One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ ランナーとしての矜持 by T2021/10/20

2018富山マラソン
気温も低くなり、ランニングしている人をよく見かけるようになりました。11月7日の富山マラソンが近づいて来たからかも知れません。

時々僕もランニングをして、ランナーとすれ違う時、これは同じランナーとしての親近感からなのでしょうか、どちらからともなく手を挙げたり会釈したりして挨拶をします。

「類は友を呼ぶ」ということわざもあるように、走ることに対する趣向性によって、性格や行動特性に類似性が生じることは推察されます。

先日、ダスティンホフマン主演の映画『マラソンマン』を観ました。主人公は言っていました。「僕はマラソンマンだから人並み以上に苦痛に耐えることができるんだ」と。それは真実かどうかは分かりませんが、確かに苦痛に耐えないではマラソンを完走できないことは確かです。

一度、ランナーで良かったと思う瞬間がありました。2015年の第1回富山マラソンでの事前受付時でのことです。初めての会場はとても混雑していました。駐車場も混雑していました。しかしそんな混雑の中でも、車イスマークの駐車スペースだけはしっかり空いていました。そんなマナーの良さを見た時、僕はランナーで良かったと思いました。

マラソンのゴールを切った時、前方に向かってガッツポーズするランナーをよく見かけますが、僕の好きな光景は、あえて後方を振り向き、今走ってきた長い道のりに対し、帽子をとってお辞儀をするランナーの姿です。自分の力で完走したというよりも、いろいろな偶然や幸運が重なって、縁あって今日完走させてもらったという思いが感じられるからです。

「あの人はランナーだから・・」に続く言葉が、いつまでも良いものでありますように。

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