One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 今日から7月 by T2021/07/01

田代湿原から望む穂高連峰
2021年7月1日、皆さんカレンダーをめくりましたか?

我が家には5種類のカレンダーがあります。小さな家ですが、何故かカレンダーだけはだいたいどの部屋にも一つはあるわけです。これだけあれば、今日は何日だったか忘れることはありません。どんな日も大切な1日、無駄にはできませんから。

たまに、カレンダーが更新されていない家を見かけると、とても気になります。それがお店だったりすると、「この店の商売行く末が不安だな」と思ったりします。大きなお世話ですけれど。

我が家の書斎に掛かってるカレンダーは、長野県上高地(神垣内)のカレンダー。最近でこそカミコウチを上高地と書きますが、かつては神様が穂高岳に降臨し明神池に祀られたことに由来する神垣内と書いたそうです。

たかがカレンダー。でも神は細部に宿ります。

■ 里山に溶け込んで by T2021/07/02

里山に溶け込んで
富山県砺波(となみ)地区には古くからカイニョと呼ばれる屋敷林に囲まれた家々が点在しています。カイニョは家を強風や吹雪などから守ってくれます。
暑い時期は、カイニョの中は樹木の木陰や蒸散活動のおかげで空気がヒンヤリしています。西日の焼込みも防いでくれます。遠くから見ると、田園平野に転々と小さな古墳が散らばっているような砺波カイニョ風景は、とても絵になる風景です。

さて、我が家もカイニョを目指し雑木林を育ててきました。おかげで台風並みの暴風が吹いても、以前より家の軋み音が減ったような印象を受けます。また直射日光も和らいで、家の外壁塗装も傷みにくくなりました。

しかしながら、田園平野に点在する砺波地区のカイニョと異なり、我が家は里山丘陵にあるため、我が家のカイニョ屋敷林と里山雑木林は境界が曖昧です。でも実はそれこそが当初から私たちが目指してきた風景でした。

我が家のカイニョは庭の屋敷林というよりも、むしろ里山の一部というわけです。

■ 今年は豊作 by T2021/07/03

20kgの梅収穫
菜園にある一本の梅の木から、収穫コンテナ箱一杯分の梅が採れました。
何と!20kg。今年は豊作です。

菜園にあるこの梅の木は、土地を購入した時から自生していました。近所の人に伺うと、どこからか鳥が種を運んできて勝手に育った梅の木だとのこと。にもかかわらず、大きく柔らかい梅干しになる実をつけてくれます。

昨年周囲の雑木を間伐し、梅の木自身も剪定したのが効果的だったのかも知れません。来年に備えて、これから収穫後の夏剪定をしっかり行うつもりです。

「梅はその日の難逃れ」
毎日の梅で、毎日を健康に!

■ お金持ちのクルマ by T2021/07/04

軽トラック
皆さん、お金持ちのクルマと言えば、どんなクルマをイメージしますか?外車でドイツ製やイタリア製・・高額な値段と高額な維持費を必要とするクルマを想像されますか?

確かに、たくさんお金を持っていないと買えないクルマだからお金持ちのクルマと言えるでしょうね。でも、こういう観点から見るとどうでしょうか?

「お金持ちのクルマとは、自分をお金持ちにしてくれるクルマ」

この観点から見ると、個人的意見として、日本の軽トラックが最も自分をお金持ちにしてくれるクルマであると断言します。

軽トラックは本当に働き者です。森に入って薪を作ったり、菜園で野菜を育てたりする時の頼もしい相棒です。つまり軽トラックは生産活動に従事し稼いでくれる営業クルマです。

我が家の軽トラックはそれだけではありません。乗用車の役割も果たしており、ネクタイを締めての通勤車としても働いています。当然、街中の狭い駐車場に停めるのも容易なので、休日のショッピングやレジャーにも可能です。

