One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 一応ホッとしました。 by T2018/04/28

インゲン豆の発芽
インゲン豆のタネを播いて10日、ようやく発芽しました。発芽するまではハトやカラスにタネを食べられないようネットで畝を覆っていましたが、それも解除。日差しをしっかり浴びてグングン伸びて欲しいです。

今年は暖かくなるのが早かったので4月中旬の播種でしたが、もう少し遅くても良かったのかな?そうすればヤキモキしなくて済んだのかも。

タネは昨年取ってあったタネと今年購入したタネの2種類を播きました。購入したタネは在来種です。どちらも実をつけてくれれば今後取ったタネのみで栽培していこうと思っています。

■ 久しぶりの雨 by T2018/04/05

国産の種
ようやく雨が降りました。今週末にもまとまった雨が降りそうなので、雨後のタケノコも楽しみですが、雨後の種蒔きも楽しみ。ニンジン、ホウレンソウ、ラディッシュ、春菊、インゲン豆・・

巷では貿易戦争の色合いを帯びてきています。自国の食料自給率向上を待っていられないので、手っ取り早く自家の食料自給率を向上させようと思います。

■ 原木「干」椎茸 by M2018/04/02

原木「干」椎茸
写真は原木椎茸です。
この10日間、雨がなく気温は初夏を思わせるほどとなり、原木椎茸が乾いて「干ししいたけ」化しました。

干ししいたけになると旨味ばかりか、栄養価も増すとのこと。干ししいたけ化した生椎茸「こなら姫」は、水で軽く戻して調理をすれば、生椎茸同様にアワビの食感を楽しむこともできます。

今日も原木「干」椎茸に乾杯!となりそうですね。

原木生椎茸「こなら姫」についてはこちらの記事をご覧ください。
http://onesway.asablo.jp/blog/2018/03/23/8809325

■ 借景にかなうものなし by T2018/03/26

借景
シシ垣の延長を再開しました。石積みの垣とガルバリウム鋼板の垣を同時進行で行う予定です。

我が家では庭・屋敷地をガーデンと呼び、菜園をファームと呼んでいます。現在ガルバのシシ垣を延長しているファームの最も高いところからガーデンまでを写真撮影しました。里山の大きさに比べたら、どれだけ土地を囲い込んだとしても猫の額みたいなもんです。

極力、周りの風景に溶け込むように心がけること。借景を活かすこと。

われは見渡す限りの王なり
わが権利に異議を唱える者なし ウィリアム・クーパー(18世紀の詩人)

■ 行者ニンニクが根付いた by T2018/03/24

昨年、近所の方から行者ニンニクの苗を分けてもらい、菜園の一画に植えておきました。すると芽を出しているではありませんか!近くにはフキノトウも育っているので、今後この一画は草刈機を入れず丁寧に草取りすることにします。また一つ仕事が増えてしまった。

行者ニンニク

根付くモノがある一方で、そろそろ移住せねばならぬモノもいます。スイセンは丈夫で逞しい植物ですが、数年したら株分けや場所替えをしてあげた方が良いそうです。

水仙

越前水仙

人間も含めて生き物全般に言えることは、生まれ故郷を巣立ち、新たな土地開拓を目指すのが、種の保存法則に従うということなのでしょうか。


■ 夏野菜の畝作り by T2018/03/20

畑の遠景
我が家の菜園の中で、畑の部分は約60坪。それを上部と下部に分けて、今年は上部で夏野菜を育てる予定です。畝間隔は1、5メートルとゆったり取ります。来年は下部で栽培し、次の2019年は上部に戻って今年の畝と畝の間に作ります。そして2020年は下部の畝の間に、2021年にようやく今年と同じ場所に畝を作るという4年サイクルです。

化学肥料を一切使用せず、接ぎ木苗を使用しないので、連作は不可能なのです。

ですから1シーズンに約15坪の畑となり、規模としては小さな家庭菜園です。小さいので耕うん機を使わず、スコップで天地返しをして鍬で耕し畝を作ります。写真は6畝分の天地返しを終え、鶏糞肥料を撒いたところです。これから薪ストーブから出た木灰を撒き耕します。

今日は寒い1日でしたがスコップワークをして暖かくなりました。

■ 続・最高の時間 by T2018/03/11

畝作り開始
畑の畝作りを開始しました。午後にとても大切な来訪者を予定していたため、ほんの1時間余りの初日作業でした。時々小雨も降り不安定な天気でしたが、気持ちの良い作業でした。人間は土から離れるべきではないと思いました。

