One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 祖父の記憶…サクバラ咲く by M2019/05/21

サクバラでポプリ
写真は四季咲きのバラ。
乾燥させてポプリにしようと目論んでいます。今年はバラの花付きが良く毎日10個は摘んでいます。

さて、このバラは祖父が生前育てていたもの。我が家の庭に移植した後も花を咲かせてくれています。一昨日、花摘みの最中に在りし日の祖父の記憶が次々と蘇ってきました。

菊作りに熱を入れていたこと、私が通う小学校の正面玄関にその菊が飾られていたこと、忘れ物をした時祖父は教材を教室(正しくは教室前の廊下)まで届けてくれたこと…。祖父は自動車免許を持っていなかったので自転車で移動していました。大きな菊の鉢を自転車の荷台に括り付けて小学校まで運んでいたのかなあ…、授業中を見計らって教室前の廊下に来て雨具かけに忘れ物をコッソリ引っ掛けてくれていたのかなあ…。当時は何とも思わなかった出来事が実はかなり特別なことだったのかもしれないと思いました。

祖父と言えば、口数が少なかったことも印象に残っています。声を荒げた光景を見たことはありません。お酒を飲んでもちょっとだけ、取り乱した様も知りません。いつも黙って「そこ」に居る人でした。

実家の面々はおしゃべり好きな人ばかりです。その中で寡黙な祖父の存在は特異だったことに気づいたのも一昨日のこと。

我が家では時折、私の祖父のことが話題になります。夫曰く「嫌なエピソードが全くなく、とても好感を持てた」とのこと。実際、老人ホームに入所していた時は仕事を終えてから週に2回部屋を二人で訪ねていました。悟りの境地で生きていたように見えた祖父。名前をもじって名付けた「サクバラ」は今日も控えめに庭を彩っています。

■ 外面と内面 by T2019/05/22

ガレージのコンクリート土間打ち工事終了
ガレージのコンクリート土間打ち工事が終了し、勝手口からの出入りができるようになりました。

工事中の10日間、車は露天駐車、出入りは正面玄関まで迂回せねばならずとても不便でした。不便さだけならまだ許容できますが、庭や菜園から土の付いた長靴で正面玄関を出入りすると玄関口が大変汚れます。それに作業道具を取りに行くにも動線が長くなって大変でした。それがようやく解消。勝手口の重要性がとても身にしみました。

そもそも私たち夫婦が里山の我が家に入居した当初は、正面玄関前のアプローチである橋が完成しておらず、勝手口のみで生活していました。それから半年ぐらいかかってようやく橋が架かり、正面玄関出入りも可能になりました。

この2つの経験は極めて対照的。すなわち、正面玄関がなくてもさほど困らなかった半年間の勝手口生活と、勝手口がなくて非常に困った10日間の正面玄関生活。

我が家の場合、正面玄関といっても開き戸と靴脱ぎのためのキリムが一枚敷いてあるだけのスペース。ほとんど費用をかけていません。一方勝手口は上がり框による段差を設け床と土間に区分され、今回のコンクリート土間打ち工事も含め多くの造作と費用をかけています。思えばそれは当然自然な成り行きであったのかも知れません。

人間も家も、華やかに外面(ソトヅラ)を飾るよりも、地味地道に内面(ウチヅラ)を磨いた方がより良い選択なのかもしれません。

■ 岡本太郎の息遣い by M2019/05/23

太陽の顔
昨日、岡本太郎記念館を訪れました。平日の午後でしたが入館者は後を絶たちませんでした。

記念館には岡本太郎のアトリエが残っており、彼の息遣いが感じられました。また、庭には多数のオブジェが所狭しと置かれていました。

以前は岡本太郎の作品に興味を持てなかったのですが、現代アートに触れる機会が増えるにつれ関心が高まってきました。根底にはアートはすべての人のものという意識があったようです。ようやく私にもその気概をキャッチできたのでしょう。

記念館は青山の裏通りにあります。何度も近くを通っていたのに、存在を知ったのはつい先日。見れども見えず。一方、岡本太郎には1950年代から他の人には見えていなかったものが見えていたようです。

岡本太郎記念会のサイトはこちらです!
http://www.taro-okamoto.or.jp

■ 夏日、真夏日は本当か by T2019/05/24

爽やかな風が通る
25℃を超えると夏日、30℃を超えると真夏日。
夏という言葉を聞いただけで夏=暑いと判断していませんか?そんな単純なものでしょうか?自分の体感で判断するのでなく、数字によって判断していませんか?

