One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 第二の人生を田舎暮らしで、というのは? by T2019/12/21

梓川と穂高連峰
定年後、憧れの田舎暮らし。という静かなムーヴメントは今も続いているのでしょうか?

最近面白いウェブ記事を読みました。内容をかいつまんで述べます。

都会と田舎、大きな違いは空気のキレイさである。
空気の汚い都会であくせく働き定年を迎え、自由になって空気のキレイな田舎に引っ越してのんびりと暮らしたい。
でも、あと何年生きるつもり?
田舎のキレイな空気を吸いつつも、ドロだらけの作業着を着て、汗だくになって、それであと何年生きるつもり?
それならば、無理して引っ越さないで、汚い空気でも都会に住み続け、代わりにキレイな服でオシャレして、のんびり街中を散歩して、キレイなカフェでお茶して、そんでもって余生を送った方が粋じゃない?

すごく納得です。記事を読んで僕も同感しました。だから僕も高齢になったら都会に引っ越して、オシャレしてカフェでお茶して粋に余生を送ろうかな?と。
でも当面それまでは、空気のキレイな田舎にて、都会人以上にオシャレして、都会人以上に粋に現生を送るつもりですけど。

結論を申しますと、田舎であろうと都会であろうと、肝心なのは自分で主体的に人生を切り開くことだと考えます。田舎の実家に住み続ける方が経済的に楽だからとか、仕事が都会にしか無いからとか、余りにも環境条件に受動的過ぎるのは、田舎暮らしであろうと都会暮らしであろうと、後悔を残す可能性が大きいと考えます。

自ら人生を切り開いた絵本作家でありガーデナーのターシャテューダーも述べていました。「一度きりの人生、思い切り好きなことをすれば良いのよ。」
主体的とは、思い切り自分がやりたいことは何なのかを自ら認識することだと考えます。そして主体的に自分のやりたいことができる境遇に感謝することです。

人生100年時代だとすると、僕も余命僅か45年しかありません。ナスを育てるのもあと僅か45回しかできないんです。だから今後も一分一秒を大切にして、思い切り好きなことをするつもりです。そしてそれは僕の場合、当面は里山暮らしです。