極地や山岳地帯を幾つも越え、最果ての不毛パタゴニアまで辿り着いた。宇宙的数にも及ぶ過酷な試練は、人類に堅い黄色の皮膚を授け、わずかな水、痩せた土地、極寒にも根を上げないような不屈のモンゴロイドに人間を鍛え上げた。さらにモンゴロイドはそこでも安穏とせずに、温暖化し急速に拡大した大海原へ羅針盤さえも持たず切り込んでいき、無数の楽園島を築いていった。

かつて西欧人は日本のことを最果ての東の海に浮かぶ黄金の島ジパングと呼んだ。中心から辺境へ、本丸から最前線へ、集中から拡散へ、安住から開拓へ、その紛れもないモンゴロイドの末裔たる僕は今、迎合し思考を中断させ責任を放棄すること断固拒否せよという、己の守護神の一喝を受けたような気がした。確かに今の自分の体たらくはどうだ。中央集権に向けて線路を引いてくれ。首都へ向けて広くて高速な道を作ってくれ、新たな航空路を開いてくれと懇願陳情するばかりじゃないか。何故大幕営から踵を返し、辺境へ馬の鼻先を向けないのか。何故自分の筋肉に訴えて自ら開拓しないのか。

だが一方で、レジスタンスには、平和的にそして心にユーモアを持って、そのプロセスを大いに楽しむことを忘れてはいけない。まさにこのソバの白く愛らしい花のように。プロセスを楽しむということは、高速新幹線では停まらない名も無き停車場に立つことだ。

ソバの花も実を結ぶためにやがて枯れる。そして新たに生まれ変わる。僕が死んだら、渋い死に花を手向けて欲しい。生物にはどうして死があるのかの問いに対し、1つの個体のみに、進化という大きな使命を背負わせるのは、余りにも酷すぎるから、とある学者が言っていた。自分は手を汚さず、他者に、大革命のダイナマイトを一身に背負わせる原理主義者が現実に存在する。ブラック・ユーモアにすら成り得ず、救いようがない。原理主義者とは別にイスラム原理主義者のみを指しているのではない。「・・しなければならない」「・・せねば未来はない」と絶叫し、人々を不安にさせ煽動する輩を全て指している。人々に希望を与えるのではなく、凝り固まった断崖から見下ろすような不安や恐怖感で強迫する、全世界にはびこった小人たちである。

思い込みを一切排し、また「せずにはいられない」という心の奥底から湧き出てくる意思感情と明確に区別した上で、世の中で本当にどうしてもしなければならないことを5つ挙げよと問われた時、果たして5つ挙げることができるだろうか。赤丸急上昇でチャート・インするトップ5は、果して埋まることがあるだろうか。5つもそんなにいっぱいあったら、僕のたった一回かぎりの身が持たない。空気を読むのは大切だが、空気に流されないようにしたい。

ソロー生誕地跡の隣の家には、黄色い一羽のモンゴリアン・バードが、餌をついばみに飛来していた。この黄色い鳥とは、いつの時点からか進化の袂を分かち、空を自由に飛べないのが浮き世の人間だが、冷静になって空気の流れ、風の方向、潮の香りを判断する術を身に付けようではないか。辺境を愛し、前線へ飛翔していく鉄兜のフロンティアンたちよ。

ソローの生誕地を記したプレート
ソローの生誕地を記したプレート