■ 果たして自分は、本当に何をしたいのか by T ― 2021/07/26
オリンピックが始まると、僕の周りでは突然のようにオリンピックスポーツ通が増える。普段スポーツには縁の無さそうな人までもがスポーツ通になる。とてもユニークな現象だといつも思う。日本人特有の現象かも知れない。
オリンピックTV観戦にまつわる、一生後悔している苦い経験がある。
2004年夏。その時アテネオリンピックが開催されていた。その時僕たち夫婦はアメリカのボストンを旅していた。その夜ボストンのフェンウェイパーク球場ではレッドソックスとヤンキースの試合が予定されていて、僕達もチケットを購入しようと思った。僕が生まれて初めてプロ野球チケットを買おうかと本気で思った瞬間だった。
ところが、午後3時頃球場へ行くと長蛇の列で、ずっと列の前方で売り切れストップとなってしまった。球場へ行く前にカフェに入ってビールを飲みながら、TVで流れていたオリンピックバレーボールの試合をダラダラ見ていたのが間違いだった。バレーボールに興味が全く無いにも関わらず。
その夜、ホテルには野球観戦にやってきたと思われる客がいっぱい宿泊していた。ホテルのバーレストランでは年配女性がTVの野球中継映像に拳を挙げてイエス!と叫んでいた。オリンピックに騒ぐ人は皆無だった。
実はこの2004年という年は、レッドソックスがワールドシリーズ優勝を果たし、86年ぶりにバンビーノの呪いから解放された年だった。その因縁の対ヤンキース戦だった。
本当に悔しかった。そして、この極めて苦い経験から僕は学んだ。
果たして今、自分は何をしたいのか?
他人に流され、自分を見失っていないか?
どこまでが自分の思いで、どこまでが他人の思いなのか?
自分の思いだと確信してはいるものの、知らず知らず他人の思いを刷り込まれてはいないと断言できるか?
自分に与えられた時間は貴重な時間で、二度と取り返しのつかない不可逆な時間である。だから時間はしっかり自分の頭を通してから使おうと思っている。
というわけで、今回の東京オリンピックにおいても、僕は自転車レースだけは録画して観戦する。自分は自転車レースを観たいと本気で思っているからだ。ちなみに僕は1964年の東京オリンピック自転車レースの映像も家に保存している。
オリンピックTV観戦にまつわる、一生後悔している苦い経験がある。
2004年夏。その時アテネオリンピックが開催されていた。その時僕たち夫婦はアメリカのボストンを旅していた。その夜ボストンのフェンウェイパーク球場ではレッドソックスとヤンキースの試合が予定されていて、僕達もチケットを購入しようと思った。僕が生まれて初めてプロ野球チケットを買おうかと本気で思った瞬間だった。
ところが、午後3時頃球場へ行くと長蛇の列で、ずっと列の前方で売り切れストップとなってしまった。球場へ行く前にカフェに入ってビールを飲みながら、TVで流れていたオリンピックバレーボールの試合をダラダラ見ていたのが間違いだった。バレーボールに興味が全く無いにも関わらず。
その夜、ホテルには野球観戦にやってきたと思われる客がいっぱい宿泊していた。ホテルのバーレストランでは年配女性がTVの野球中継映像に拳を挙げてイエス!と叫んでいた。オリンピックに騒ぐ人は皆無だった。
実はこの2004年という年は、レッドソックスがワールドシリーズ優勝を果たし、86年ぶりにバンビーノの呪いから解放された年だった。その因縁の対ヤンキース戦だった。
本当に悔しかった。そして、この極めて苦い経験から僕は学んだ。
果たして今、自分は何をしたいのか?
他人に流され、自分を見失っていないか?
どこまでが自分の思いで、どこまでが他人の思いなのか?
自分の思いだと確信してはいるものの、知らず知らず他人の思いを刷り込まれてはいないと断言できるか?
自分に与えられた時間は貴重な時間で、二度と取り返しのつかない不可逆な時間である。だから時間はしっかり自分の頭を通してから使おうと思っている。
というわけで、今回の東京オリンピックにおいても、僕は自転車レースだけは録画して観戦する。自分は自転車レースを観たいと本気で思っているからだ。ちなみに僕は1964年の東京オリンピック自転車レースの映像も家に保存している。