前回のブログで、労働が喜びとなる要因について私的に考えてみましたが、今日畝作りをしながら、最も重要な要因を書き忘れていたことに気付きました。それは主体性です。主体的な労働、自らの動機付けによる労働ということです。

労働が強制であっては喜びは望めません。労働が他律的であっては喜びは望めません。自らの内から発する力による労働が喜びをもたらすと思います。

人間は土から離れるべきではありませんが、土に縛られるのもどうかと思います。僕は非農家ですが野菜を育てたくて畑を開始しました。僕は自分の土地を持たなかったし、相続もしていないので、地縁血縁も無い里山に土地を購入し、家を建て菜園を作り始めました。ここに喜びの最大の要因があるんじゃないかと思っています。

僕は30代になって移住したここ金山里山が我が故郷だと認識しています。故郷とは生まされた場所ではありません。故郷は宿命や運命ではありません。故郷は帰還する場所ではありません。故郷は受動態では決してありません。故郷とは、絆というシガラミを断ち切って、自ら主体的に新天地を開拓し創り出すものです。

3月11日に、ふとそんなことを思います。

■ 最高の時間 by T2018/03/11

ウワミズザクラを伐採
菜園に自生していたウワミズザクラを伐採しました。直径20センチほどに成長してしまい、畑の日当たりが悪くなったため、昨年から雪解けを待って伐採する計画でした。

尊い命を伐採した以上、できる限り薪として活用するために、写真のように分類しました。左の山が薪になります。

こういう労働をしている時、とても充実した最高の気分になります。労働が生きていくための手段というより、労働そのものが喜びとなった感じです。そこにはワークライフバランスも働き方改革も必要ありません。また労働が誰かの役に立っているといった社会的評価や働き甲斐とも少々異なる感覚です。いわば、労働=生きていること=喜び、といった方程式です。

どんな時、労働そのものが喜びになりうるのか?私的に考察するに
必要な労働(保温のための燃料は必要である)
生産的な労働(薪という燃料を生産している)
倫理的な労働(既存生態系の持続可能な労働の一環である)
健康的な労働(良い環境で適度な運動をしている)

以上の条件が揃った時、労働そのものが喜びとなりうるようです。自分自身が大地、地球、そして宇宙と一体化している感覚といえばよいのでしょうか。

この感覚を知ってしまったら、自分自身に割り当てられた貴重な時間を消費的、余暇的、世間体的に浪費することが不可能になります。

■ 春の香り by T2018/03/10

春の菜園_2017年3月末
今朝の味噌汁に妻は初物のフキノトウを散らしてくれました。春の芳香が漂いました。

菜園に顔を出したフキノトウなので、年々小さくなっていきます。その理由は、菜園なので耕したり草を刈らねばならず、フキ自身を大きく成長させることができないためです。

私たちが現在菜園を営んでいる土地は、購入した約10年前、草の生い茂った荒地でした。その時はワラビもよく採れました。畝を作ったり果樹を植えたりするにつれてワラビもいつの間にか消えていきました。小さくなりつつあるフキノトウもいつかは消えてしまうかもしれません。

自然と開発は両立させることが困難です。同様に環境保全と経済活動も両立が困難です。どちらを主として選択するか、要は優先順位付けが重要であると言えるでしょう。

■ 無くて七草 by T2018/01/07

今日1月7日は七草粥の日。セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロこれぞ七草。

とは言うものの、富山の新暦一月に七草全てを揃えるのは無理。例えばセリは3月頃から庭を流れる遣水沿いに生え、春には芹ご飯を作るくらいたくさん収穫できますが、1月は無理。

ダイコンの葉と小松菜

我が家の菜園で収穫できるのは最後のスズシロ。つまりダイコンです。昨年の内に掘り上げて保存してありますが、種を採取するために少しは菜園に植わっています。雪を被ったダイコンの緑葉を収穫して玄米粥に入れます。

七草粥?

昨晩から玄米を土鍋に浸し薪ストーブに置いておきました。里山の塩を入れ、家に在るもので七草粥。具材は無いようで探せば在るものです。そう思って菜園を見渡せば、ダイコンの横に小松菜の葉っぱが在りました。これぞ「無くて七草」。