One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 勘違い by T2021/11/01

ヤマボウシの紅葉
老後2000万円問題を、僕は勘違いしていた。

平均的な公的年金(厚生年金プラス国民年金)だけでは、夫婦で95歳まで生きると仮定して、一世帯あたり生活費が約2000万円不足するという推測、これが本当の2000万円問題だそうですね。

そもそも公的年金だけで老後の人生を送ることができるなどと、いったい誰が保証した?そんなのどう考えてもムリに決まっているでしょ。

だから老後2000万円問題を、僕はこう勘違いしていた。
「国の借金は国民一人当たり約1000万円。よって夫婦でこの世を去るときは、一世帯あたり2人分の借金2000万円を国庫に返納し、しっかり禊ぎをしてから旅立たねばならない。そうしないと借金踏み倒して逝ったと、後世から笑われる」これが僕の思っていた2000万円問題。

でも、勘違いの方がカッコいい。自分の子供に「お前に借金を残さないから安心しろ」と言ってくれる親はすごくカッコいいように、勘違いの方がカッコいい。大見栄でもいい、大見栄の方がカッコいい。

「自分の老後が心配だから、誰か政治で何とかしろ!」と、お客様感覚の他力本願一辺倒はいともカッコ悪い・・・ともあれ、今回の衆議院選挙結果が出ました。

J.F.ケネディ大統領の就任演説の言葉より
「国民諸君よ、国家が諸君に何ができるかを問わないで欲しい。諸君が国家のために何ができるのかを問うて欲しい。」

■ 再会 by T2021/11/02

スマートK2002
懐かしいクルマに再会しました。2017年5月に、友人に譲ったスマートKです。

当時、軽トラックを購入することを考えていた僕に、友人から、それまで僕が乗っていたスマートKを譲って欲しいと連絡を受けました。信頼のおける友人だったので無償で譲りました。(後に、家具職人だった友人からネストテーブルを無償で頂きました)

譲った半年後、友人は事情で広島県因島に移住することになり、スマートKも雪の無い温暖な瀬戸内へ移り住みました。

昨日、富山に帰省した友人が、我が家をスマートKで訪れてくれました。丁寧・大切に扱われてきたスマートK。(写真) 初年度登録が2002年です。

しまなみ海道や四国石鎚山など、元気に走っている写真をたくさん見せてもらいました。

世の中には2種類の人間がいる。クルマを大切に長く使う人間と、クルマを雑に扱い直ぐに買い替える人間。前者に巡り合ったクルマは何と幸せなことでしょう。

■ 他人は他人、自分は自分 by T2021/11/03

軽トラック
知人のクルマが故障しました。どこが故障したか訊ねるとバックディスプレイ(後ろの映像がモニターに映る機能)が故障したとのこと。

また他の知人は、先日、ショッピングセンターの駐車場からクルマを出そうと思ったところ、クルマのキーのボタン電池切れでドアを開けることができなくなったとのこと。友人のクルマでコンビニエンスストアへ連れて行ってもらい電池を購入したとのことでした。

クルマに便利な機能が搭載されればされるほど、故障箇所も増えていきます。少なくとも10年前まではバックディスプレイの故障は存在しませんでした。

便利な機能が搭載されればされるほど車体価格が上昇し、修理費用もかさむことになります。でも、そんなに便利な機能って、あなた自身は必要だと思いますか?

ところで、人間の脳は、生来的に「考えること」が嫌いです。何故ならば、何もしなくても脳はエネルギーを必要とする臓器。加えて「考えること」は多大なエネルギーを消費するからです。だから、自然に放っておけば人間の脳は考えないで周囲に合わせる選択をしがちです。皆んなが持っている便利な機能だから自分も持ちたいと。

そんな脳の習性を知った上で、意識して考える習慣化はとても重要だと考えます。他の人はいざ知らず、自分にとって何が必要かを。他人は他人、自分は自分。

僕の必要とするクルマ、それは軽トラック。バックディスプレイも無し、リモートキーも無し、カーナビゲーションも無し、パワーウィンドウも無し・・
僕にとっては必要無いからです。僕の必要な機能はマニュアルギアシフト、AM,FMラジオ、パートタイム4WD。他の人はいざ知らず、自分は自分。

■ 労働は芸術であるべき by T2021/11/04

労働は芸術である
先日、水道メーター調査員の方が、我が家のメーターボックスの蓋を入念に閉めていました。「適当で良いですよ」と言うと、「最近ちょっとでもズレていたりすると、子供がつまずくとか、何かと苦情を言われるんですよ」とのこと。

