One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 私たちの時代は by T2020/09/07

風景装置
先日、年配の女性方と話す機会がありました。その際ある人が
「私たちの時代は、男性が台所へ入ることがなかった。」とのこと。

「男子厨房に入らず」確かにそれが多数派であったかもしれません。でも、ふと「私たちの時代の人」と一括りにしていいのか?と思いました。当時においても台所仕事を積極的に行っていた進歩的男性が少数でもいたのではないかと。

その証拠にその後妻の実家を訪れると、80代の義父は一人で昼食の後片付けをして、にわか雨の降る前に洗濯物も取り込んでいました。ちなみに義父は自分でミシンをかけマスクを作ります。

違いの要因は一人称で考えて行動できるか否かであると推察します。

皆がそうしているから自分もそうするといった姿勢は、傾向として自分の頭で考えていない場合が多いと思われます。確かに熟慮した結論が時代の風潮に合致したものという場合もあるかもしれませんが、でもそのような場合なら「私たちの時代の人は」という複数主語の言い出しにはならず、「私は」と一人称で根拠を提示されるはずです。

自分の頭で考えることは面倒でエネルギーのいることかもしれません。時には世間から特別視されるストレスがあるかもしれません。でも風潮に流されず、勇気を持って自分の頭で考える努力が、例えば人種差別や男女格差など根拠の不明瞭な社会的不条理を取り除いてくれるのではないかと考えます。

「私たちは」とか「私たちの時代は」といった言葉で思考をストップせず、「私は」という一人称で話し始める癖をつけて、これから僕も自分の頭で考える習慣を身につけようと思っています。