そもそも、お金持ちとはお金をたくさん使う人ではありません。読んで字のごとく、お金を持っている人です。つまりキャッシュフロー(お金の流れ)からすれば、出て行くのを抑えてお金を極力ステイさせている人のことです。軽トラックは維持費も税金も安い、つまりお金をステイさせやすいクルマと言えるでしょう。

お金持ちになりたかったら、キャッシュフローにおいて、入りを大きくし、出を小さく、少なくとも入りよりも出を少なくすること。それ以外に方法はありません。こんな単純なことを、僕は軽トラックから学ばせてもらいました。

■ 一切れのパン by T2021/07/05

我が家のエアコン


今年の夏は今までとは違います。と申しますのは、4月に我が家初のエアコンが設置されたからです。1階と2階に各1台ずつ、それぞれ今までに1回ずつ試運転を行いました。効果抜群です。

とは言うものの、梅雨後半の蒸し暑い今日この頃、「エアコンをつけようかな」と思ってはみるものの、「まだ大丈夫かな」と結局つけずじまい。

実際に蒸し暑くても、エアコンというお守りが在るだけで、気持ち的に楽になり気分的に涼しくなったような錯覚を覚えるのは不思議です。

そんな時、ふと小学校の国語教科書に載っていた『一切れのパン』の物語を思い出しました。ストーリーはこんな感じでした。

第二次世界大戦中、敵国ドイツに逮捕された主人公は、仲間の者と収容所送りの貨車を脱走します。仲間と別れ際、脱走仲間のユダヤ人牧師が「パンをあげよう。でもなるべく我慢して食べないように。パンがあると思うだけで頑張れるから」と言って赤いハンカチ包みを主人公に手渡します。その後、主人公はとても辛い逃亡の日々を送り、その極限の中で何度も包みを解こうとしますが思いとどまります。そして国境を越え我が家にたどり着いた主人公は、妻の前で「このパンが私を救ってくれたんだ」と言い、包みを開けました。すると、中から転がり出たのはパンではなく、一片の木端でした。

「暑いねえ」と洩らせば、「そうね暑いわね」と返してくれる。その存在は、ただ返してくれるだけで何か実際に涼しくしてくれるわけではない。でもそういう存在が居てくれるだけで、長い人生何とかやっていける。人間とは不思議です。

■ 夏の縁起物 by T2021/07/06

ヤブデマリ
初夏に眩しいくらいの白い花をつけたヤブデマリ。今では赤い実をたくさんつけています。お正月の縁起物である千両や万両みたいに、ヤブデマリは夏の縁起物?

赤い実は野鳥たちを呼び寄せます。野鳥たちは樹木にとっての害虫を食べてくれたり、受粉を助けたり、そして愛らしい鳴き声は、里山の朝に涼を運んでくれます。

そういう意味で、やっぱり縁起の良い赤い実なのかも知れません。

ちなみに、ヤブデマリやアカメガシワといった低中木は、マント植生と言いまして、森林の辺縁部に繁殖し、森林内の気温や湿度を一定に保ったり強風を緩和したりする役目を果たしています。写真のヤブデマリは我が家の屋敷林(カイニョ)のマント植生でもあります。

■ 日常的な里山活動としての自転車 by T2021/07/07

自転車で出発
最近、健康ブームと環境意識の高まりから、日本でもスポーツ用自転車(ロードバイクやマウンテンバイク)を見かけるようになりました。でもそんなブームは自転車に乗ることが目的で、日常生活の移動手段として積極的に自転車に乗るライフスタイル普及と言えません。

特に田舎では、公共交通機関が不便=クルマ必要 という方程式が当たり前になっていて、自転車を主たる移動手段に選択する人は年金生活高齢者であっても稀です。自転車は維持費も少なく健康にも良いのに。

ところで、自転車で10数キロの距離を通勤することは、僕にとって里山活動の一つだと思っています。何故ならば美しくキレイな空気の里山街道を、空気を汚さないで走ることができるからです。僕の所属している金山里山の会のモットーは、里山で活動して健康になろう、です。