この国には何か違和感を感じます。海外を旅すると、特にヨーロッパ諸国を旅すると、お店の人とお客が対等に近い感じがします。その理由を伺ったことがあります。「何故ならば働くことは尊い行為でしょ。」とのこと。勤労行為は消費行為に劣らず、価値があるというわけです。

ところが日本の場合、お金を支払う客は、たとえお金を持たなく借金して買う場合でさえ、客の上から目線を感じる場合が多い。レストランの接客スタッフやコンビニエンスストアの店員に対し、タメ口で横柄な言葉を使う客を時々見かけます。一方でパリのカフェのギャルソン(給仕店員)は堂々としています。この違いは何でしょう。

日本では労働よりもお金の方が尊いのでしょうか?この国では、単にお金のために働かされているのでしょうか?

宮沢賢治が言ってました。「労働は芸術であるべき」と。
僕もそう思います。

■ ギバーとテイカー by T2021/11/05

初夏の笹尾池
金山里山の会の、特に年配の会員さんを見ていると、つくづくギバーだなあと思います。ギバー(giver)つまり「与える人」。森の木を育てたり、林道を整美したり、その成果が形になるのはずっと先で、自分の取り分は少なく、自分の労力と時間を多く提供するばかり、にも関わらず、嬉々として活動されている姿を見るにつけ、本当にギバーだなあと感動します。

それなのに、金山里山の会でキノコ研究林として松茸や網茸を保護するために、地権者の了解を得た上で、無断入山しないようロープを張ると、それに何かと物申してくる人がいるのも事実です。地権者でもないのに。

「松茸、今年はどれだけ売れて儲かった?」とか、「散策しづらくなった」とか・・。これから将来、キノコがたくさん採れる里山を拡大するための小さな研究林で、採れた松茸は真っ先に小学校の給食に提供し、販売などしたことないにも関わらず。

世の中には、与えることよりも、もらうことばかりを考えるテイカー(taker)がいるのも現実です。

完全なギバーは存在しないし、完全なテイカーも存在しないでしょう。現実の世の中はギヴ&テイクで成り立っています。しかしながら、ギバー的傾向の強い人間とテイカー的傾向の強い人間に、何となく分類できるような気もします。

環境を良くする活動に奉仕するギバーにのみ、自然の恵みが与えられるわけでなく、良くなった環境の恩恵はテイカーにも同様に与えられます。それでも奉仕せずにはいられないギバー。自然保護のために一生懸命活動しているギバー。僕は頭の下がる思いです。

■ 何を今さら by T2021/11/06

薪と斧
電気料金もガソリンや灯油料金も、値が上がっています。原料の石油が高騰しているからです。

でも日本の多数の人がインフレ2%と円安を支持しているのだから、何を今さら物価が上がって不平を言うのか疑問、というか理解に苦しみます。不平を言えるのは選挙権と運転免許の無い18歳未満の人々だけです。

インフレとは物の値段が上がることであり、円安とは円の価値が下がることで、石油のような輸入品の値段が上がることです。まだまだ今のガソリン価格は安いと僕は思っています。

ちなみに、極度のインフレ(ハイパーインフレ)と極度の円下落、そして国債金利の上昇は、国家の倒産とも言うべき債務不履行であり預金封鎖の可能性でもありますが。

そんな危険を孕んだインフレと円安を、日本国民の大多数が両手で支持している以上、僕もその選択決定に合わせざるを得ません。間接民主主義国家においては、たとえ自分の意見と異なっていても、その選択は自分の選択であり自分の責任です。自分は騙されたとか、政治家が悪いと言って責任を放棄するのは幼稚で愚か、それこそ無責任と言えます。

だから、如何にしてエネルギーインフレーションの弊害を、極力自分は受けないようにするか努力しています。とはいうものの、当然皆さんも危機管理してますよね。だって大多数の人々がインフレと円安を支持し、石油価格の高騰は想定内でしたから。

昨日も薪割りしました。当面今後3シーズン分の暖房費のことを悩む必要はありません。
ずっと前から自分のクルマのガソリンを消費して食材の買い物をしていません。食材は宅配サービスにて。
移動は趣味を兼ねて、極力自転車またはランニングで。
電子レンジも食器洗浄機も炊飯ジャーもIHクッキングレンジも無いし、テレビもほとんど見ないので、電気料金はほとんど基本料金。
休日はチョロチョロ出歩かず家の周りでガーデニング。

私たちの選択したインフレ、みなさんのインフレ対策を教えてください。

■ Tシャツ・リサイクル by T2021/11/07

第一回大会記念Tシャツ
富山マラソンのスポンサーでもある株式会社ゴールドウインでは、もう着なくなった服を回収して、再びポリエステル樹脂の衣類にリサイクルする計画を行なっています。その一部は今後の富山マラソン記念Tシャツに生まれ変わる予定とのこと。

