■ 動いている庭という哲学 by T ― 2019/05/19
ジル・クレマンというフランス人作庭家については、30年来の自転車仲間から教えてもらった。我が家の庭を見て何となくクレマン氏の著書『動いている庭』を貸してくれたのだ。
植物は適者生存の原理に則り、人間の意図を超え、人間も含めあらゆる媒介者を巧みに利用し、作り込まれた庭をはみ出し、ついには庭を混沌に導く。そうしてできた荒れ地とは人間から土地を奪還する植物たちの正常な営みであり、生命の揺らぎとエネルギーに満ち溢れた土地である。そのダイナミズムの中で自然本来の庭は形作られ、そして変遷していく。
写真は庭で自生繁殖しつつあるレンゲ草。僕には種子をまいた記憶が全く無いがいつの間にか群を成した。これだけ増えてくると何となく周りの雑草を取り除かずにはいられない気持ちになる。レンゲ草にとっては”してやったり”。レンゲ草も元々は雑草のひとつだったのに。僕という人間を巧みに利用し、競争相手を出し抜き、その範囲を拡大していく。
人間の浅はかで馬鹿な特性、それは他人からよく見られたいが故に草取りに勤しむ特性、そして汗を流して草取りしたことを周囲に何となくPRする習性。植物たちはそんな人間の特性を巧みに利用し、その裏をかき、強かに広く遠く動いていく。
庭で学ぶことは極めて多い。庭は哲学するには絶好の場所である。
植物は適者生存の原理に則り、人間の意図を超え、人間も含めあらゆる媒介者を巧みに利用し、作り込まれた庭をはみ出し、ついには庭を混沌に導く。そうしてできた荒れ地とは人間から土地を奪還する植物たちの正常な営みであり、生命の揺らぎとエネルギーに満ち溢れた土地である。そのダイナミズムの中で自然本来の庭は形作られ、そして変遷していく。
写真は庭で自生繁殖しつつあるレンゲ草。僕には種子をまいた記憶が全く無いがいつの間にか群を成した。これだけ増えてくると何となく周りの雑草を取り除かずにはいられない気持ちになる。レンゲ草にとっては”してやったり”。レンゲ草も元々は雑草のひとつだったのに。僕という人間を巧みに利用し、競争相手を出し抜き、その範囲を拡大していく。
人間の浅はかで馬鹿な特性、それは他人からよく見られたいが故に草取りに勤しむ特性、そして汗を流して草取りしたことを周囲に何となくPRする習性。植物たちはそんな人間の特性を巧みに利用し、その裏をかき、強かに広く遠く動いていく。
庭で学ぶことは極めて多い。庭は哲学するには絶好の場所である。