One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 何故、薪ストーブは多数派にならないのか by T2019/11/08

薪ストーブ

現代の日本において、薪ストーブが主要な暖房手段にならない理由を、僕は今までこう考えていた。
「かつての囲炉裏や薪風呂の時代、そんな時代の不便で重労働で辛い思い出がトラウマになっていて、そんな時代を二度と繰り返したくないと考える年配者が多いから。」と。

ところが先日、ある薪ストーブ店のオーナーからこんな話を伺った。
「現代の日本において、薪ストーブが主要な暖房手段にならないのは、薪ストーブは経済的に豊かな人々の趣味道楽であるといった固定観念が強いからのようです。どうやら大多数の人が、薪ストーブは自分の住む世界とは別の人種の、別荘にでも置くようなオシャレなアイテムであると思い込んでいます。これだけコテンパンに、化石燃料消費による地球温暖化(=最近の日本の大水害)や原発事故を経験したにもかかわらず、それでもなお依然としてマインドセットを変えようとしないのは、薪ストーブは身分不相応と決めつけているからなのかも。」

確かに、自分で薪を作らず、全て購入した薪を消費するとしたら、かなりの燃料コストになり、それはセレブの道楽に見えるかもしれない。
でも、薪を自産自消すれば、我が家の経済状況でしても薪ストーブライフを20年近く続けることが現実にできている。

薪の自産自消に労力と時間を費やすなんてトラウマであり、かと言って出来上がった薪を購入する経済的余裕は無い。つまり楽に安く買える暖房エネルギーを求めるならば薪ストーブは選択肢から外されるであろう。

化石燃料や原子力を手放しで肯定するわけではない。でも一度味を占めてしまった楽さ手軽さ便利さを手放すことができない。大体この辺りが、薪ストーブをして主要暖房に普及し得ない理由のような気がする。

話は変わるが、先日、依存症を研究している某医師の講演を拝聴した。
「依存症とは、害悪であると分かっていてもやめられず、最終的に身を滅ぼす恐ろしい状態です。アルコール、薬物、ゲーム、ギャンブル、買い物などなど・・全て依存症のリスクがあります。でも勉強、スポーツなどの依存症はほとんど見られません。何故なら依存症リスクというものは、常に手軽に獲得できる快楽に潜んでいるからです。苦労して獲得できる快楽・悦びは依存症にはなり得ません。」

日本においてここ数年の間に現実化した大洪水及び原発大爆発。大量に消費される化石燃料や原子力エネルギー依存が人類を滅ぼしかねないところまで来ている感は否定できない。

ところで、僕は薪ストーブ依存症だと指摘されても、確かに否定はできない。