咋日の富山マラソン受付会場に、僕は大袋いっぱいの古着を持参して行き、回収してもらいました。受付開始直後だったので第一号一番乗り。ゴールドウインスタッフの方に大きな声で「ありがとうございます」と言われ、こちらこそ回収してもらい感謝です。

マラソン大会に出場するたびに記念Tシャツが溜まってしまい、これを機会に過去の東京マラソンや富山マラソンのTシャツも回収してもらいました。さすがに第一回大会の記念Tシャツだけはとっておきましたが。

ぜい肉や古い細胞だけでなく、タンスの奥に眠った古着さえも、走ることによって無駄が削ぎ落とされスッキリしていくのは、とても気持ちが良いです。

写真は、富山マラソン(2015年)と東京マラソン(2007年)の第一回大会記念Tシャツです。

■ 1年に一度 by T2021/11/08

富山マラソン2021完走メダル
僕はコカコーラを飲みません。理由はカップラーメンと同様、身体の健康に悪いからです。カップラーメンとコカコーラの某会社の株を、僕は所有していないことも大きな理由の一つですが・・・。

しかし、1年に一度だけ、コカコーラを飲む日があります。それは富山マラソンのおよそ30キロ過ぎの地点にある補給ポイントにて。この場所だけはスポーツドリンクに加えてコカコーラが並べてあるのです。

ところで、マラソンという陸上競技は長距離走という意味では決してありません。マラソンとは正確に42,195kmを走る陸上競技のことです。学校でよく行われている通称マラソン大会や、市町村の元旦マラソンなどは、マラソンではありません。42,195kmでないものはロードレースと呼ばねばなりません。細かいようですが、それだけ42,195kmという距離には大きな意味を感じます。

よく30km地点に「ここからがマラソンだ」というプラカードを見かけます。30kmから。ここからがマラソンの真骨頂です。いつもそう感じます。20km余りのハーフマラソンならば、早朝ランニングでも調整できます。しかし30km以上の調整となると日常をかなり犠牲にしなければならず、日常よりも非日常の割合が高くなる。少なくとも僕の場合はそうです。それだけ42,195kmという長さは意味が大きいと感じます。

そんな30km過ぎのコカコーラ。僕の日常が非日常のゾーンに入る地点のコカコーラ。決して健康的とはいえないマラソンにピッタリのコカコーラ。

■ 金山里山の魅力発信! by M2021/11/09

1月3日(文化の日)に、金山コミュニティセンターで「金山の未来を考えるーさまざまな垣根をこえてー part2:金山の未来を創る」が開催されました。

金山の未来を考えるぱrt2:未来を創る

金山の未来を考えるPart2:未来を創るウラ

金山の魅力に改めて気づくと共に、金山のワクワクする未来に向けて行動に移すきっかけとなりました。詳しくは、インターネット上の掲示板Padletをご覧ください。

射水市地域おこし協力隊(移住コーディネーター)の山田さんも参加され、イベントの様子をインスタグラムで発信してくださいました。

さて、もう一つ、魅力を確認できるサイトをお知らせします。

住所を入力するだけで浸水の可能性、地震時の揺れやすさ、液状化の可能性、土砂災害の可能性が一目瞭然です。我が家の診断結果は・・・

液状化の可能性…非常に低い
浸水の可能性…なし
土砂災害の可能性…なし
地震時…揺れにくい

まずはお試しあれ!


■ 無いものを求める by T2021/11/10

秋の笹尾池
先日、金山里山の会の年配会員が話していました。
「灯油も電気も高くなって全てが物価高の中、コメだけが安くなって農家は大変。皆んなコメを食べなくなって、米が余っている。」

身の回りに十分あるモノを求めず、身の回りにないモノばかりを求めている。それで物価上昇に悩んでいる。

身の回りの里山に十分ある樹木燃料を求めず、日本で産出されない化石燃料を求め、遥か海外から購入している。それで石油高騰に悩んでいる。

敗戦後の日本では、学校給食にコメを使わずパン給食とした。日本に十分あったコメをあえて消費せず、輸入小麦のパンを消費させられた。アメリカの余剰小麦のはけ口として。高度成長期、バブル期を経て、商品経済に慣れ親しんだ日本人は、今ここに十分あるモノを求めず、ここに無いものをあえて求めるようになった。

最高の薪は、ブナでもコナラでもシラカバでもない。
最高の薪は、そこで手に入る薪。