梅雨入り前のこの時期の晴天は大陸からの移動性高気圧に覆われる晴天です。よって空気が乾いています。よって気温が上昇すると湿度は一気に下がります。これに対し梅雨明け後の夏本番の晴天は太平洋高気圧に覆われる晴天です。よって水蒸気を多量に含んだ空気により高温多湿となります。

だから同じ30℃であったとしても、この時期と夏本番の時期とでは体感が全く異なります。当然、今の時期は紫外線は強いけど木陰が爽やかで不快指数が低い。それに対して夏本番の30℃は蒸し暑く不快指数が高い。

同じ30℃であったとしても、今の時期は汗がすぐ乾き気化熱を奪ってくれるので水分補給をしていれば熱中症のリスクは低い。夏本番は湿度が高く汗が乾きにくいので熱中症のリスクは高い。

僕は今の時期の晴天がとても大好きです。地中海沿岸のバレンシア地方や南仏、はたまたカリフォルニアのナパバレーに行かずとも、富山の里山でピノ・ノワール、テンプラニーリョ、シャルドネ、ソーヴィニョンブランといったワインを本場感覚で楽しめる気候なのですから。これが夏本番だとちょっと・・。

それにシアサッカー素材などのサマージャケットでオシャレできるのは今の時期しか
ありません。サマー本番になってしまうとジャケットすら着用できなくなり、僕はラコステのポロシャツ一本気となります。

数字のマジックに惑わされず、自分の身体感覚を大切にして、最高の季節を最高に満喫しようではありませんか!

■ 多様な土の効果 by T2019/05/25

アプローチ部分はそのまま
先日からブログに書いていたように、我が家のガレージをコンクリート土間打ちしました。ただし土間打ちした箇所は屋根で覆われた全日日陰部分のみです。日向である道路からのアプローチ部分はそのままです。その理由を述べましょう。

第一に、日陰部分をコンクリートやアスファルト、タイル等で覆ったとしてもそれほど暑くなりませんが、日向部分の地面を舗装してしまうと夏に吹く風が熱気を含み、住空間を不快にすると考えました。よってコンクリート土間打ち面積は極力必要最小限に抑えました。

第二に、コンクリート上では落ち葉等が雑然と目立ちます。土の上ではそれほど目立たないのに人工物上では不思議と汚らしく目立ちます。雑草が生えないようにコンクリートやタイル敷きにしたのに、かえって掃除が大変になったという後悔はしたくありませんでした。よってコンクリート土間打ち面積は極力最小限に抑えました。

第三に、コンクリート土間を掃き掃除したりブロア掃除したりする際、土の地面上に掃き出せば楽です。

第四に、万が一埋設された配管の補修や移設工事等がある際は土の地面のままの方が容易です。よってコンクリートは最小限にしました。

以上の事柄は私たち夫婦であーだこーだと話し合った結論です。

調温、調湿、保排水、弾力性等、生きた土は多様な要素を持っています。多様性が強調されている現代だからこそ、なるべく人類も土から離れない方が良いと思われます。

■ ショック・ドクトリンー熱中症と叫べば地球は暑くなる by T2019/05/26

『ショック・ ドクトリン』ナオミ・クライン著
連日の暑さ報道と来年夏開催の東京オリンピック 。この2つの事柄には共通点がある。それは共に経済効果を狙っているということ。

前者の暑さ報道に関しては、夏本番高温多湿な暑さと異なり、連日の暑さは移動性高気圧の乾いた暑さで熱中症のリスクは低いにもかかわらず「危険危険注意注意」を連発している。あたかも皆人間愛に満ち溢れているかのごとく。

本当に人間愛に満ち溢れているならば、夏本番の東京オリンピック、特に真夏のトップレベルのマラソン競技なんて言語道断のはず。でもこちらの方は危険のトーンが前者に比べて低い。だって夏休みの時期のオリンピック開催は経済効果が大きいから大きな声で言えない。

じゃあ、前者の暑さ報道には何故経済効果が見込まれるのか?