里山を走って、里山の美しさに気づき、里山で健康になる。クルマでは得られないものが自転車にはあります。

■ 点と面 by T2021/07/08

未完踏
現在私たちが住んでいる里山の土地を購入して、今年で25年になる。数年前になってようやく、自分たちの土地のだいたい全てに足を踏み入れることができるようになった。

と言うのは、灌木や下草が生い茂っていて容易に入ることができない場所が結構あった。今なお、熊笹や下草を一度も刈り取っていない場所がある。どんな植生か正確に把握していない土地がある。だから完踏ではない。

自分の僅かな屋敷地でさえこんな感じなのだから、世界や日本はおろか、この里山でさえ全てを網羅することなど不可能に近い。

ある人が言っていた。「聖書を全て読んだと自ら明言する人は、聖書を全て読んでいないと自ら暴露しているようなものだ。」と。

「この国は行ったことがある。だからもう行かなくてもよい。」と明言する人は、その国に点として行ったのであって、面として網羅したのではないだろう。しかも一過性の旅人として。僅かな点の理解でもって、自分はよく理解したと、面に般化拡大することはとても危険な認識である。

人生は短い。この果てしない世界を面として踏破するなど到底不可能。せめて自分に授かった僅かの土地に、繰り返し足繁く一所懸命になり、それでも日々新たな発見があるのが現実である。

■ 竹工作 by T2021/07/09

竹林
中学3年生の夏休み、林間キャンプ実習にて、竹工作の時間がありました。竹のランタンや竹製椅子など、グループごとに竹を材料に自由に作って、最後に優秀作品を選ぶといった活動がありました。

そこで僕たちのグループは何を作ったかといえば、何かを作ったとは言えないような代物を作りました。すなわち、ただ切っただけの数本の竹を縄で縛って支柱とし、そこにビニルシートを被せてテント型荷物置き場を作りました。数時間の活動時間が設定されていたにも関わらず、ものの15分ほどで避難ツェルトのような荷物置き場を完成させました。当然のことながら優秀作品として選ばれませんでした。竹工作とは先生方に認識されなかったようです。マジメに作品作りをしなかったと一蹴されたのでしょう。

でも、その時のキャンプ生活はとても快適でした。本テント内は荷物に占領されることなく、スッキリ広々と片付いて、夜に雨が降ってきましたが、男子数名の空間で思う存分手足を伸ばして寝転ぶことができました。

最後に、キャンプ撤収の帰宅時もラクチンでした。すなわち、自分のキャンプ荷物に加えて更に竹細工品を抱えて帰る必要がなかったからです。材料の竹は縄を解けば伐っただけの竹に。そのまま山に還してきたからです。

立つ鳥 跡を濁さず 

今になって思うと、簡素なライフスタイルへの指向性は、その頃すでに芽生えていたような気がします。

■ 日々当たり前のことを当たり前に by T2021/07/10

夏の庭
富山職藝学院造園コースの先生がおっしゃっていた。

「枯れ枝や枯葉を取り除くだけで、結構樹木はそれなりの樹形になるものなんですよ。何よりも、枯れ枝や枯葉は素人さんでも分かります。」

また、こんなこともおっしゃっておられた。(初級園芸講座にて)

「今日お配りした土作りの資料を、毎日10回読んでください。それを1週間繰り返してください。ただそれだけです。これだけ繰り返すと何が分かるのですかと問われれば、どこが分からない箇所かが分かってきます。」

よく、「やり方が分からない」とか「勉強の仕方が分からない」とかといった言葉を耳にする。つまり行動する前にSOSを出す。そういう僕もよく使う。「自分は頭が悪いから分からない」とも言う。ただ繰り返し10回読む行為に頭の良し悪しなど無関係なのに。

分からないと言う前に、今の自分にでもできる当たり前のことを当たり前にやってからSOSを出しても遅くはないのではないか。

ひょっとしたら、今の自分にでもできる当たり前のことを、繰り返し愚直に当たり前にやった後では、もう既に最良のやり方を見つけていたらしいということに気づくかも知れない。