One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 茹でガエルになるな! by T2019/05/28

寒い冬もこれ一枚で十分
前回のブログに対し、今回のタイトルは「茹でガエルになるな!」

慣れた環境に浸りすぎ、少しずつの変化に気付かず、気付いた時はもう手遅れ、これが茹でガエル理論。茹でガエルは本来こちらの意味で使われることが多い。

前回のブログのように家づくりは茹でガエル方式で作っていけば大きな負担感は削減されると書いた。しかし家の中はどうだろう?例えば物や衣服など、知らず知らずに買い溜まっていって、気付いた時は片付けが困難なくらい物に囲まれていた!・・なーんていう茹でガエルには注意したい。

断捨離、ミニマルライフ等、必要最小限の所有物で暮らすことを提案する世相が見られる。それはそれで結構である。事実僕も簡素な暮らしを目指している。だがしかし、そもそも何故、物や衣服など必要以上の量を買い込んだり溜め込んだりするのだろう?

その理由は僕には分からないが、ただ確実に言えることはこういうことだ。
「満たされていないということ」

その通り、現状に満足しないからそれ以上を求めるのだ。満足してたら求めない。

では何に満たされていないのか?ここからは僕の経験と推測であるが、満たされていないものは単に物質的なものだけでなく、それ以上に何か核心的なものに満たされていないのではなかろうか。例えば過食症が食欲満足度に原因があるのではなく心理的満足度に原因があるように。

過去に僕もより多くの所有物を求める時期があった。今振り返ってみると、その時は安心感や自信、自己肯定感や愛情といったお金では容易に買えないものに満たされていなかったのかもしれない。不安感、劣等感、孤独感が強かったのかもしれない。お金で買えないものに満たされないから、その代わりとしてお金で買えるもので満たそうと思っていたのかもしれない。でもそんなものでは満たされるはずがない。

必要以上の所有物に取り囲まれる茹でガエル的現状は、単に表層的に物を捨てるだけでは解決しない。単に物を捨てたり人にあげたりすることは、過食症の人が食べた物を吐いて再び食べるようなものだ。断捨離やミニマルライフはもっと背景に注目しなければ実現しない。個人的な背景に留まらず家族や周囲の人々を含めた背景に注目する必要を僕は強く感じる。

スーパーマーケットもコンビニエンスストアもファミリーレストランも居酒屋も無い里山に暮らすようになって、反対に、唯、今ここにいることの満足度が高まった。里山で自立生活を営むことで自信と自己肯定感と愛情といった心理満足度が高まったのかもしれない。

ともあれ理由は定かではないが、我が家の中が以前よりも片付いてきた感がある。

写真は我が家の唯一の100パーセントウール毛布(ペンドルトン製)。電気毛布は我が家には存在しない。寒い冬もこれ一枚で十分。虫干ししてキチンと片付けるつもりだ。