僕はそこにショック・ドクトリンをみる。ショック・ドクトリンとは、カナダのジャーナリスト、ナオミ・クラインが2007年に著した書物名で、邦題が『ショック・
ドクトリンー惨事便乗型資本主義の正体を暴く』
内容は、戦争、自然災害を含む大惨事を過激な市場主義経済に利用するグローバル資本主義の正体を暴くといったもの。要するに、危機に際し人間に不安や恐怖を植え付け、惨事に際しショック状態や茫然自失状態につけ込んで、経済効果や利益追求を推し進める、それがショック・ドクトリン。

熱中症!熱中症! と連発すれば、ペットボトル飲料やエアコンがよく売れ、お金まわりが良くなるのだったら簡単なこと。こんな美味しい商売はないね。僕もどこかに便乗させてもらおうかな?

でも、エアコンが普及すればするほど室外機から熱風が吹く。経済(エコノミー)が活性化すればするほど温暖化(エコロジー)が進んで、しまいには本当に命取りになりかねない熱中症が出現するかもね。

熱中症と叫べば商魂に火が付く。そして確実に地球は暑くなる。

■ 茹でガエルになろう by T2019/05/27

薪ストーブ掃除中
昨日は我が家の定例大掃除日ならぬ中掃除日でした。我が家では5月の薪ストーブ掃除日と10月のストーブ火入れ直前の日に中掃除を行います。

5月中掃除は大梁の埃落としから始まって、網戸設置、ウィンスローソファのカバー交換、そしてヨツールF500薪ストーブの本体分解掃除と続きます。(煙突掃除は既に終了しています) 最後に床拭きで終了です。

ところで私たち夫婦は、我が家とお付き合いする際、茹でガエルになることを心がけています。沸騰したお湯にカエルを入れるとビックリ熱くてカエルは飛び出しますが、水の中にカエルを入れゆっくり加熱していくと結構熱くなってもカエルは気付かないそうです。本当かどうか試したことはありませんが何となく肯定できます。

つまり大掃除や補修工事を一気に行いません。不完全でいい、8割OKぐらいの気分でちょっとずつ行います。だから家がすごく綺麗になったとか激変したという感覚はありません。でも何となくくたびれた感じがしない、それが理想です。また、一気にリフォームしたりすると支払いがドーンとのしかかってきますが、こまめにちょっとずつしていれば負担が大きく感じられません。まさに茹でガエルです。

家づくりも茹でガエル方式。入居から20年近く経過しましたが、先日はガレージのコンクリート土間打ち、現在はデッキの延長に向けて宮田建築さんに材料を刻んで頂いています。今回も金物を極力使用せず木組み中心で作ってもらいます。(いちいち要望しなくても宮田さんは木組みのほぞ穴加工をしておられます)

来週からデッキも含め家の再塗装が始まります。大きな塗り絵感覚の家の塗装。塗装も一気に行わず今年はココと少しずつ。

マイホームと長く気持ち良くお付き合いしていくコツとして、僕は茹でガエルになることをお勧めします。

■ 茹でガエルになるな! by T2019/05/28

寒い冬もこれ一枚で十分
前回のブログに対し、今回のタイトルは「茹でガエルになるな!」

慣れた環境に浸りすぎ、少しずつの変化に気付かず、気付いた時はもう手遅れ、これが茹でガエル理論。茹でガエルは本来こちらの意味で使われることが多い。

前回のブログのように家づくりは茹でガエル方式で作っていけば大きな負担感は削減されると書いた。しかし家の中はどうだろう?例えば物や衣服など、知らず知らずに買い溜まっていって、気付いた時は片付けが困難なくらい物に囲まれていた!・・なーんていう茹でガエルには注意したい。

断捨離、ミニマルライフ等、必要最小限の所有物で暮らすことを提案する世相が見られる。それはそれで結構である。事実僕も簡素な暮らしを目指している。だがしかし、そもそも何故、物や衣服など必要以上の量を買い込んだり溜め込んだりするのだろう?

