One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ さらばもう一度、アイルランド回帰の旅[僕がCOMPETITION BIKE(競走用自転車)にこだわる理由]- 後編その2:Summer in 2005 -2017/04/15

今は廃刊となっている『月刊ニューサイクリング』誌の2013年6月号に掲載された作品です。

---------------------------------------
■ Summer in 2005

2005年、夏。僕は妻と再び、アイルランドを旅した。今回は、レンタカーを借り切って17日間旅をした。

ところで僕にとって、自転車は野球と同じ。
自転車で我が家“ホーム”を出たら、自転車で我が家“ホーム”に帰ってくる。ホーム・インしたら僕の勝ち。中年期に入った僕と競走用自転車の付き合い方は、非日常的なレースに出場して勝利を目指すというよりは、日常的に自分を試し、何とかスタート地点“マイ・スウィート・ホーム”にもどってくること。そのための道具としての競走用自転車なのだ。

別に自分に嗜虐的というわけではない。かといって、あまり怠惰な暮らしはしたくない。僕は自由でありたいと願う。怠惰な暮らしは自分の欲望の奴隷状態だ。本当の自由とは、強制ではなく自由意志に基づいて行動規範を定め、一旦決めた規範には自律的に従うことができ、結果、自分で自分を管理し得る状態のことだと思う。

競走用自転車は僕にとって、そんな自由から逃げず、自由に挑み、自由を体感する道具なのだ。「人生山あり谷あり」とは言い尽くされたフレーズだけど、永遠の自転車小僧にとって「山や谷」は最高のバトルフィールドであり競技場なのだ。必然、住まいのある富山県を走ることが多い。そして頻繁に走るルートが自然と定まってくる。まるで山伏の修験道のように。それが自分の性に合っているように思う。

かつては、輪行して遠くを旅をしたり、車に自転車を乗せて県外のレース会場に行ったりもした。でも最近はそのような事がほとんどなくなり、自転車に乗るときは我が家から我が家のドア・トゥ・ドアがほとんどだ。

サイクリングを如何に日常に溶け込ませるか。最近の僕にとって「自転車で何処へ行けるかではなく、自転車と何処に居続けるか」が重要になりつつある。先日、そんな僕を応援してくれるような嬉しい言葉を見つけた。

「発見の旅とは新しい景色を探すことではない。新たな目を持つことなのだ。」 
マルセル・プルースト

とはいうものの、国内・海外に関わらず、何かの縁で何処かに旅する機会に恵まれた際は、それはそれで非日常を大いに楽しみたい。特に海外はそう何度も訪れることはできないから、機動力のある車は頼もしい。それに未知で言語も習慣も大きく異なる海外では、たとえ車移動であったとしても、自分で車を運転し旅をしているといった充実感がある。

今回の旅では、前回10年前には訪れることができなかった場所を中心に廻った。そして自転車は一度レンタルした。
コネマラ国立公園へ
コネマラ国立公園へ[2005年、クリフドゥン]


※ 口絵、および前編はこちらをご覧ください。

http://onesway.asablo.jp/blog/2017/03/26/8421647

http://onesway.asablo.jp/blog/2017/03/26/8421648

コメント

トラックバック