■ 機械に宿る生命 by T ― 2019/07/05
里山暮らしや薪ストーブライフに必須のチェンソー。先日「おススメのチェンソーは何か?」という質問をある知人に受けました。
僕は、おススメのチェンソーの前に、おススメの林業機械店を提案しました。そしてそのおススメのお店に、得意とするチェンソーメーカー及び機種をいくつか提案してもらい、その中から自分が良いと思う機種を選択するのが良いのではとアドバイスしました。
その理由を述べます。チェンソーという機械は必ず故障します。修理しなければ維持できない酷使機械です。そしてその修理やオーバーホールメンテナンスは殆どのユーザーが自分だけで行うことのできない代物です。
だから、より好ましいチェンソーとは、より良いメカニシャンが付いているチェンソーだと僕は思っています。メーカー等はその次の問題でしょう。
僕の愛用しているチェンソーは、ハスクバーナー社の42cc15inchです。1999年7月購入なので満20年間酷使しています。昨日も20〜35㎝径のコナラ、スギを5本伐採するくらい現役中です。僕は20年の間に修理店を3回変更してきました。現在依頼している興北産業さんには満足しています。
生まれて初めて購入したチェンソーを20年間使用中ということで「元は取れたね。良いものを買って長く使うことが最も安上がりだね」と言われます。でも僕は、安上がりだったかにはギモンです。また安く上げるためにだけ長く使っているわけではありません。
前述のように、一台のチェンソーを長く使うということは修理を頻繁に繰り返すことでもあります。その都度コストがかかります。また修理店までの交通費と時間もかかります。エンジンオイルも品質の良いモノを使用する必要があります。ならば安いチェンソーの消費廃棄を繰り返した方が安上がりかも知れません。
僕が一台のチェンソーを長く使う理由は、家計負荷を減らすためよりも環境負荷を減らすためかも知れません。大量生産大量消費、モノを多く生産することはそれだけ地球資源やエネルギーを多く消費することであり、地球環境に負荷をかけることでもあります。巷は経済最優先、お金の循環最優先一色の選挙活動真っ只中です。でも経済の土台である地球資源には限界があるのも事実です。
たかが生命の宿らない機械チェンソーかもしれません。でもそれを大切にできないことは、生命の根源たる地球生態系を大切にしていないことだとも考えられます。
「機械・道具さえ大切にできない人間に、人間自身を大切にできるはずがあろうか?」・・自問自答し、自分を戒めています。
僕は、おススメのチェンソーの前に、おススメの林業機械店を提案しました。そしてそのおススメのお店に、得意とするチェンソーメーカー及び機種をいくつか提案してもらい、その中から自分が良いと思う機種を選択するのが良いのではとアドバイスしました。
その理由を述べます。チェンソーという機械は必ず故障します。修理しなければ維持できない酷使機械です。そしてその修理やオーバーホールメンテナンスは殆どのユーザーが自分だけで行うことのできない代物です。
だから、より好ましいチェンソーとは、より良いメカニシャンが付いているチェンソーだと僕は思っています。メーカー等はその次の問題でしょう。
僕の愛用しているチェンソーは、ハスクバーナー社の42cc15inchです。1999年7月購入なので満20年間酷使しています。昨日も20〜35㎝径のコナラ、スギを5本伐採するくらい現役中です。僕は20年の間に修理店を3回変更してきました。現在依頼している興北産業さんには満足しています。
生まれて初めて購入したチェンソーを20年間使用中ということで「元は取れたね。良いものを買って長く使うことが最も安上がりだね」と言われます。でも僕は、安上がりだったかにはギモンです。また安く上げるためにだけ長く使っているわけではありません。
前述のように、一台のチェンソーを長く使うということは修理を頻繁に繰り返すことでもあります。その都度コストがかかります。また修理店までの交通費と時間もかかります。エンジンオイルも品質の良いモノを使用する必要があります。ならば安いチェンソーの消費廃棄を繰り返した方が安上がりかも知れません。
僕が一台のチェンソーを長く使う理由は、家計負荷を減らすためよりも環境負荷を減らすためかも知れません。大量生産大量消費、モノを多く生産することはそれだけ地球資源やエネルギーを多く消費することであり、地球環境に負荷をかけることでもあります。巷は経済最優先、お金の循環最優先一色の選挙活動真っ只中です。でも経済の土台である地球資源には限界があるのも事実です。
たかが生命の宿らない機械チェンソーかもしれません。でもそれを大切にできないことは、生命の根源たる地球生態系を大切にしていないことだとも考えられます。
「機械・道具さえ大切にできない人間に、人間自身を大切にできるはずがあろうか?」・・自問自答し、自分を戒めています。