One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 草取りについての五考察 by T2018/08/12

少々草の生えた地面
時々周囲の人から「庭の草取り大変じゃないですか?嫌になりませんか?」と言われることがある。それに対する僕の答えは「No.」である。その理由を述べよう。

まず第一に、僕は嫌いなことをすることが最も嫌いである。嫌いなことは絶対にしない。にもかかわらず約20年間庭の草取りを続けているということは、草取りが嫌いではないということであろう。

第二に、僕の趣味の一つがガーデニングである。ガーデニングとはその半分以上が草取りである。つまりガーデニングが好きだということはすなわち草取りが好きだということである。草取りをしないガーデニングは走らないマラソンみたいなものである。

第三に、僕は強制されることが嫌いである。例えば他人の庭やご先祖様からの相続庭の草取りを強制されれば絶対にしない。しかし我が家の庭は私達夫婦がそこに住みたくて自ら手に入れた庭である。庭の草取りが大変と思うようだったらここに住むことを選択しなかった。よって自分の庭の草取りをするのが極めて自然である。

第四に、僕は世間の目を気にしない。「あの家の庭ったら草だらけよね。」という陰口は気にならないし、そんな陰口をささやく人間にならないように努めている。陰口よりも草取りの方がどちらかというと好きである。

第五に、僕は美しいものが好きである。アスファルトやコンクリートの地面を眺めているくらいだったら、少々草の生えた土の地面を眺めている方が良い。草取りは植物社会におけるジェノサイトではない。雑草のホロコーストであっては絶対にいけない。除草剤でスッペラカンの雑草大虐殺をするくらいだったら、雑草をボーボーに育てた方が緑の絨毯、地球温暖化防止になる。それが僕の美学である。

ともあれ、雑草たちがいつまでも元気であってほしい(言われなくても雑草たちは極めて元気であるが)と思いながら草取りしているから、むしろ草取り不完全な庭で大成功なのである。よって僕はそんなテキトーな草取りが好きである。


【追記 by M】
今朝、NHKのウエブサイトに「除草剤使用でがん 男性に約320億円の支払い命じる」という記事が掲載されていました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180812/k10011574081000.html?utm_int=news_contents_news-main_006

20世紀終わりのタバコの健康被害訴訟を思い出します。今では、タバコが有害であることは周知のこととなっています。

除草剤も10年後にはその扱いが変わることを念じています。