One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 無関心な健康社会 by T2018/06/26

ツール・ド・フランス1993
僕たち夫婦はサッカーワールドカップの試合中継やTVニュースを見ない。その理由はこういうことだ。

誰かが必ず結果や試合内容を教えてくれるから。

聞こうともしていないのに、情報は否応なく半ば強引に入ってくるのだ。それならば、貴重な自分の時間を割いてまで自ら積極的に情報を得る必要はないだろう。その時間を他のことに費やしたほうが自分にとって生産的だ。例えばマラソンのインターバルトレーニングをしたり、バッハのマタイ受難曲に関する理解を深めたり、庭の常緑樹の剪定をしたり(今が常緑樹の剪定時期)・・。それが近代社会の分業化というものだ。

年齢を重ねれば重ねるほど、自分に残された時間も貴重になってくる。純粋に僕はその限りある時間を本当にやりたいことに使いたいと思う。

1982年、サッカーワールドカップ、スペイン大会。当時僕は高校生。深夜TV中継されていた当時フラメンゴ所属のジーコやソクラテスなどブラジル黄金カルテットの試合を見ていた。当時日本におけるサッカーはマイナースポーツで、多くの人が巨人軍と千代の富士に注目している時代だった。次の日サッカーの話を一緒にできる人は稀だった。

それが今はどうだろう。僕より年上で、本田圭佑のプレーに関する話はできるけれど、西ドイツチーム、ピエール・リトバルスキーのプレーをリアルタイムで果たして観ていたのだろうか?いつからサッカーを観るようになったのか?観るようになったキッカケは何なのか?みんなが観だしたからか?

別に自慢しているわけではない。僕の言いたいことはこういうことだ。

多数派、少数派に限らず、自分が本当に好きなことをやれば良いわけで、大衆に流され迎合し、自分の欲求そのものさえも周囲にコントロールされるなんてたまったもんじゃない、ということだ。ただし自分が本当に好きなことが認識されているならば。

ちなみに僕はサッカーに興味がない。サッカー熱(サッカービジネス)が頂点に達している現在だからこそ、この瞬間、「全くサッカーに興味がない」と断言できる社会がとても健康的だと考える。

話は変わるが、1993年7月、僕たち夫婦はフランスを旅した。自転車レースであるツール・ド・フランスを観戦するために。でも多くのパリジャン、パリジェンヌたちはさほどツール通ではなかった。当時とてもカルチャーショックを受けた。フランス人ならみんなツールに興味を持っているものと思っていたから。

しかし思えばそれが平和であり成熟した社会なのかもしれないと思った。皆がブレずに一様に同じ方向を向いていて、よそ見をすることが全く許されない社会こそ、本当に怖い社会なのかもしれないと強く思った。

写真は1993年のツール観戦におけるもの。