One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 持つことの不自由 by T2021/10/16

日の出の里山
現在の日本は資本主義社会です。好むと好まざるに関わらず日本人は資本主義社会に生きています。

資本主義社会では、土地や資本といった利潤を生み出す生産手段を持つ資本家と、自分自身の労働力という人的資本しか持たない労働者の2つの分類があります。

ただし、持つとか持たないという選択は個人の自由です。よって資本家を選択するか労働者を選択するかも自由です。私たちは奴隷制社会や封建制社会に生きているのではありません。資本主義社会に生きています。

一見、持つことは持たないことよりも豊かに見えますが、『資本論』を著したマルクスによれば、労働者は2つの自由(二重の自由)を持っているとのこと。すなわち自分の労働を売る自由と、生産手段に縛られない自由です。このことはあまり知られていません。ちなみに『資本論』が著されたのは約150年前のことです。

マルクスは150年前すでに、持たないことの積極的意味をも説いていたわけです。つまり持たないことは何て身軽で、気軽で、生きやすいのだろう!と考える人間が存在しても不思議ではないということです。

生産手段を持たない自由があるということは、反対に、生産手段を持つ不自由があるということでもあります。

現在里山では自分の身の回りを見回すと、「田圃のせいで休日さえ休めない」とか「この田圃、将来どうしよう」という声を時々聞きます。と同時に最近は「今となっては、ウチは田んぼ無くてよかった」という声も聞くようになりました。

最近、新しい資本主義という言葉を耳にします。どのような資本主義なのでしょうか?そんな新しい資本主義においては、日本の農業はどのようなものなのでしょう?
ともあれ現在の私たちは、好むと好まざるに関わらず、資本主義社会に生きています。そんな中で、あなたはこれからどう生きますか?そして!

「あなたは、あなたの子孫のために、今何をしますか?」