One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 神棚的存在 by T2020/12/24

神棚
地元コミュニティセンター主催のしめ縄教室にて、新しい神棚及び玄関用のしめ縄を作ってきました。こういう催しを開催して頂けることは本当にありがたいです。非農家の僕としては、編みやすいように藁打ちしてもらった藁ひと束を頂けて、しかも編み方を教えてもらえるのですから。

早速神棚を掃除して、神札としめ縄を新しくしました。あとは鏡餅と新しい榊をお供えすれば新年を迎える準備完了。

ところで我が家では鏡餅は唯一神棚のみにお供えします。玄関や台所などいくつもお供えしません。何故ならば、玄関も台所も全て神棚から見えるところにあるからです。我が家の神棚は家のほぼ中心にあり、しかも吹き抜けで神棚の上を誰も歩くことはできません。

来客からお土産を頂いたら、先ず神棚にお供えしてから。
夕食に日本酒をいただくなら、食事数分前に先ず神棚にお供えしてお神酒としてから一献。

ところで僕は、結論から言うと完全なる自由意志というものを否定します。自分で考えて自分で決定して自分で行動する、自分自身を管理コントロールするのは自分である、かくあるように日々努めてはいます。
だがしかし、本当に自分を動かしているのは自分なのだろうか、完全な個人の自由意志というものはあるのだろうか、何せ人間の意識以上に無意識の領域は広大だと言うじゃありませんか。

できる限り主体的に自己決定をして人生を生きる姿勢は持つ、がしかし、それ以上に自分ではどうしようもない力に自分は支配されている。そんな力の前に謙虚にならざるを得ない。何故なら謙虚にならなければ生きていけないから。

そのために、謙虚になるために、神棚がどうしても必要とは言わないけれど、神棚的存在が僕には必要だと考えています。