One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 最高の時間 by T2018/03/11

ウワミズザクラを伐採
菜園に自生していたウワミズザクラを伐採しました。直径20センチほどに成長してしまい、畑の日当たりが悪くなったため、昨年から雪解けを待って伐採する計画でした。

尊い命を伐採した以上、できる限り薪として活用するために、写真のように分類しました。左の山が薪になります。

こういう労働をしている時、とても充実した最高の気分になります。労働が生きていくための手段というより、労働そのものが喜びとなった感じです。そこにはワークライフバランスも働き方改革も必要ありません。また労働が誰かの役に立っているといった社会的評価や働き甲斐とも少々異なる感覚です。いわば、労働=生きていること=喜び、といった方程式です。

どんな時、労働そのものが喜びになりうるのか?私的に考察するに
必要な労働(保温のための燃料は必要である)
生産的な労働(薪という燃料を生産している)
倫理的な労働(既存生態系の持続可能な労働の一環である)
健康的な労働(良い環境で適度な運動をしている)

以上の条件が揃った時、労働そのものが喜びとなりうるようです。自分自身が大地、地球、そして宇宙と一体化している感覚といえばよいのでしょうか。

この感覚を知ってしまったら、自分自身に割り当てられた貴重な時間を消費的、余暇的、世間体的に浪費することが不可能になります。

■ 続・最高の時間 by T2018/03/11

畝作り開始
畑の畝作りを開始しました。午後にとても大切な来訪者を予定していたため、ほんの1時間余りの初日作業でした。時々小雨も降り不安定な天気でしたが、気持ちの良い作業でした。人間は土から離れるべきではないと思いました。

前回のブログで、労働が喜びとなる要因について私的に考えてみましたが、今日畝作りをしながら、最も重要な要因を書き忘れていたことに気付きました。それは主体性です。主体的な労働、自らの動機付けによる労働ということです。

労働が強制であっては喜びは望めません。労働が他律的であっては喜びは望めません。自らの内から発する力による労働が喜びをもたらすと思います。

人間は土から離れるべきではありませんが、土に縛られるのもどうかと思います。僕は非農家ですが野菜を育てたくて畑を開始しました。僕は自分の土地を持たなかったし、相続もしていないので、地縁血縁も無い里山に土地を購入し、家を建て菜園を作り始めました。ここに喜びの最大の要因があるんじゃないかと思っています。

僕は30代になって移住したここ金山里山が我が故郷だと認識しています。故郷とは生まされた場所ではありません。故郷は宿命や運命ではありません。故郷は帰還する場所ではありません。故郷は受動態では決してありません。故郷とは、絆というシガラミを断ち切って、自ら主体的に新天地を開拓し創り出すものです。

3月11日に、ふとそんなことを思います。