One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 春が来た さあ歩き出せ by T2021/03/18

この冬の豪雪
でも、分かっているけど始められない。春眠暁を覚えず。最初の一歩が踏み出せない。人間なら誰でも一度は経験するジレンマですね。どうしたら一歩が踏み出せるのか?

[認識を変え行動を変える]

今年の冬は豪雪でした。雪という自然現象に対し、ヤレヤレ・ウンザリという感情が自動的に沸き起こる人も少なくないでしょう。除雪作業もできれば避けて通りたい、そんな消極的行動に向かってしまうのも頷けます。

そもそも雪という自然現象は何なのでしょうか。富山県の場合、冷たく乾いたシベリア大陸からの季節風が、(大陸に比べて温かな)日本海上を通過する時、大量の水蒸気を吸い込みます。そして北アルプスにぶつかった寒気は、上昇し雲を発達させ大雪を降らします。つまり富山の雪は海水を真水化して、更に夏まで立山に保存して一年中生命の水を私たちに供給してくれいているわけです。そう考えると雪も少し有り難く感じます。

雪という現象・出来事は変わらなくても、雪に対する認識が変わることによって、雪に対する感情が変わりませんか?感情が変わると行動も変わったりします。雪かきにも意味を見出すかもしれません。

[行動を変え認識を変える]

アメリカの心理学者ウィリアム・ジェームズ氏は言いました。
「楽しいから笑うのでない。笑うから楽しいのだ。」
行動が感情を生み出す説をとるならば、人はあたかもそれを体験しているかのように行動すれば、感情も作り出せるかも知れません。

『トムソーヤの冒険』に、こんな話があります。ペンキ塗りの罰を課されたトムは嫌々作業しました。すると誰も手伝ってくれませんでした。そこで今度は、嫌なペンキ塗りをトムは熱心に楽しそうに行いました。すると皆んなが自分もさせてくれと言い寄ってきて、トムは気分最高になったというわけです。

確かに認識が変わるのを待っている間は行動が中断しがちです。それならば先ずは行動をする。行動を継続する過程で感情が変わるのを待つというわけです。

[認識が先か行動が先か]

17世紀フランスの哲学者ルネ・デカルトは『方法序説』の中で、全てを疑ってみることで真理を探究する方法的懐疑を提唱しました。「我思う、故に我あり」の言葉で有名ですね。しかしながら、同じく『方法序説』の中でデカルトが、こと日常生活においては、疑いためらうことは極力避けよと述べていることは、あまり知られていません。疑いためらい行動することを中断させては、日常生活が回らなくなってしまうからです。

認識が先か、行動が先か、あなたはどちらのタイプですか?認識が先であろうと、行動が先であろうと、とにかく日常生活をフリーズさせないようにしたいものです。

人生楽ありゃ苦もあるさ、泣くのが嫌なら、さあ歩け  水戸黄門

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