その理由は僕には分からないが、ただ確実に言えることはこういうことだ。
「満たされていないということ」

その通り、現状に満足しないからそれ以上を求めるのだ。満足してたら求めない。

では何に満たされていないのか?ここからは僕の経験と推測であるが、満たされていないものは単に物質的なものだけでなく、それ以上に何か核心的なものに満たされていないのではなかろうか。例えば過食症が食欲満足度に原因があるのではなく心理的満足度に原因があるように。

過去に僕もより多くの所有物を求める時期があった。今振り返ってみると、その時は安心感や自信、自己肯定感や愛情といったお金では容易に買えないものに満たされていなかったのかもしれない。不安感、劣等感、孤独感が強かったのかもしれない。お金で買えないものに満たされないから、その代わりとしてお金で買えるもので満たそうと思っていたのかもしれない。でもそんなものでは満たされるはずがない。

必要以上の所有物に取り囲まれる茹でガエル的現状は、単に表層的に物を捨てるだけでは解決しない。単に物を捨てたり人にあげたりすることは、過食症の人が食べた物を吐いて再び食べるようなものだ。断捨離やミニマルライフはもっと背景に注目しなければ実現しない。個人的な背景に留まらず家族や周囲の人々を含めた背景に注目する必要を僕は強く感じる。

スーパーマーケットもコンビニエンスストアもファミリーレストランも居酒屋も無い里山に暮らすようになって、反対に、唯、今ここにいることの満足度が高まった。里山で自立生活を営むことで自信と自己肯定感と愛情といった心理満足度が高まったのかもしれない。

ともあれ理由は定かではないが、我が家の中が以前よりも片付いてきた感がある。

写真は我が家の唯一の100パーセントウール毛布(ペンドルトン製)。電気毛布は我が家には存在しない。寒い冬もこれ一枚で十分。虫干ししてキチンと片付けるつもりだ。

■ より良い暮らしを実現するデザイン by M2019/05/29


東京は東陽町のGallery A4(ギャラリー エー グワッド)で明日までEAMES HOUSE: DESIGN FOR LIVING
イームズハウス:より良い暮らしを実現するデザインが開催されています。

EAMES HOUSE: DESIGN FOR LIVING

イームズ夫妻の住宅兼スタジオであるイームズハウスに焦点を当てた展示は、専門家ではない私でも十分に楽しめるものでした。

展示の中で目を引いたのが障子を思わせる引き戸でした。我が家にも和紙を貼った引き戸があるのですが、それを彷彿させる色使いに驚き!

和紙を思わせる素材の引き戸

とても小さなギャラリーでしたが展示は非常に充実しており時間がいくらあっても足りないほどでした。

カリフォルニアにある本物に実際に触れたいと思ったのは私だけはないのではないでしょうか。

■ 里山の塩 by T2019/05/30

里山の塩づくり
前日の雨のおかげで空気もひんやり、地面もしっとり、風も穏やか。塩作りには最高の日。

早朝、カマドの準備をして5時半には焚き火場にて着火。10ℓの富山湾海洋深層水(13%高濃縮塩水)を6時間煮詰め、正午前には約1、3kgの天然塩(里山の塩)ができた。

今回の塩は主として今シーズンの梅干し作り用。梅干しの材料は梅、赤ジソ、そして塩。梅の実と赤ジソまでは自家製というのはザラにある。だが塩まで自家製という完全自家製梅干しはそうザラには無いだろう。

塩焚きの傍で庭の常緑樹の剪定。落葉樹は雑菌の少ない寒い時期に剪定するが、常緑樹の剪定は暖かい時期が適している。おかげで立派な薪になるカシの太枝が数本採れた。

今回の塩焚き燃料は、近所の知人が伐った梨の木。一年前にナメコ栽培のホダ木として伐ってあったらしいが菌コマ打ちを忘れていたということ。処分してくれないかということで頂いた。返礼に里山の塩の小袋を。

塩は海のもの、里山で塩が採れるわけはない。しかし里山の薪が塩になって返ってくる。だから里山の塩。

里山の塩は海と山をつなぎ、人と人をつなぐ。