One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 何度も家を建てる by T2021/07/14

家とは何か?
「建築をやりたかったら言語化しろ、デザインなど二の次だ。」
これは坂口恭平著『モバイルハウス三万円で家をつくる』(2013)の一文である。

言語化するとはどういうことか?それは、「家とは何か?あなたにとって住まいとは何なのか?」そんな本質的な問いを突き詰めていく作業だと思う。

家というか、住まいとは何かを突き詰めていくと、必然、生きるとは何か、あなたはどう生きていくつもりか、という問いに向わざるを得ない。住まいを考えるという作業は、生きることの本質を考えることにつながる。

ところが、住まいを本質的に考える作業を、いざ家を建てたり住まいを決める直前になって行うことは、時間を十分にかけることが困難である。現在のスピードの時代、自分で稼がねばならない時代にはとても困難であって、結局本質的な作業を飛ばして家の設計デザインに着手するのが多数派であろう。

本質的な熟慮作業のための時間が十分にあり、余命も十分にある時といえば学生時代である。小・中・高校・大学生等の時代である。この年齢時に、住まいについての本質的な問いに考えを巡らすことは、とても有効であると僕は考える。学校の授業科目に「住まい」という総合的学習時間があっても良いと坂口氏も前掲書に書いていた。何故なら如何なる人間も、死ぬまで何らかの形で住まいに住み続けるからだ。住所不定であっても今夜は何処かに住まう。

ところで、私たち夫婦に、偶然にも共通する過去の経験がある。それは小学生の時すでに家の見取り図や設計図を遊びで描いていた経験である。2人とも新聞の住宅チラシを見るのが大好きで、自分でも自宅の設計図を描いて遊んでいた。つまり小さい時から私たちは、何度も家を建てていた。頭の中ではあるが。

小さい頃の僕が頭の中で何度も建てた家の中で、現在の僕が特にお気に入りの案を一つ選ぶとすれば、こんな案である。

隣町の公園にSL蒸気機関車が展示されていた。小学生の僕は、機関車と客車を自宅にできるのではないかと思った。鉄の機関車が薪ストーブで、ニスの香りのする客車がリビング、食堂車がキッチン。そして公園の緑が我が家の庭、そんな家を頭の中で建てたのだった。

先人もおっしゃっているように、人生とは旅である。旅人は何処かからやって来て、何処かに去っていく。そんな一過性の旅であるが、旅には人生の必要が全て揃っている。住まいを考えると、自然に生きることや人生を考えてしまうものだということを、改めて感じている。