One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 持続可能な里山地域を目指した活動記録 by T2021/05/17

こならの木
2015年に、SDGs(Sustainable Development Goals持続可能な開発目標)を国連総会が採択し、2030年までの具体的行動指針が示された。その中には、住み続けられるまちづくりや、クリーンなエネルギー、陸と海の豊かさを守ること、質の高い教育、働きがいや経済成長などの項目がある。

これらの具体的行動指針は、我々「金山里山の会」が過去10年間に渡って行ってきた活動に合致するところが多く、我々の活動が世界標準の流れから大きくズレてはいないものと認識している。

ただひとつ、個人的に気になる点がある。先日、会の活動10年間を記念して記録冊子を発行するということで、原案を見せて頂いた。気になる点とは、そのタイトルである。
『若い世代が活動して育てる田舎』

これは、「実際に若い世代が積極的に活動して育てている田舎」という現状の意味なのであろうか?それとも、「若い世代に今後育てていってもらいたい田舎」という願いなのだろうか?過去10年間の活動記録ならば前者だと思うのであるが、ならば本当に若い世代が積極的に活動している現状なのであろうかという疑問が湧く。

では、タイトルが後者の願いだとしよう。すると記録という趣旨からはかなりズレるタイトルと言えよう。

百歩譲って、願いをタイトルにしたとしよう。そうすると、先輩世代から若い世代に対するパターナリズムの押しつけにはならないか、と僕はとても心配である。

パターナリズムとは、強い立場の者が弱い立場の者の利益のためとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援すること(ウィキペディア)である。いわば良かれと思って行う正義の押し付けというものだ。

「田舎はとても良いところなのだ。だから若者には田舎を継承してもらいたい。」そんな願いはよく分かる。しかしタイトルのように強烈に打ち出すと、「田舎は良いところなのだ。だから若者は田舎を継承すべきなのだ。」といった正義の押し付けと捉えられ、パターナリズムの危険性を感じるのだ。

若者には、自分自身の人生を主体的に自由に選択して、世界に羽ばたいていってもらいたいし、間違っても先輩世代に忖度し、意にそぐわない人生を歩んでもらいたくはないと僕は考える。

自分を変えることは自分にできるが、他人を変えることは自分にはできない。ましてや他人を自分の都合の良いふうに変えることはしてはいけない。

若者に田舎を育てていってもらいたい願いは願いとして静かに持ち続け、タイトルに打ち出すことは止めておいて、シンプルにこんなタイトルは如何かと考える。

『持続可能な里山地域を目指した活動記録』