One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 学ぶことは甘くない 況んや学ばせることなどできない by T2021/08/14

ツリニチニチソウ
「教えられたことは残らない。自ら学んだことだけが残る」これはある先生から教わった言葉。

その通りだと思う。自ら学ぶという行為には必ず強い動機がある。動機があるから学ぶ。動機がなければどれだけ教えられても身につくものではない。

チェンソーで樹木伐倒する技術を身につけることを例にしてみよう。

現代日本において、殆どの国民にとってチェンソー伐倒技術は必要無い。つまりチェンソーで木を伐る動機がそもそも無い。というよりそれがフツー。

でもごく稀に、チェンソー伐倒技術が必要、つまり木を伐る動機のある風変わりな変人がいる。そのような変人は動機の強弱に応じて、伐倒の機会を自ら探して自ら学んでいく。何故なら必要だからである。そのような変人は教えられているのではない。教えられているのでなく教えを希求している、つまり自ら学んでいるのである。

人間という生き物を甘く見てはいけない。他の人間の動機を自分の思い通りに操作できると思えるほど、人間という生き物は甘くはない。人間なんて教えてやれば身につけさせることができるといった認識は、180°勘違いである。他の人間を操作し何かを学ばせることなどできない。

ごくごく稀に、とても風変わりで、樹木伐倒技術を身につけたいと真剣に思っている変人がいたら、そんな変人に情報提供をしよう。毎週火曜日に金山里山の会(コナラの会)は森に入り木を伐っているようだ。自ら赴き、教えを乞い、自ら学ぶことができそうである。

「火曜日は仕事でムリ」と言う人は、そもそも学ぶことは絶対にムリ。何故ならあなたはフツーだから。仕事でムリなのでなく、自分の思い通りに周りが合わせてくれるとフツーに思っているから。そんなフツーな感覚ほど、リアルな人間社会は甘くない。